第202期 #10

あれは金星

「ねえ、今何時?」
「ちょっと待って……六時ね。午後六時」
「約束何時だっけ?」
「五時」
「あの男ども来ないじゃん」
「逃げられたみたいね。根性無いわね、あいつら」
「笑い事じゃないわよ、もう道具全部準備しちゃってんのよ? このワゴン車もわざわざ借りてさ。あーもう苛つく、くそくそくそ!」
「子供みたいにクラクション鳴らさないで」
「……何が悪かったんだろ」
「顔かな」
「ひどっ。顔は悪くないでしょ。悪いのはアンタの顔色でしょ」
「いえ、貴女の目つきよ。傍目に見てヤバかったわよ、あの時」
「……仕方ないじゃん。余裕無かったんだから」
「今はあるわけ?」
「相変わらず嫌味ったらしいね、アンタは……。ま、問題は片付いたし。旦那なら、今頃海の底で蟹の餌よ」
「……ねえ、煙草持ってる?」
「あるけど、いいの?」
「いいから、ジャケットの内ポケット、ラッキーストライク」
「よく解るね。ほい」
「ありがと。いつもそこに入れてたでしょ……ああ、おいしい」
「……医者は何だって?」
「ステージ4。肺だけじゃない、もう全身に転移してるって。何が人生百年時代よ。笑っちゃうわ、私はその三分の一でアガリだそうよ」
「ままならないねえ、人生」
「ままならないものね」
「……私の家の隣に住んでた大崎麻里子って覚えてる?」
「ああ、小六で同級生だった。貴女の初恋の相手でしょ?」
「そう、その大崎。結婚したんだって。子供連れて歩いてるとこを見たって、母さんが」
「あ、そう。あの子の家、なんか荒れてたみたいだし、幸せになって良かったわ」
「それが、捕まったって」
「どうして?」
「児童虐待。ちなみに児相に通報したのは私の母さん」
「……ままならないわね、人生」
「……ままならないねえ」
「……風、気持ち良さそうね。ほら、カモメがあんなに高く飛んでる」
「窓、開ける?」
「いえ、止めとくわ。決心が鈍ると嫌だし、目張りテープを張り直すのも面倒だもの」
「……じゃ、そろそろ始めようか。チャッカマン取ってよ。炭と七輪は、私の足下に置いてるから」
「はいはい……。なんかキャンプ思い出すわね。中二の時の」
「ああ、肝試しとかやったよね」
「……あのさ、変なこと言っていい?」
「いいよ」
「なんか今、すごく幸せな気分。全然苦しくないの」
「そう……お、何あれ。空に光ってるの」
「あれは金星でしょ。空気が澄んでるから、綺麗ね」
「明日も晴れるかな」
「明日も晴れるわよ、きっと」
「うん。晴れるといいなあ」



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