第200期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 200 八海宵一 1000
2 わら 1000
3 My name is Matt Nelson. I'm from Atlanta, Georgia, USA テックスロー 1000
4 サトゥルヌス 三浦 1000
5 地平線の向こうでとびきり甘いケーキを焼こう 彼岸堂 1000
6 そこまでドライブ ウワノソラ。 1000
7 志菩龍彦 983
8 だから一緒に わがまま娘 992
9 海から海へ 川野 1000
10 迷いネコみるきー euReka 1000
11 C'est tout とむOK 1000
12 急いでる ハギワラシンジ 311
13 スキップ、スキップ たなかなつみ 742
14 君の記憶を見せて 塩むすび 1000
15 唾とばしちゅる qbc 1000
16 そこに怪物はいる 世論以明日文句 814

#1

200

「…176……177…あっ!」
 カウントが止まり、全員が倒れこんだ。
「誰だよ、引っかかったの!」
 体育館横で何度となく聞いたセリフ。
 その懐かしいセリフにみんなが笑い出す。そう、こんな感じだったよね、大縄跳び――そんな顔をする。
「よし、もう一回!」
 その声に全員が反応した。いい動きだ。
「いくぞ…1…2…」
 そして、カウントがまたはじまった。
 ……卒業式の前日とは思えない光景だ。
 え? なんでそんなときに縄跳びしているのかって?
 いい質問だ。なぜぼくらが大縄跳びをしているのか、説明するとしよう。
 それは小四の秋。クラス一のお調子者、ケン太が休み時間にいったひと言がきっかけだった。
「ギネスに載ろうぜ」
 前の晩見たテレビの影響だろう。クラスでギネスブックに載ろうとケン太がいいだしたのだった。それ自体は、よくある休み時間の雑談だった。だが、タイミングというのは恐ろしい。たまたま、その話を担任が聞いてしまった。担任はケン太以上にお調子者だったから、
「縄跳びなら、いけんじゃね?」
 と話が進んだ。
 結果、有志での練習が始まった。最初は塾やクラブを理由に参加する仲間は少なく、五人だけだった。だからギネスに挑戦というより、放課後、ワイワイ集まって縄跳びをするみたいな感じになった。
 でも、それがよかった。
 ときどき練習に来る子や、遊びに来る子が増え、だんだん人が集まり、冬休み前にはクラス全員が参加するようになっていた。
 しかも、そこでいい記録がでた。
 こうなると狙いたくなるのがギネスだ。ぼくらは真剣に練習し、年明けにギネス認定員を呼び、その人の前で跳んだ。
 結果は――163回。記録に届かず、ぼくらは小五になり、クラス替えとともに大縄跳びを忘れた。
 それなのにケン太と担任が、今頃になって声をかけてきた。
「大縄跳びをしよう!」
 集まれるのは最後かもしれない。そういって、目標だった200回を達成しようと、二年前と同じ体育館横で跳びはじめたのだった。
「…198…199…200!」
 結果、ぼくらは放課後遅くまで残り、200回を跳んだ。それはもう、意地だった。
 大縄跳びの記録は更新されており、ギネスにならないとわかっていたけれど、それでも当時の目標を達成し、ぼくらは満足だった。
「おめでとう! 200回!」
 担任の言葉に、自然と拍手が起こった。
 確かに200回はギネスじゃない。
 でも、誇れる記録だ。


