第199期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 名探偵朝野十字の最近の活躍 朝野十字 1000
2 小春日和 かんざしトイレ 1000
3 危ないことは分かってる ハギワラシンジ 1000
4 ゲイやん テックスロー 989
5 2019年3月29日 (あ) 1000
6 仮想狂気 世論以明日文句 999
7 溢れる汗がひしめく箱 ウワノソラ。 992
8 先回り わがまま娘 998
9 或る人形の物語 たなかなつみ 962
10 お母さんの指、きれい qbc 1000

#1

名探偵朝野十字の最近の活躍

 私はIT企業に勤めているが部署は経理課だ。昨日同僚の沢田加津子さんが部長に呼び出しを受けた。沢田さんが担当する経理データが営業データと不整合だという。
「私、なんのことだかわからない。営業部門のデータなんか知らない。なのに弁護士が同席してすごい疑われてる感じだった。どうしよう。ねえ。新之助君、助けて」
 私は部長に説明を求めたが一蹴された。なんらかの犯罪が行われているとの懸念があり、特別なチームが組まれて秘密裏に内部調査していると噂する人もいた。しかし、沢田さんは真面目で誠実な人だ。近々結婚する。相手もとてもいい人だ。濡れ衣を着せられたとしか思えなかった。
 私は柄にもなくあちこち嗅ぎまわり情報を収集した。ある者は社内の派閥争いと関係があると言い、また別の者は部長本人に人格上の問題があるとにおわせたりしたが、噂の域を出ず一向に埒が明かなかった。
 ある日、私は終業時間ごろプロジェクト推進室の前の廊下で先輩を待ち伏せた。プロジェクト推進室はIDとパスワードがないと入室できない。社内システムの全面的刷新のためのプロジェクトが進行中だ。私は推進室から出てきた先輩を呼び止めた。
「先輩。今のプロジェクトのことなんですが」
「君には関係ないだろ」
「もう一部本番環境で使われてますよね。経理データと不整合なんです」
 先輩は不愉快そうに眉をひそめた。
「何と不整合なの?」
「営業データとです」
「どの?」
「私は知りません」
「話にならんな」
「でも沢田さんが疑われてるんです」
「…………」
「来月結婚するんですよ」
「だから、なに?」
「幸せになってほしいんです。誰だってそう思うはずだ」
「バカなの死ぬの?」
 一旦はそう言って立ち去った先輩ではあったが、営業データに問題があるなら解決する責任がある。私は連日先輩に付きまとった。とうとう先輩が経理課に来て沢田さんの話を聞いた。そのあとは早かった。
「情報系のSQLに不具合があり基幹系と不整合だった」
 遂に先輩が認めた。
「沢田さんは悪くなかった。そうですよね。先輩の口からそう言ってください」
「情報系の不具合は解消しこの案件は完了した。これ以上何を言わせたいんだ。地球は丸いってか。前から思ってたが、君はつくづくマヌケだな」
 先輩は来なかったが、私は沢田さんの結婚式に出席し、新郎の前でどうかと思われるほど強くハグされた。
 今、心から言おう。
 ありがとう、名探偵 朝野十字!


