第202期 #9
「名前?」
急にカタカタとキーを叩いていた手が止まって、レイタが言った。
「は?」
急に何かと思って俺はノートパソコンの画面から目を離して正面を見たら、同じようにこちらを見ているレイタと目が合った。
「お前、そんなの気にすんのな」
意外だ、と言いながらレイタはノートパソコンを閉じた。
あぁ、と思った。それいつの話だ? 全然返事がないから軽く無視されたのかと思った。集中して時間感覚がズレたのか?
一応、聞いてたんだ。そう思いつつ、よっこらしょと立ち上がって台所に消えていくレイタの背中を見る。
開け放たれた襖戸にかかった暖簾をくぐって中で何かを始めた。
俺は白い画面に視線を戻した。
ジャーと水を出す音やガチャガチャと食器の音がする。
ポンッと音がして、レイタの声が聞こえた。
「オレさぁ。実は家族になろうって言ったことあんの」
「え?」
「ヤダって言われた」
「は?」
視線を一気にレイタに向けた。台所の方を見ても開け放たれた襖からはレイタは見えなかった。
再び画面に視線を戻したけど、気分が乗らなくなってノートパソコンを閉じた。
レイタの声が聞こえなくなり、電気ケトルがお湯が沸いたと音で知らせていた。向こうで何かしている音だけが聞こえる。
「オレ、その時すげーショックだったの」急に声がして、振り返るとレイタがマグカップをふたつ持って出てきた。
ことっと音がして、レイタが俺の前にマグカップを置いて、座った。
「オレ等が家族になるって、どっちかが家族を捨てることじゃん。それが耐えられないんだって。でも、今はこのままでもいいかなって思ってる」
そう言ってレイタは自分のマグカップを大事そうに包んで、中に入った緑茶を見ながら微笑んでいた。
「オレはいっちゃんと一緒にいたいから一緒にいて、いっちゃんもオレと一緒にいたいって多分思っているから一緒にいるだけ。一緒にいるために必要なのは関係性の名前じゃなくて、努力だよ」
努力、ともう一度呟いて、レイタはマグカップから顔を上げてこっちを見た。
「そんなものに縋りたくなるくらい、お前、不安なんだ」
ふ〜ん、とレイタはニヤニヤしてマグカップとノートパソコンを持って立ち上がった。
襖を開けて廊下に出たところでレイタが「良かったな」と言って、そのまま去って行った。
開け放たれた空間にミツキが現れて「ただいま」って言った。
聞かれた、って思ったらいたたまれなくなって「おかえり」の4文字がうまく言えなかった。