#2

 崇がサイコキネシスに目覚めた日、大分県の玖珠川ではアユ漁が解禁された。

「ねえお父さんは?」
「大分行ったわよ、釣りに」
 崇にはにわかに信じられなかった。
 サイコキネシスである。一人息子がサイコキネシスに目覚めたというのに、親父は大分まで一人で釣りに行きやがった。
 もちろん予告したわけでもないし、父には父の予定があるのだから恨む筋合いもない。だが幼い崇にはどうにも釈然としない。
 アユを釣るそうだが、泊まりだというし新鮮なまま持って帰る気はないらしい。息子がサイコキネシスに目覚めたその日に、父は一人でアユ釣りを楽しみ、釣ったアユを焼いてビールと一緒に頬張るのだ。
「洗い物終わったら洗濯物干してくれるかしら。そこ置いとくから」
 微粒子レベルで汚れが取り払われていく食器たちに目もくれず、母はそう言い残して洗面所へ去った。
 台所のシンクに両手を翳しながら崇はそれを見送る。一人息子がサイコキネシスに目覚めたばかりだというのに、なに順応してんだこのクソババア。
「あ、シワも伸ばせるわよね?」
「うん……多分……」
 心中で悪態をついたところ、急に母が顔を覗かせたので、崇は染み付いた固定スキルの弱気を発動せざるを得なかった。サイコキネシスを発動できるというのに、俺は何をやってるんだ。
 ベランダで虚空に両手を翳す。
 淀みない動きで洗濯物がひとりでにハンガーに吊るされていく。
 洗濯物に含まれる水分子をひとまとめにして洗濯物から切り離せば数分とかからず全部乾くのだが、母には言わないでおいた。それが崇の精一杯の抵抗だった。
 今頃大分の河原で大はしゃぎしているのであろう父のワイシャツのシワを丹念に伸ばしながら、思いつく限りの呪詛の言葉を胸の内で両親に向けて吐いていところ、突然両肩に重みを覚えた。
 崇の驚愕に呼応するように、宙に浮いていたワイシャツがベランダに落ちる。
 両肩に乗っていたのは、母の筋張った左右の掌だった。あかぎれの感触まで生々しく、今の崇には実感できる。
「心配しないで。崇がどんなふうになっても、お父さんもお母さんも、あなたのお父さんとお母さんよ」
 ここにきてその発想はなかった。崇が応えあぐねていると、耳元で母がいたずらっぽく笑った。
「お父さんばっかりずるいから、夜は焼肉行こっか」
「行く!」
 微粒子レベルで最適な火加減のカルビを食べられるんなら、なんかもう別にどうでもいいや、と崇は思った。


#3

My name is Matt Nelson. I'm from Atlanta, Georgia, USA

 クラブで声をかけた女は笑うと幼さが際立った。貼りついたように笑い続けるので、声をかける前の物憂げな表情はもう思い出せなかった。女は笑いながらブロークンな英語で叫んだ。「ウェラーユーフロム?」
 マットはもともと日本人女性には特に思い入れはなかったが、実物を目の前にして、彼女らに入れあげる同郷人の気持ちがなんとなくわかる気がした。マットはスクールカーストの上位から転落したことはなかったので、下位に属する連中のようにねじ曲がった性癖を持ち合わせてもいなかったし、彼らのように米国で成就できなかった自分の支配欲を、二次大戦後すっかり仲が良くなったトモダチ国のメジャー級人材で昇華させる必要もなかった。マットの見立てでは「メジャー級」の外国人選手を自分の恋人として得意になっている連中はだいたいシリコンバレーにいた。彼らのうちの一人に招かれてその家と同じようにスタイリッシュに振舞う日本人女性を見、彼女たちが「正しい」自由を語るときのまっすぐな小さな目を見るとどうにもむずがゆく、歯の浮くような気持ちになり目をそらすと、スタイリッシュな部屋にすっかりなじんだ掛け軸が目に飛び込み、その時天啓のように、日本で日本人女性を抱かねばならぬと思った。
 ホールの音楽をかき消す声で女が「アーユーオーケー?」とのぞき込んだ。マットは笑うとダイジョブ、と笑って、よかったら家で休ませてくれないか、と言う意味で「オウチ、オウチ、オーケー?」女は笑いながら肯いた。「ダーティーハウス、ダーティー、ダーティー」
 DirtyでもMessyでもないドールハウスのような部屋でマットは女を抱いた。始終女は笑っているようだった。うつぶせに組み伏せた女の肩甲骨にfreeという彫文字を見つけると、マットは腰を振りながら白壁を見、そこに遠い故国を描いた。

 差し込む朝日で目覚めると女が「ハッピーニューイヤー」と笑った。外に出る女についてダウンを羽織り、導かれるまま誰もいない神社の鳥居をくぐった。女の真似をして賽銭箱にポケットに入っていたくしゃくしゃの1ドル紙幣を投げ入れ、笑いながら女を見ると見返す女は真剣な顔で「ユアネームアンドアドレス、ファースト、ゼン、プレイ」「Play?」

