# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 名探偵朝野十字の新人助手 | 朝野十字 | 1000 |
2 | 夜を走る | ナイツ | 320 |
3 | 帰り路 | トマト | 953 |
4 | カレー鍋と嫉妬 | きえたたかはし | 463 |
5 | 明日の猫へ | テックスロー | 952 |
6 | あああおおえあいいあい | わがまま娘 | 981 |
私は西野順子。IT企業でSEやってます。
いつも静かなモクモク系職場に部長の罵声が響いた。
「クライアントからエラー確認が来た。君がクライアントのサーバに入ってやったことだ。君のパソコンのIPも全部バレてんだよ」
「プレビューを見ただけですよ。TMPファイルが削除されていたのに見ようとしたからエラーになっただけで実害はない」
「そんなことを言ってるんじゃない。クライアントのサーバに通常はないはずのエラーログが残った。どう言い訳するんだ」
「今すぐ立花さんに電話して謝りますよ。次の定例でもちゃんと説明します」
「…………」
「大丈夫ですよ。立花さんとはツーカーです。わかってくれます」
「じゃあ……。よろしく頼む」
朝野先輩は営業部から異動してきた異色の人材だ。私と同じETLチームにいる。
部長に連れられて経理課の新之助君がプロジェクト推進室にやってきた。彼は大学の一年後輩でたまたま同じ会社に入ってきた。
「経理データと営業データが」
「うんうん」
先輩は興味なさそうにうなずいた。
先輩と話を終えても、新之助君はもじもじして居残っていた。学生のころと変わらないなと思った。
やがて私に話しかけてきた。
「うん。いいよ」
と私は答えた。
新之助君が帰った後、先輩が言った。
「西野さん。次の定例の資料を作ってるんですが。技術的側面に齟齬がないか精査してほしいのです」
部長とは平気でケンカするのに、なぜか私には腰が低い先輩であった。
「ご面倒でしょうが。立花って重箱の隅にしか興味がないから。あいつクソですよね」
「今日中ですか」
私は不要になったプレゼンス資料のホッチキスの針をひとつひとつ外しつつ尋ねた。
「いやまだできてなくて来週の水曜日ぐらい」
「その日はお休みもらって新之助君と水族館に行くんです」
「それは――でも殺人事件に巻き込まれた瑛美という人が――」
「瑛美さんはイケメン青年実業家と電撃結婚しました。ワイドショー見ないんですか」
「それは――」
「あんな頭いい超美人、新之助君にはムリムリ」
「確かに。新之助はああ見えて、超面食いだからな。なかなか結婚できないわけだ」
私は書類の束をシュレッダーにかけるため立ち上がった。
「どうだろう西野さん。あなたは超美人からほど遠い。頭もそれほどじゃない。むしろ新之助と結婚すればいいと思う」
シュレッダーがうなりだした。私は先輩の超絶失礼発言を聞こえなかったことにした。
地球の最後の生き残りの5人は、冷静に暮らしていた。それぞれに血の繋がりはなく、育った環境も、生きていた世界も違っていた。いつの間にか人々は死にはじめ、いつの間にか、この人数に。それでも、その5人の中では争いがある。些細な感情の行き違いから嫌悪感が生まれて、それが迫害にとなる。正しく、イジメだ。この5人の中で1番弱い1人が自ら命を絶つのは、近い将来かもしれない。そうすれば人類最後は4人にとなる。そうなって都合の悪いことがあるのだろうか。人間は5人になっても弱肉強食であり、誰かを標的に気持ちをひとつにする生き物だ。その性質が絶滅を招いていることを、たぶん彼らは知っている。それでも彼らは、それをやめはしないだろう。人間で有り続ける為にと。
くすんだ色の草が俯せになった私の頬を撫でた。吸い込んだ空気は湿って、潮の香りがした。随分長い夢を見ていたようだった。起き上がろうとするけれど、節々が錆びた機械のようだった。