#2

小春日和

「小春日和って春じゃないんだって」
彼女は言った。
「そう」
僕の心は過去に漂う。
あれは秋だったのだろうか。それとも春だったか。
ポカポカ陽気の休日だった。昼近くまでうとうとと過ごし、食事のために出かけることにした。ドアを開けると光が力強くてあたたかかった。おだやかな気持ちだった。
しかしそんな気分はいいようのない不安に取って代わられることになった。
アパートの前の生活道路に出ると、新しく整備されたガードレールの支柱の一つ一つに、執拗なくらいにのぼりが立てられていたのである。
真新しい緑地に白抜きの文字だったと思う。維新の風、とだけ書かれていた。不穏な空気を感じたのは僕だけだったか。音をなくしたその景色を今でも覚えている。
革命か、と思った。維新といえば内乱と暴力革命にほかならない。二・二六事件のような暗い時代の予兆ではないかと本当にそう思ったのである。
サピエンス全史を僕はまだ読んでいない。宗教も貨幣も国家もフィクションだと書いてあるらしい。そうだろうな。古代の妖術は現代のマネーみたいなものだとある小説家が書いていた。人々が信じているから効果を発揮する。虚栄は人間の存在そのもの、とこれはEテレ。納得性がある。王様が裸であっては困る人たちが口をつぐむ。真実を求める態度は敗れる運命にあるのだろうか。そのとおり。それが人間の原理であるならば、天に逆らうものは亡ぶ。
だが、程度問題である。フィクションにフィクションを重ねることは不安定さを増す。バブルは崩壊し、カルトは自壊する。フィクションの上塗りのようなスローガンはいつかは見透かされる、きっと。嘘は論外だ。勘弁してくれ。性善説というフィクションはどうだろう。効果があるという認識が広まればもっと採用されるのだろう。抑止力というフィクションみたいに。
なんと面倒なのだろうか。フィクションの海で息継ぎするにはどうすればいいのか。自然に出かけるか、自然科学か、哲学か、仏教か、老荘か。いやむしろ自分たちの真実という毒を以て毒を制す方法もあるだろう。この物語はフィクションです、と端から明らかな心地よい世界にどっぷり浸かる手もあるだろう。とはいっても人間をやめるわけにはいかない。簡単には逃れられない。
「ねえ聞いてるの」
「ごめん」
本を読む人間は皆、心ここにあらずなのだと、これも何かで読んだ。僕はこの人生としっかり向き合わなくちゃいけない。それでもこの人生と。


#3

危ないことは分かってる

 風が強くて、温度も低い。
 昨日までは暖かかったのに。今日は危険だ。
 これから人と会う。そして彼は危険。
「久しぶり」
「久しぶり」
 彼は笑顔で言った。
「あそこで飲もうか」
 そうしよう。
 地下の居酒屋は人があんまりいなかった。僕たちと店員がいくらかと、まばらな他人。
 僕は黒いビールを頼む。彼は青いカクテル。
「お前の方から会おうっていうなんてな」
「ああ」
 乾杯、とグラスを傾ける。何に乾杯したんだろう。
「最近どうだ。俺と連絡を断ってから」
 僕は過去を思い出す。どのくらい過去を思い出せばいいだろうか。
「特に変わってないよ」
「お前の顔を見れば分かるよ」
 彼は笑う。自分の顔をぺたりと触れる。そうか?
 それから色々話した。僕や彼のこと。なぜ連絡を断ったのか。景色や風景、忘れられない思い出など。
「それで石はやったのか?」
「まだやってない」
 既にタバコを十本吸っていた。普段はそんなに吸わない。女が悲鳴をあげていた。いつの間にかたくさん人がいた。酒を飲んでいた。他にも悲鳴をあげていた。だけど、楽しそうだ。
「いい加減にやれよ」
「でも、彼女と別れてさ」
 彼はそこで席を立った。僕はよくフリーズするスマホを開き、pinコードを叩く。ブラウザを立ち上げて、何をしようとしていたのか思い出そうとする。十秒前を思い出せない。本を取り出すのに二十秒かかる。
 ばたん。
 誰かが倒れた。
 カウンターで彼が倒れていた。周りには男がいて、女がいた。彼を囲んで何か話している。
 僕はぶるぶる震えてトイレにいった。
 黒くない小便がたくさん出る。男子トイレは汚い。ばたん、とドアを閉める音がする。女が入ってきた。
「あっ、ごめんなさい」
 彼女は間違えていた。酔っぱらっていたのだろう。小柄で声も小さい。
「いいんですよ」
 僕は手を洗い、石を殺す。幸い彼のお陰で外が騒がしかった。
 僕は地下の居酒屋から出る。
 外は寒く、風が強い。危険だ。本屋に寄ろう。普段は本なんて読めない。風と同じで。関わるには勇気がいる。
 彼女と別れたのもこんな凍ての風が吹く日だった。実のところ、その時石を追っていた。結局僕を遠ざけた理由を教えてくれなかった。
 さっきまでいた居酒屋には人だかりができていた。何かあったのだ。僕は何かを思い出そうとするが、思い出せない。
 駅に行く。ふと思い立つ。今度海外に行こう。今日は寒い。風が強くて、危険だった。分かりきったことだ。