 女から返答はなかった。拝殿に向き直るとその後ろに朝日が眩しく、不意を突かれたマットはくらっとして目を瞑り、そのまま押さえつけられるようにして頭を垂れた。


#4

サトゥルヌス

 右側を歩け、と言われて従わなければ笞打たれた。右手を使うな、と言われて従わなければ笞打たれた。何も言われない時は打たれなかった。私は何も言わない父を殺した。父は殺される理由が思いつかないという顔をしていたが、私にはたくさんの理由があった。
 父は悪党だったから犯人探しもされなかった。私はしかし住み慣れた町を離れ、私が知らない、私を知らない土地を目指した。春をひさいで稼いだのは短い間で、身が持たないとわかってからは工房を訪ね歩いた。始めに拾ってくれたのが荒物屋で、ここでずいぶん手先が器用になったが実入りが少ないので金物屋に乗り換えた。ここでは刃物の筋がいいと褒められ、しばらくして刃物を専門に扱う所に引き抜かれた。お前はなってない、筋が悪い、と罵る連中から木偶を装い技術を盗み、ここにこれ以上望めないとわかると逃げ出し、私が知らない、私を知らない土地を目指した。
 さんざん名前を変えたが工房を始めるにあたって一つに定めた。何年かして暮らしも落ち着き、弟子と伴侶を得た。しかし子を持ち、その子が成長していくにつれ、父を殺す夢を繰り返し見るようになった。目覚める度に父の殺し方を思い出し、しかし理由はまったく思い出せず、それは五番目の子が産まれる日まで続き、それからも理由を思い出せないまま父の殺し方を思い出した。私はその手で子たちの世話を焼き、その目で子たちを見守った。落ち着いていた。しかし弟子が、あんた体売ってたんだってな、と言った。竦んで何もできなかった。私は弟子を父と同じ殺し方で殺し、私が知らない、私を知らない土地に逃げた。
 体を売って稼げたのも短い間で、小さな金物屋の下働きに収まり、独立を促されたところを頼み込んで居座ると親子ほど年が離れていたが夫婦という体裁にしてもらった。何年かして新しい名前に馴染んだ頃、子を孕んだ。彼は私を追い出さなかった。その子が成長していくにつれ、また父を殺す夢を繰り返し見るようになった。そして目覚める度に父の殺し方を思い出し、しかし理由は思い出せず、美酒を振る舞われ、目覚めると、三人の男と三人の女が何も言わずに目の前に立っていた。また目覚めると右手に血濡れの鎌を握り全身血塗れ、部屋中に動物の肉片と臓物が散らばっていた。見知らぬ男女は姿を消していて、私は夢を見たのかもしれず、しかし理由を説明できないが、父を殺した理由なら一つ一つ挙げられる気がした。


#5

地平線の向こうでとびきり甘いケーキを焼こう

 小説を書けなくなって二週間が経った。
 目を瞑れば書きたいものが浮かんだのに、思い起こされるのはかつての上司の顔ばかり。
 全てから解放されて夢に向かってフルパワーとは何だったのか。
 
 「うん、いやマジで。一か月前。勢いで」

 電話越しの母は優しかった。
 実家にはいつ帰ってくるのか、だなんて言われると思わなかった。
 やっぱ都会で一人病んで死なれるより、穀潰しとして抱えた方がマシと考えたのかもしれない。
 ソファで寝ながら、右耳にスマホを当てつつ、周囲を見回す(我ながら器用だ)。
 高校と大学の時の文芸誌。何書いていたんだっけ。
 母の声。あんたは頑張ったと思うよ。
 本棚。氷と炎の歌。夏への扉。陰陽師。杜子春。蜂蜜と遠雷。
 昨日はあんなに寒かったのに今日はかなり暑い。まるで夏だ。洗濯ものよ存分に乾け。
 日は傾き始めている。 

 「新幹線まだ買ってないしさ。え、いやそりゃ新幹線でしょ。ええ? 飛行機?」

 母と会話しながら私はテレビをつける。
 これ以上、母の声を聞きながら部屋のもの一つ一つの存在を認識したくなかった。
 
「まぁでも飛行機でも――――」
『――――り返します! これは、現実の映像です!』

 そして私はテレビ上で繰り広げられているそれを見る。
 
『――突如現れた――――未だ都心部を――』
「……え、母さん今テレビ見てる?」
『こんなことが、ああ、そんな――』 
「あ、そう。へぇ」
『――――府はたった今――――』
「え? ああ……まぁ後でいいんじゃない?」
『緊急――――』
「うん。うん――――」
『ただちに――――繰り返します。ただちに――』
「まぁ歩いてくわ。え? いや冗談じゃなくてね。あ、それと」

 私はテレビを消した。

「私、小説書いてたんだ」

 私は通話を切った。

 窓の外で明滅する光。聞いたことのない音。
 ……そうだよ、思い出した。
 いつだって私は、コーヒーに砂糖。痛みに喜び。死に花を添えてきた。
 そしてそれは――――心の安寧なんて程遠いところから生まれるものだったんだ。
 なんで忘れてたんだろうな。私はソファから飛び起きた。
 
「さて」

 炎。硝煙。慟哭。血。肉と骨。光。星。夜に闇。月。
 少女の手と髪。海。果て。地平線。
 きっと溢れてくる。すぐそこまでくる。
 今しかない。
 ――本物がある今しか、私が書ける最高のものは生まれない。