苦労の末に立ち上がった私は目の前に荒涼とした海原を見た。吹きつける風と、水平線から流れて来る絶え間ない雲が海上に暗い影を落とし、海は際限もなくその威厳を増すようだった。
崖の上に立つ私の眼下に、入江に浮かんだ二艘の小舟が波に揺られていた。
左手に浜辺へとくだる細い道がある。道に沿って備えられた柵は所々が腐食していて、風に軋んでいた。
私はその小道を下り浜辺へと降りると、靴を脱いで手に持った。子供の頃は運動靴にたくさん砂を付けて帰った。そうなると面倒なのは分かってはいるから最初は気を使うのだが、夢中になれば忘れてしまう。
そっと踏み出した素足が、白く細やかな砂に沈み込んで、ひんやりと冷たかった。
その感覚が懐かしく、私はゆっくりと、足を砂に埋めるようにして小舟へと向かった。近くで見る波際は遠くで見たときよりもずっと透き通って見えた。
岸に打たれた杭に、舟をもやう綱が結ばれている。それを手繰って小舟を引き寄せた私は綱を外して乗り込んだ。窮屈な、小さな船だった。
いつの間にか海は凪いでいて、それに気が付くと急に心細くなった。不安から逃れようと櫂を取り上げて、その透き通った海に差し入れた。眉間にシワを寄せた私の目にじわりと涙が浮かんだ。濡れた足が冷たかった。
一際大きな揺れが私を夢から引き上げた。
混雑した電車の中に声は聴こえず、ただ車体が暗いトンネルの中を通過する音が響いている。目元を拭い、足元の紙袋に気付く。一体何を買ったのだったか。
視界にチラリと映った光に目を移した。左隣の男性が手に持ったスマートフォンの光だ。イヤホンをつけて熱心に画面を見つめている。
画面には蛍光色のカヤックを漕ぐ男。その波紋が広がる、霧の立ち込める深く暗い水面を見て、夢の事を思い出した。
強く吹き付ける潮風、冷たい素足、透き通った波際。
今の私には、隣の男性がスマートフォンを盗み見る私に気付いた事も、その水面に鯨がドラマチックに顔を出したことも、どちらもうんざりだった。
だから私は目をつむって、虚ろな記憶からただひとつ、この紙袋の中身を思い出そうとしたのだった。
晴れた土曜日、三人で公園まで歩いた。
途中、息子が派手にころんだ。急に走り出して躓いたのだ。なんとか立ち上がったが今にも泣きだしそうである。膝は赤くなっている。
一個下の娘はつないでいた私の手をほどいて、息子のところへかけよると、耳元でなにかを囁いた。それを聞いた息子は少し驚き、納得し、足についた砂を払ってまた歩き始めた。
彼は泣かなかったのだ。
娘は戻ってきてもう一度私の手を掴んだ。ひと仕事終えて満足そうである。僕は魔法の言葉を知りたくて「何て言ったの?」と聞いてみた。
「ママがね、お兄ちゃんが泣きそうになったら今日はカレーだよって教えてあげなさいっていってたの。」
そういえば妻は家で野菜を切っていた。今夜はカレーなのか。
家の台所では今頃、大きい鍋にたくさん野菜が移され、カレーがじっくりと煮込まれている。カレー鍋のとろみの中をがゆっくりと、おたま描く模様を想像した。
それにしても、どうして妻は僕に今夜はカレーだと教えてくれなかったのだろうか。
土曜日のカレーを巡って、息子は泣き止み、僕は意味のない嫉妬をした。
君がこの手紙を読む頃には、もうすべてが手遅れになってしまっているだろう。いつもより早く目を覚まし、ご自慢のひげを手入れして、ゆっくりと身繕いをしてから、それでもたっぷりと時間に余裕を持って君は家を出たはずだ。誰よりも早く目的地に着いた君は、自分の足の速さを再確認すると同時に、目的地のあまりの静かさに驚きと少しの疑いとを覚え始めるだろう。そして君はこの手紙に気づく。君の名前が宛先に入っている暗い色の封筒と、差出人の僕の名前を見て、どうだろう、察しの悪い君にもさすがに何が起こっているか分かってきただろうか。