#4

ゲイやん

言うておまえ、ゲイやん
ちゃうし
あれ、お前この前いうてなかったっけ、ゲイやて
はあ? そんなんいうてへんし
でもゲイなんやろ
なんでそう思うねん
だってお前ゲイいうてたし
だからいうてないやんけ
でもお前女別に好きちゃう言うてたやん
それは言ってたよ、でもそれ別にゲイっていうこととちゃうやん
男と女どっちが好きか言うたら男かな言うてたやん
ああ、それは言うたよ
ゲイやん
ちゃうやん
なんでなん
別に男好きでもゲイと違ってええやん
ほんなら俺お前のことどう認識したらええねん
難しい言葉使うなや、なんやねん認識て
なんて言うの、いや、知り合いに男好きな男おるていうより、知り合いゲイやでっていうのが早いかなて
どういう流れでそんなことになんねん。大体どっから人のこと紹介しとんねん
そうか?
そうやろが、性的なこととか、普通最後のほうにしかでてこんやろが、大体俺今性欲ないし
なんでやねん
しらんわ
疲れてるんと違う?
だとしたら原因はお前よ
で、ゲイとは違うんやな
言うてるやん違うって
わかったわ。じゃあ友達に電話しとくわ
何をやねん
いや、友達に男好きな男おらんか言われたからお前のこと頭に浮かんだんやけど、なんかめんどそうやし
待てよ
断っとくわ、ごめんな
待てって
なんやねん
詳し聞かせろや
何をやねん
お前のその友達の話やんけ
ああ、友達? 立命出て役所で生活保護係やっとるで
ちゃうやん、そういうんと違うくて、なんなん、そのひと、男好きなん
なんやねんお前、さっき言うてたことと違うやんけ、人のこと性的なとこから紹介すんないうたとこやんけ
それとこれとは話違うやん
何なんお前、気になんの?
そら、気にならん言うたら嘘やろ
ゲイとしては
男好きとしては、じゃ。訂正せいや
ふーん。まあ、真面目な奴やで、自分のことゲイや、言うてるわ
写真とかないの
ちんこの?
違うわぼけ

ほんであれからうまくいってるの
まあまあ。本屋行ったり、映画行ったり
セックスしたり?
してないわ。するかどうかも知らへんし
えー、そういうもんなん?
そらお前ひとそれぞれやろ
でもそれやったら俺と映画行ったりしてるのとなんも変わらんのと違うの
見かけ上はね。まあでも、やっぱ違うよ
何が
愛が
愛か
愛よ
愛ね……

っていう話があって
ふうん
俺らもそろそろ愛を身体で確かめなあかんの違うかなと
その話の流れやったら身体で確かめんでええやん
ええやん
よおないわ。あと三年待たなあんた犯罪者やで
世知辛いな
せやね
ほなまたね


#5

2019年3月29日

録画と録音はダメだけれども文章だったらいいよと言われたので、この前のインターンシップのことを何回かに分けて書いていきたい。

Q社に昨年入った研究室の先輩からは、仕事内容や社会人のプライベートなど色々と聞いていた。自分も体験してみたい、と安易に考えてインターンについて問い合わせてもらったら、たまたまタイミングが良かったようで、今回参加することができた。
Q社は業界では有名なスタートアップ企業で、その演習林は噂通り広大だった。森の中には湖、滝、間欠泉もあった。でも先輩が言うには、世界レベルの業務のためには規模だけではなく霊性も大事らしい。妖精を使った暗号計算はこの先ますます重要になるから、Q社は新たな土地探しに力を入れているのだそうだ。

初日。簡単なオリエンテーションの後で、先輩と仕事をしているという妖精に対面した。実物を見るのはその時が初めてだった。妖精はわずかな動きできらきらと色が変わった。顕微鏡で薄い雲母を観察したときのようだった。
あらかじめ先輩と実験計画を相談していたので、あいさつもそこそこに計算に取り掛かった。妖精とのコミュニケーションは予想通り大変だった。課題の境界条件を説明すると、妖精から、小学生のときに転校していった友達のことを尋ねられた。妖精は森羅万象何でも知っていて、その質問に正直に答えないと計算精度が悪化すると習ってはいた。でもあまりにも唐突だった。