「まずは、題名から」

 そうさ、私は――――書かなきゃ生きていないのさ。


#6

そこまでドライブ

 初めて乗せてもらった小夜ちゃんの車は、お花の甘い香りがふわっとして女の子の車だなぁと思った。
 私が道路に出た時には、目的地をナビに入れている所だった。彼女は手足が悪い。指に軽く拘縮があるので、ナビのタッチパネルを押すのも指の第二関節辺りを画面に軽くぶつけて、ノックするように器用にやっていた。

「さっき豚骨ラーメン食べてたから、臭かったらごめんね」
「大丈夫、大丈夫。てか、車なんかむっちゃいい匂いやね。なんか、女子の香りって感じ?」
「そうかな? 鼻が慣れて全然わからん」

 小さな手足を軽々動かし、車が滑り出す。右手はハンドルを。左手はシフトレバーを握っている。ハンドルに取り付けてある革製の器具に手をはめることで、手首を捻らずとも腕を動かせばハンドルを回せるようになっていた。
 船長が舵を切るようにハンドル捌きは軽快だ。

「ラーメンて、彼氏と一緒に食べてたんや?」
「うん、すぐ西行ったとこのラーメン太郎ってとこ。美味しかったよ」

 小夜ちゃんの彼氏は、ラーメンが好きで少し年下で。一人暮らしをしているのでよく料理を作りに行っていることを話を聞いて知っている。

「今日は彼氏さんと遊んでたんやねぇ」
「うん、旅行の計画一緒に練ったり」
「へぇ。今度はどこ行くん?」
「福岡と長崎と」
「お、九州やん」
「なんかなぁ、私が九州行ってないって言ったら向こうが凄いビックリしててな。というか普通行ったことあるもんやろ、て言われて。そんな珍しいもんかな」
「んー。あんま行く機会ないかな、修学旅行は九州やったけど」

 彼氏のこととなると、いつもどこか小夜ちゃんは愚痴っぽい。しょっちゅう週末になると会っているのに、積もりに積もった不満がポロポロと会話の端々から溢れていく。
 それを若干内心面白がって聞いている私は、捻くれ者だ。

「きちんと一緒に計画練れてるだけ凄いやん」
「そうかなぁ、流石に九州は色々調べとかないとなぁって」
「うん」
「うちの彼氏、ずっと携帯ばっかり触ってるから『お得意のスマホで調べたら』って冷たい感じで言うてしまうんよ」
「あはは、ほんま」

 ちらちらと、小夜ちゃんはこの彼氏といつまで続けるのだろうと考えてしまう。何だかんだ仲は良さそうだけど、小夜ちゃん自体にこの人とずっと……という風な、期待のようなものは微塵もないし。

「私ももっと寛大になりたいとは思うんやけど……」

 信号を見つめたまま小夜ちゃんはポツリ溢した。


#7

 その沼のことを知る者は少ない。
 標高三百メートル程の山の中腹、暗い森の中にその沼はあった。微かな木漏れ日すらも反射しない黒黒とした水面は、まるで大暗黒の穴のようであり、見る者全てに耐え難い恐怖を呼び起こした。
 山の麓には古い町があり、武家屋敷じみた古民家等が、時の流れに取り残されたようにひっそりと佇んでいた。
 この町で沼のことを知っている人間を見つけるのは難しい。居るには居るが、その殆どが意識の曖昧な余命幾何もない老人である。しかも、実際に見たことのある者はさらに少ない。何故なら、その沼は禁足地として彼等に忌避されていたからだ。
 当地に伝わる昔話の中に、沼のことを語ったものが一つだけある。
 豊臣秀吉が九州征伐をしていた頃、ある大名の姫が家宝の宝刀と供に山へ逃げ落ちて来た。彼女等を狙う沢山の武者がその後を追ってきたので、進退窮まった姫はついに宝刀を抱いてこの沼に身を投げてしまった。
 だが、姫の死体も宝刀も浮かんではこなかった。諦め切れない武者達は鎧を脱いで沼に潜ったが、その武者達までもが一人として戻らなかったのである。以来、この沼は恐れられ、入らずの禁忌が誕生したとされている。
 しかし、事実は違う。この沼が実際に恐れられ始めたのは、もっと古い時代の話だった。
 そも、この沼は何時から存在したのだろうか。書物には何も記されておらず、人の口にも微かにしか伝えられてはいない。
 だが、人間の想像力の及ばぬ遙か太古から、この沼は其処にあったのである。
 人類の祖先がまだネズミの一種であり、それを食らう爬虫類が地上に跋扈していた頃、地殻変動の影響で海底が隆起し、山となった。
 その山に、沼は既に存在していた。
 何億年も昔から、沼は有象無象を飲み込んできたのである。
 ネズミが猿になり人間となり、村を作り町を築き国を作り上げる中、ただ、沼は沼として其処にあり続けた。
 この沼が何であるのか。その謎を、人類はついに解くことが出来なかった。人類が死滅し、この星がただ砂と風と奇妙な獣が彷徨うだけの世界となった後も、変わらず沼は黒い闇を湛えていた。
 