神様のいたずら、なんてものは僕は信じない。神様は僕らにずっとフェアだった。だから神様への逆恨みは止めて欲しい。この結果はあくまで僕の悪意がもたらしたものだ。恨むなら僕を恨め(一度使ってみたい言葉だった)。いろいろ思い当たることがあるだろう? ……ああじれったい。言ってしまうと、僕は君に嘘を教えたのさ。昨日だったんだよ、約束の日は。
君の勝ち気な三白眼が吊り上がっていくさまを想像するだけで僕はわくわくしてしまう。ああ、君のことを考えるだけでこの手紙を書く僕の手は震える。一つは君に八つ裂きにされるかも知れない恐怖のために、もう一つはそれが少なくとも今日は起こりえないことに対する安堵のために、さらには君の愚かさに対しこみ上げる笑いをこらえるために。
君は昔から言われたことを信じすぎるところがあった。それは君の自信から来るものだし、君の無邪気な風体によく合っていた。大事なことほど他任せにしてしまう君は、あろう事かレースの日付を僕に聞いたね。僕は君には何一つかなわないけど、君より弱いという一点だけで君を上回った。神様は常に弱い者の味方だよ。
この件に懲りて、君は多少疑い深くなってしまうだろう。その点には心から同情する。神様に見捨てられる形になった君は、しかし人間という、神様の出来損ないの泥人形たちに好かれることになる。おあつらえ向きだと思うぜ。頭が足りない者同士、うまくやってくれると信じている。
では、またいつか、どこかで。この一年、特にこの月は、僕の偶像を見る機会が多くなるかも知れないが、あまり気にしないでくれ給え。最後になったが、明けましておめでとう。
子年一月元旦
今日の鼠より
出会ったときの彼女は声を失ったことで世界が終わってしまったかのような顔をしていた。
突然出なくなったのだから、突然出るようになるかもしれない。だから、彼女と毎日会ってお喋りをする。それが上司からの命令だった。
10ほど離れた歳の子と会話の糸口を見つけるのは容易ではない。どうやって会話の糸口を探せばいいのか途方に暮れた。会っては無言のまま時間を過ごす日が何日も続いた。
ある日会社で話題になったドーナッツを買って行った。期間限定らしく、可愛いとSNSで評判らしい。最近の子だしSNSはチェックしているのではないかと、珍しく閃いた。
箱を開けたとき、一瞬で表情が変わった。ものすごく嬉しそうな顔をして、ありがとう、って言ってくれた。
そう、声は聞こえないのに、ありがとうって聞こえた気がした。
それがきっかけだったんだと思う。そこからいろんなことを話した。
彼女の声は聞こえないから、こっちは音で伝えて、彼女はジェスチャーもあるけど、殆どが文字だった。
文字で出されると、なんとなく文字で返さないといけないような気がしてきて、気が付いたらふたりでもくもくとスマホを打っている日となっていた。
会社で、お前女子高生ばりに打つの早くね? と言われるほど入力が早くなっていた。
あれ? と違和感を覚えたころだった。彼女が何か言った。
スマホで文字を打って欲しいとお願いしたけど、嫌だと首を振られた。
何度か同じ言葉を言われた。でも、全然何を言っているのかわからなかった。ゆっくりハッキリ口を動かしてもらいメモってみた。あああおおえあいいあい。母音しかわからなかった。
結局、それから会うけど話もしない日が続いた。母音だけがメモられたスマホを見ては、自分で口を動かしてみる。
悲しそうな彼女が目の前でカルピスを飲んでいた。
イライラしていた。だって文字で返してくれればこんな時間なんてかからないのに。
ちょっと待て。
文字で返してくれれば? なにか引っかかった。違和感はそれだ。
そもそも何しにここに来ている?お喋りをするためにここに来ているのではないのか?
ここ最近を思い出してみる。喋っていただろうか? 彼女がスマホに文字を打って見せてくれなくなった直前はなにをしていた?
急に母音だけの文字の意味がわかった。
「俺も君の声が早く聞きたい」
そう言ったら、一瞬ビックリしたような顔をして、彼女は泣きながら笑った。