その時思い出したのは、よく一緒にぽこぽこを食べたこと。引っ越し前日にけんかをしたこと。その後、友達の名前を通っていた塾の成績優秀者一覧で見つけたこと、など。

答えると妖精はまあまあだねと返事をして、その後で63桁の計算結果を教えてくれた。専用の機器を使ってそれを書き写しているときに、妖精はその友達が今何をしているか教えてあげると話しかけてきた。
こんなやり取りを何セットか繰り返して初日は終わった。終業時間の銅鑼が鳴り、妖精の輪郭が徐々に消えていくのを見て、遅ればせながら感動した。63桁は後日量子計算を三日間回した結果と確かに同じだった。検証方法は次の更新で書きたい。

友達へ。万が一このサイトにたどり着いて、この文章を読んで「ぽこぽこ」と「けんか」で気付いてくれたならとてもうれしい。妖精からは結局何も聞いていない。一方的に近況を知ってしまうのはフェアじゃない気がしたから。都合が良すぎるこの文を妖精のせいにしてほしい。


#6

仮想狂気

 部屋に僕がいる。ソファーが東の壁にもたれ掛かっている。気になる。関心がある。関心がない。声が耳に忍び込む。残る。自分を傷つける。目が妬ける。
 TVのモニターに写る影の、右耳の上の髪が撥ねている。今日も撥ねた髪を帽子に押し篭める。吊り広告はヴァーチャルインサニティに溢れている。常に未来は脚元にやってきて、右へ左へ、進まないとその場に居られない。臨むべき所に辿り着く事など夢物語で、常に誰かの恣意的な訳に翻弄される。千切れたテープのように風に揉みくちゃになって、着地駅をも見失う。
 地下街を通り抜ける。人々は雄々しく、目の前に出されたものをすべて呑み込み生きている。今日も扉を開いて行くけれど、それは本当に扉を開けているのか、それとも後ろ側に鍵を掛けているのか。

『なんていうかさ。取り敢えずあの世はあるって想定しているんだ。その上で、どうしてこの世に生まれて来たかと考えると、それは魂を育む為なんだよね。魂しかあの世に持って帰れ得ないからさ。魂を鍛える為この世に来るとして、どういう生涯を生きる事で魂が鍛え得るのか。自分でしっかりプランを立てて、この世に来ているはずなんだ。だから、どんな試練も納得できるもの。
 それでもさ、他人の声は心の綻びから入り込む。まるで厭らしい毛の様に。そしてこの世は自分の思う道を生きる事さえも、まるで許容してくれない!!』

 僕らは与えられた役割に、健気に全身の愛を持って応えている。愛しい世界だよ。虚無と歪曲の世界に奉仕しているんだ。まるで関心の無い女に髪を鷲掴みにされて、曳っ張り回される様に心を乱される。小さな事だと思う事が何故か会議の場では皆の頭の上で大きくなって、大きな事だと思う事が皆の笑い声の向こうに去って往く。こんな世界じゃ、自分が何者に成るかさえも選択し得無い。
 気づけばまた部屋に僕がいる。ソファーが西の壁にもたれ掛かっている。愛しいGが壁の上を這っている。ゴキの歩く速度なんて今まで考えもしなかった。今日も僕はどれだけの場所を廻ったのだろう。
 二十世紀の最後、あの時彼はすでに「現実だという思い込みを忘れろ」って言ってくれていたよな。ダメだよ、搾〇なんて言っちゃ。慰めてくれるよ。ヒトの声が遠くなれば、何も聴こ得なくなっていく。地下に篭もってやっと、人は自分から声を発しようという気になる者さ。
 に ゃ はは は は はあ あ は はは ははあああ


#7

溢れる汗がひしめく箱

 じわり伝わってくる他人のTシャツの汗。くぅーん、と鼻をつく汗の酸っぱさを含んだ変な空気が会場中に満ちている。
 暗い客席で人がひしめき、跳ねて踊る。ここ「ライブハウス」はそういう場所だ。

 ただ、さっき飲んだビールが喉から吹き出そうだった。体がぎゅうぎゅうに揺さぶられ放題だから無理もない。

 ステージでは汗にまみれたボーカルが身を乗り出し、汗や口からの飛沫を撒き散らす。それを欲するが如く、無数の手が一斉に群れた。
 そんな最中、私は激しい人波に足元を掬われ倒れてしまった。