 この沼から距離にして幾億光年も離れた或る人類未踏の地に、巨大な白亜の霊廟があった。
 そこに眠る古代の王族の木乃伊の中に、古式の打ち刀を持った女人の木乃伊が奉られているのだが、人類がそれを知り得ることはついになかった。


#8

だから一緒に

久しぶりに友人の部屋に入った。膨大な参考資料とモノが所狭しと置かれたその部屋は、あの頃と何も変わってなかった。

初めて出会ったのは高校生の時だった。ずっとゲーム雑誌を読んでいたから、勝手にすっげーゲームがうまいんだと思ってた。
当時流行っていたRPGでどうしてもたどり着けないところがあった。それをアイツに聞いたのが、初めての会話だった。
手っ取り早く攻略してもらおうと思って、自宅でやってもらったら、滅茶苦茶下手だったのに驚いた。でも、コマンドとか正確に覚えてて、いろいろ教えてもらった。いわば、ちょっとしたナビだ。
大学生になっても一緒だった。夏休みとか一緒に貫徹して攻略したゲームは数知れず。
あっちは頭脳。こっちは筋肉?
隠しダンジョンとかそういうのもよく知っていて、一緒にいるとウザいと思うときもあった。なんか、こっちが操作されているような気になっていた。
だから、就活とか卒論とかを理由にどんどん会わなくなった。自分の思うようにゲームがしたいと思ったんだ。
気付いたら、全然会わなくなっていた。大学を卒業したら連絡先さえも分からなくなっていた。

ある日、本屋に入ったらアイツが読んでたゲーム雑誌があって、まだあるんだなって思った。
なんとなく懐かしくて手に取って開いたら、本当に小さな記事だったんだけどアイツの名前を見つけた。本当にアイツかどうかはわかんないけど、間違いないって確信してた。
そういえば、ゲームを作る側になりたいと言っていたような気がする。
なんだか悔しい気持ちになった。あっちは自分のやりたいことを着々と進めていて、自分はどうなんだろうって。
アイツと会わなくなって、何をしていたんだろうって。
悲しい気持ちと悔しい気持ちが込み上げてきて、雑誌を手にしてレジに向かった。

自宅から電話があった。アイツの葬式があると言われた。

一度、自分でゲームをしたいと思わないのか? と聞いたことがある。不器用だからうまくコントローラーが操作できなくてって困ったような顔をしていた。だから、コマンドを早く正確に打てるのが羨ましいって言っていた。
久しぶりにアイツの部屋に入った。膨大な参考資料とモノが所狭しと置かれたその部屋は、あの頃と何も変わってなかった。
いつかは自分もゲームを作りたいんだ。でも、考えることはできるけど形にするのはどうもできなくて。だから一緒に……。

今からでも、追いつけるだろうか?


#9

海から海へ

遠浅の海に足を浸しながら、ここにいるアサリの数を考える。広さを何平方キロと仮定し、などとフェルミ推定を使うよりも漁協に聞いたほうが早いのだろう。この海に棲みついている数より、潮干狩りのために撒いている数のほうがきっと多いのだ。水揚げが低迷するアサリのかわりに、遠い海のかなたから船底に付着してきたホンビノス貝が、この海の新しい名産品になっているのだと聞いた。ホイル焼きかクラムチャウダーにすると旨いらしい。

一昔前に採用面接で流行ったというフェルミ推定が実際にどんなものか自営業者の僕が知るはずもないから、もしも面接官を務める機会があれば、遥々とアメリカ西海岸から日本まで旅をしてきたホンビノス貝の気持ちを考えましょう、などと小学生向けのような質問を投げかけたい。何の能力を測るのかは分からないが。

西海岸の干潟に生まれ、暖かな海中を浮遊幼生として漂い、成長すれば干潟に再び沈着し、潮が引けば日差しに照らされて砂に潜り込む、その平穏な繰り返しだけで一生を終えるはずだった貝が、ふと現れた固いものにしがみつく。それが岩礁や護岸でなく船体だったために遠い外洋へ運ばれていく。深く冷たい海の上を進み、海流に揉まれながら海中の国境を越えていく、そのあいだに貝は何を考えて……といっても高度な意識も視力も持たない貝たちは、異存もなく異国の海にあっさりと慣れ親しんだのかもしれない。

遠浅の海に足を浸しながら考える。浮遊する稚貝たちが足にしがみついて、このまま僕が陸に上がれば彼らは干し貝になる。このまま海に足を浸していれば僕の足がふやける。このまま遠浅の海を歩いていけば、遠浅という言葉のとおりに遠い沖まで際限なく歩けそうにも思える。