「大丈夫? 立てる……?」


 うずくまる私に、後方の女の人が声を掛ける。

 すみません。と喉から声を絞ろうとしたら、奥から酸っぱい物か上がってきて不快感が身体中に広がる。
 咄嗟に手で口を覆うのが精一杯で、きつく目を閉じた。

「すいませーん! 人が倒れました!」

 背中をさする感触に目を開けると、心配そうな目が覗き込む。私の耳元に手をやり「外、出よう。私が連れ出すから、ちょっと我慢しててよ」と声がする。
 首を縦に振るとグッと片脇を抱え込まれ、引き上げられた。

「すみませーん! 下がります、病人です。下がりまーす!」

 導かれるまま、じわじわ後ろに下がっていく。吐気を耐えながらも、程なくして会場を出た。
 扉を出て直ぐ、鉄の網まで誘導される。

「全部出しちゃいな、私は離れてるからさ」

 彼女が離れ気を緩めた途端に、胃液が喉を突いて噴き出した。次々に口から飛び出し、鉄の網に落ちていく。

 吐き尽くし呆然としていると、足音が来た。

「お疲れ様」

 さっきの女の人だ。ミネラルウォーターが上から差し出される。

「あげる。水分取った方がいいよ」
「ありがとうございます」

 ボトルを受け取ると、結露の滴がひんやりと指先に伝う。

「顔色も悪いし、今日は帰った方がいいんじゃない? 帰れそう?」
「ありがとうございます。多分、大丈夫です」
「そっかぁ、よかった。気をつけてね」

 体の向きを変えて立ち去ろうとする姿に、あの……、と焦って声を掛ける。
 ん? と向き直る彼女に視線がぶつかった。

「ライブの途中なのに、すみませんでした。後、お水までありがとうございます」

 緊張したままに、早口になって伝える。

「なので、あの……。何か、またお礼がしたくて」
「そんな、いいのに」

 クスリと彼女は笑い、取り敢えず何かの縁だし連絡先でも交換しとく? と携帯を取り出した。


#8

先回り

一度、逃げられそうになったことがある。
それだけ大切にされているってことなんだけど、理由も言わずに別れようとしていたことが頭にきた。だから、一緒に住むことに決めた。その選択は結果よかったんだけど、当時はヤケだった。

連絡がつかなくなったのはいつからだろう。正確には、連絡はつくけど会えなくなった。
電話も全然繋がらない。メッセージだけは返ってくる。
なんで? なにかした?
モヤモヤした感じがイライラになったころ、ミツキが大学でいっちゃんを見かけたというのだ。
オレは全然会えないのに、なんでお前は見つけられるんだ?! ってことにイラっとして、その夜オレはいっちゃんの家に行こうとした。
「お前、その勢いでいくの?」玄関でタイガに止められた。
「ミツキがさ、イチの目の下、すごいクマができてたって言ってたぞ。そんなところにお前がその勢いで行ったら駄目だろう。行くんだったら頭冷やしながら行けよ」
そう言って欠伸をしたタイガは「いってらっしゃい」と部屋に戻って行った。

目の下にクマができるほど眠れていないなら、会いに来てくれてもいいじゃないか。そんな顔で面接に行っても受かんないよ。そういえば、就職先が決まったのかどうかも聞いてない。
実家に帰るのだろうか? 実家には帰りにくいと言っていたからそれはないか。
なんだろう、全然わかんない。やっぱり、オレなにかした?
モヤモヤとイライラを引き連れていた割には、いっちゃんのアパートに着くちょっと前に、就活で空けているかもしれないと思いたち、メッセージを入れた。送ったタイミングが悪かったせいで、返事がないままオレはいっちゃんの部屋のドアの前まで来た。
呼び鈴を押して、出てきたいっちゃんの顔を見たときは、軽く衝撃を受けた。
そんな顔で生活してたの?!

思い出したら軽く笑いが出た。キーを叩く手をとめて、ドアの向こう側に人の気配を探す。静かだった。いっちゃんは、ここ数日いないのだ。父親に不幸があって、実家に戻っている。
黒い画面に白いカーソルが点滅している。正直、不安だった。また、別れようと言われそうで。

あの時はわからなかった。
キミが何を守ろうとしていたのかとか、何が大切だったのかとか。
今はわかる気がする。キミにとって大切なモノが。
「一緒に行けばいいのさ」
オレはそう呟き、仕事の画面を閉じて、引っ越し先を探し始めた。
向かう先は、いっちゃんの実家の近くだ。
今回は、先回りしてやる。