稚貝たちと僕を外洋へ連れ出すような大きな船が、この干潟には乗り入れてこないのなら、かわりにカヤックでも浮輪でもいいから外洋へ、どこか遠くの海へ流されていき、どこかの見知らぬ干潟へ流れ着きたい。いや、思い返してみれば自分がいま立っている干潟が、いつか辿り着いた見知らぬ干潟なのだと気がついた。生まれる場所も暮らす場所も自分の意志では選べない、そんなのは貝にも人にも当り前のことだ。

海水に流されて稚貝たちは再び沖へ向かった。僕はもうどこへも向かわずに、子どもたちの待つ家へ帰る。砂から掘り出した大きな貝をいくつかビニール袋へ放り込む。ホイル焼きかクラムチャウダーを作って夕食にしようか。


#10

迷いネコみるきー

 秋のページに踏み出したスニーカーの足裏が、ぐんにゃりとした空想の地雷を踏んづけてしまった私は、きっと次の瞬間に爆発しながら砕けていくセカイの匂いや甘い殺意、そして食べかけのシュークリームにさよならを言うひまもなくただ地面に向かってぐきゅーと叫びながらその踏んづけている足元に目をやると、それは空想の地雷なんかじゃなく昔なじみの迷いネコみるきーの柔らかいお腹だった。
「夏は終わったんだね」と、みるきーは私を見上げながら言った。「ほら、彼岸花が揺れて」
「ごめんね、みるきー」
「僕はネコだけど決してにゃあとは鳴かないのさ。でも時々は、にゃあと鳴きたくなるときだってあるんだよ」
 私は、セカイが砕けるほど心地よいネコのお腹に、そのまま沈んでしまいそうな自分にハッとして足を引っ込めた。
「ねえ、みるきーっていつも、サビついて動かなくなった風見鶏みたいに夜空を眺めながら星を数えているでしょ」
 迷いネコみるきーは、私の空想の地雷に付き合ったせいで内臓が破裂し、咳に血が混じりはじめていた。
「私ね、もう無理して星なんか数えなくてもいいと思うの。だって星の数には限りがないけど、みるきーはいつか死んでしまうでしょ」
 私は、落ち葉が秋の絵を描き始めた地面にゴロンと寝そべると、力なく横たわる、ネコの流れるような体の線にそって指先を滑らせた。
「僕はね、にゃあと鳴くことに疑問を感じていたのさ、それでね」
 みるきーは肋骨も折れてるみたいだった。
「僕はね、にゃあと鳴くことをやめてみたんだよ。そしたらね、もっと疑問が増えてね」
 仰向けになったみるきーは、滝のように血を吐き出しながら、肉を焼く炭火のように赤く燃える、夕暮れの空を見た。
 私は体を起こして、缶ビールを開けた。
「僕はね、秋という季節が嫌いだから、秋の間はいつも夏のことばかり考えているのさ。入道雲とか、ノースリーブから覗く肌とか、ラジオ体操とか。するといつの間にか冬になっていてね。冷たく澄んだ空気を吸い込むと、今度は秋のことを考えてしまう。嫌いな季節だとしても、せめて秋刀魚や秋ナスを食べておけば良かったと後悔するのさ」
 私は缶ビールを飲みながら、食べかけのシュークリームを食べた。
「でも春になると、僕は一からやり直すことができる。僕は何にだってなれるし、何でもできる。だけど今は、僕を抱きしめて欲しいんだ。君が僕にくれた、お気に入りのバスタオルにくるんで」


#11

C'est tout

 午後遅く。初夏の鮮やかな空が、急に昏くなった。濡れた黒い舗道をローファーで蹴って、高校前のバス停、古い物置を縦に割ったような待合所にかけ込む。
 埃まみれの板壁の傍で屈んだ、二十日鼠みたいなワイシャツの背中。一瞬あたしを見上げた顔は同じクラスの(誰だっけ)。その背中に、一応、
「バスの人じゃなくない?」
「チャリ盗られた」
 別に、それだけ、という風に。膝を抱え、スマホを見ながら。
 (誰だっけ)は目立たない。背が小さい。月に何度か勝手に休む。それくらいの、いたって普通の男子。踞る背中なんて見たことない。見たくもない。そこに誰もいないみたいに、ヘッドフォンから低く流れるチェロと、雨音に体を預ける。瞼の裏に森が広がってゆく。雨霧に煙る森の奥、慈雨を湛えた泉。あたしは手を伸ばす。

 野太いほどのアルトの不協和音。麦茶色のいかつい膝、膝。ぱんぱんのスポーツバッグに押されて、あたしの膝が(誰だっけ)の脇腹に当たる。背中は踞ったまま、動かない。動けない。それ以上壁には寄れない。
 膝から聞える。灰色の背中、濡れた呼吸に息が詰まる。

 小六の夏、好きだった男の子。一つ上の、中学生。好きだった、としか言えない、夢のような、好き。スナックの二階の、西日の射しこむ一間。学習机と化粧台。キッチンで電話をしている、甘ったるい、化粧くさい声。
 触れられるのはまだ怖くて、そしたら、
「お前って、普通んちの子だもんな」
 ざらりとした虚ろな拒絶に、軋んだ。
 仕事中毒のパパと、通販依存症のママ。家族のために家族を見失ったパパがいない夜を、ママは空っぽの段ボールで埋めた。
 どうでもいい、と、普通、は似ている。だから、軋む。

 泉の幻影は古い映画のシーンだと思う。幼い頃、家族で見た最後の。スクリーンの中と外で、あたしは手を伸ばす。繰り返し、何度も絶望する。

 機銃掃射みたいに荒々しいディーゼル音が、目の前の路上に止まる。湿ったスニーカーの重い足音が、次々とステップを昇り、箱の中へと呑まれてゆく。
 その横腹に開いた、黒い大きな口。
「乗らないの?」
と、踞ったままの背中。

 ドアが閉まる。
 バスが走り出す。いま乗った麦茶色の顔たちが、高い車窓のなかで一斉に揺れた。もうこちらを見ていなかった。
 彼は動かない。チェロの旋律と雨音が戻り、瞼の裏で彼の呼吸に混じりあう。深い森、雨に煙る泉。あたしは手を伸ばす。頑なな背中に、指先が触れた。


#12

急いでる

 6931。
 二階堂はスマホにpinコードを素早く打ち込む。

「話聞いてる?」
「ああ」

 暖冬だった。薄い長袖で、ポケットにハーフのハンカチが入っている。

「ほんとうに?」
「本当だよ」

 二階堂は Chromeを立ち上げて、何かしらのブックマークページを開く。

「プログラミングがしたいんだ」
「わかるよ」
「意味わかってる?」
「ああ」

 二階堂はChromeを閉じた。そこで、じっと考えたあと再びChromeを開く。

「なぁ、プログラミングがしたいんだよ」
 彼はしきりに汗をぬぐう。
「冬だけど」二階堂はtwitterを平行で立ち上げる。「暖かいな」

 彼は長袖を捲る。両腕の。

「なあ」
 Twitter を閉じる。
「えっと?」
「急いでるんだ」


#13

スキップ、スキップ

 スキップの仕方を教えている。
 ほら、影は軽々と手本を真似して跳び始め、肝心のおまえはよろめくばかり。
 ほら、影はあちらからもこちらからも集って跳ね始め、肝心のおまえは怖がって目を塞いでひとり蹲るばかり。
 ほら、影は上から幾重にも次から次へとかぶさっていき、肝心のおまえの姿はその下で覆い尽くされ見えなくなってしまう。
 やがて、積み重なった影の隙間から、小さな細い光が漏れ出てくる。生まれたての光はまだなんにも知らず、けれども、ただそこに在るだけで強い力をもちうるもの。未熟な光はなんらの意図もなく、無邪気にその明るさで、積み重なった黒い影を溶かしてしまう。影の断末摩の叫びもその苦しげな揺らめきも、幼い光にはまだその意味も痛みもわからない。光はただそこに在るだけ。そして、周囲を照らすだけ。
 かつては重たくて分厚い影だったものが、鋭い光に照らされ、どろどろと流れ落ち気化してその場から消えてしまうと、その下から、おまえだったものの塊が現れる。光はやはりなんらの意図もなく、ただそこに在って、おまえだったものに自身の光を当然のように照射する。おまえだったものは影だったものと同じように、表面から徐々に溶解してぐずぐずと崩れ落ちていってしまう。おまえだったものはすでにもう塊ですらなく、個々に分かたれてしまった断片になりはててしまっている。
 けれども、断片は、軽い。そう、おまえたちは、軽さを取り戻したのだ。
 光が跳ねる動作を繰り返して、意図せずスキップの仕方を教えている。ほら、何にもつながらずに影さえも従えることがなくなり全く意味のない欠片となったおまえたちは、てんでばらばらに、全くもって好き勝手に、もう何を手本として真似することなく、ただもう思うとおりに。
 スキップ、スキップ。


#14

君の記憶を見せて

 ある晩、私は目覚めた。夢の中でさえ祖母の顔を思い出せなくなってしまっていた。私は祖母が可愛がっていた犬の首輪と出かけることにした。
 満月には靄のような雲が絡みついていて薄暗く、なんだか生ぬるい夜だった。かつての散歩ルートを祖母の墓に向かって歩く。いうことを聞かない犬と力任せにリードを引く私が思い出された。顔を変形させながら抵抗する犬、その脇腹を蹴り上げる私、悲愴な鳴き声。あれから犬は私が手を伸ばすと怯えるようになった。
 もともと犬は祖母の持ち物だった。祖父を喪った祖母の空洞を癒すために譲ってもらった犬だった。それから祖母は明るさを取り戻していったはずだが、もう思い出せない。遺影の中の切り取られた笑顔からはうめき声しか聞こえない。祖母は苦しんで死んだ。犬もほどなく祖母を追うようにして死んだ。

 私は首輪を墓に供えた。思い出せないならもう忘れるしかない。
 そのときだった。星屑が墓と首輪に降り注ぎ、そこから女の子が生えてきたのだ。
 ははーん、さては犬が化けて出たのだな。
 私は少女に話しかけた。
「もしかして君って『お手』とかするの?」
「はあ?」
「お手!」
「しないっての」
「おすわり」
「だからしねえよ」
「ハウス!」
 少女はうるせえ奴だなと言って舌打ちをした。
 私は思い切って手を上げたが、少女は無反応だった。なので試しに頭を引っぱたいてみた。
「いってえな……」
 少女は信じられない勢いで前蹴りを繰り出した。鳩尾にヒットして私はダウン。すかさずサッカーボールキックが飛んでくる。チカチカとする意識。鼻を衝く鉄の味。

「キャッチボールでもするか」
「フリスビーじゃなくて?」
「前にもこんなやり取りがあったような」
 少女は思い出すようにして続けた。
「確か、フリスビー投げるやつがすっごいヘタクソでさ。結局球に変えたんだよ」
「そうなんだ」
「とりあえずおやつくれよ」
「どんなの貰ってたの?」
「ジャーキー。少し歩いたらちょっとだけくれるの。ズルいよな」
 ふと私たちの目の前を祖母と犬がゆっくりと通り過ぎていった。祖母は穏やかな顔で犬を見つめ、犬は祖母を窺いながらトコトコと歩いていた。信頼し合っているようだった。祖母と犬はやがて四つ辻を曲がってどこかに消えた。
 背後で物音がした。振り返ると少女は消えていた。首輪が地面に落ちていた。靄はいつしか晴れていて、月は輪郭を丸く光らせながら世界を青く明るく照らしていた。


#15

唾とばしちゅる

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#16

そこに怪物はいる

 奴は大化の元号と共にやって来た。深い谷から姿を現し、最初は一枚の田を襲った。米を喰い尽くし腹を満たすと、荘園を治める領主を襲って、脳をNoと言わせずに乗っ盗った。
 姿はアメンボの態(なり)をしていたが、その体高は七尺と大きく、竿のように長い足を伸ばすと二丈余りに広がった。その巨躯を領主だった者の頭の上に乗せ、光を吸い込む真っ黒な瞳でいつも人間を見下ろしていた。床の前で操る体を厚い座布団に座らせ、家中に命令をしていた。
 領主の体は欠かさずにキセルを吹かしていた。奴はその紫煙を吸い込み、自分の卵の養分としていた。必要な身振りは領主の体にさせ、養分を摂って卵を産むことに専念していた。奴自身は巨躯だが卵は小さく、白くて米粒と見分けがつかなかった。卵は収穫された作物に混ぜられ、一緒に宮古に納められた。
 時は令和、奴は活動を息長く続けている。村では米、麦、蕎麦を生産している。年中、それを村から無数のトラックが運び出している。
 奴の卵を食べた人間は少しずつ気力を失っていく。頭まで沸けば「アベ政治を許さない」などと言って、同じ言葉を繰り返すようになる。催眠術を掛けられたように、自分と他人の意思に境がなくなり、いつの間にか操られていることに気付かない。意見を同じにし、その中にいることで、何かに属することに生きがいを得る。
 全ての人間が奴の虫を体内に飼っている。気付かずに卵を摂取し、育て続けている。多寡に差こそあれ、体内で数を増やし、あなたも嫌な虫に吹かれるのを感じることがあるだろう。そいつはあなたの気力を好物にして育っていく。すると人間はだんだん、夢を持ったり、自分の道を進もうとしたりすることに、気力が注げなくなっていく。そんな時は、今も領主の躯の上でこちらを見下ろす奴の姿を思い起こせ。真っ黒い瞳が今もあなたを見ている。屈しようとするあなたを、もの言わず奴は見下している。
 人間よ。抗え。負けるな。臆病風という怪物に。


編集: 短編