#9

或る人形の物語

 物語を紡ぐために生み出された人形が、文字にする前に言葉が逃げていく病にかかってしまう。言葉は指先から、ぽろり、ぽろり、と零れてしまい、物語を記すためのデバイスにまで届かず、人形の体のなかからも消滅してしまう。人形は小さな部屋に閉じこもって言葉が拡散してしまうのを防ぎ、狭い空間をたゆたうそれを集めてみるが、零れたそれはもう言葉ではなく、必死になって集めてももう意味をなさない。
 人形は集めたそれを固め、部屋いっぱいの大きさの像を作りあげる。人形から零れたものでできあがっているはずのその像は、人形の体よりも随分と大きい。触れてみると手応えがなく、ずぼりと人形の手が埋まってしまう。一生懸命に固めたのにすかすかなのだ。
 引き抜いた人形の手には、言葉だったものの断片が絡みついている。人形は他方の手で細かな欠片を摘まんで捨てる動作を繰り返してみるが、それは一向になくなってしまわない。舌を伸ばしてぞろりと舐めると、舐めた先から自身の手だと思っていたものがぼろぼろぼろと零れていってしまう。すでに人形には形などなくすかすかなのだ。なるほど、これでは言葉など紡げるはずもなかったのだ。
 人形は原形を留めないがらくたとなってくずおれ、沈んでいく西日が入り込む部屋で、文字になる前に壊れた言葉を吐き散らし続ける。夜になると清掃屋がやって来て、契約に従い、部屋中に撒き散らされたそれを片づけていく。すかすかの像は袋に押し込め空気を抜くと、重さを持たぬ薄っぺらいものになってしまう。床を這い積み上がっている言葉だった欠片は、小さな掃除機であっという間になかったものにされてしまう。
 清掃屋は契約に従い、残った人形には手をつけない。清掃屋が荷物をすべて持って扉の向こうに消えたあとも、人形のそこかしこから意味をもたない欠片が零れ続けていく。
 星明かりの下を、鼓笛隊が音楽を鳴らしながら楽しそうに歩んでいく。それは大きな音をともなう喧しい行進だが、ほとんどの人の耳には届かない。壊れた人形はもう立ち上がることができるようなありさまではないので、その鼓笛隊に参加することも、拍手をすることすらできない。やがて、鼓笛隊は音のない国へと消えていってしまい、訪れた静寂な朝とともに、ほどかれ尽くした人形が最後の文字を吐き、意味をもたない物語が終わる。


#10

お母さんの指、きれい

「チョコレート食べちゃった?」
「え?」
「ママのポシェットに入ってたチョコレート、食べちゃった?」
「二人でさっき食べちゃったじゃん」
「そうだったっけ?」
「そうよ」
 僕の、姪二人が、僕の隣に並んで座って話していた。
 二人は双子だった。女子高校生。
 僕は五十歳だった。
 今、僕たち親戚一同は、早死にした母親の三回忌のためにお寺に集まっていた。
 これから近くのレストランでご飯をみんなで食べるのだが、双子の父親が時間調整をミスってしまって、三十分の待機時間が生まれた。待機場所に、親切にお寺さんが、座敷を貸してくれた。
 双子が話していた。
「なんで人間はフィクションと現実を混同するんだと思う?」
「混同してるんじゃなくて、そもそも人間にはフィクションと現実の区別ができていないらしいよ」
「まさか」
「そうしないと宗教や物語が成り立たないじゃない。区別ができていないからこそ、キリストが復活する話とかを信じちゃうんでしょ」
 最近の子供は、好奇心の赴くままにネットで知識を漁るからなんだろうか、盗み聞きをしていて飽きない。
 双子は似ていたが区別はつく。子供は法事に制服を着てくるものだ。二人は学校が違ったから制服も違った。
 姉はセーラー服を着ている。妹はブレザーでズボンだった。
 姉が私に話しかけた。
「どうして叔父さんは結婚しなかったんですか?」
「タイミングがなかったからかな」
「タイミング?」
「さっきの君たちの話になぞらえれば、僕には結婚という物語を信じるきっかけがなかったのかなって」
 双子は、双子で目を見合わせて首をかしげた。

 私の姉、つまり双子の母親がやってきた。
 スマホの画面を私に見せた。
「お母さんの指、きれい」
 私たちの死んだ母親が、赤ん坊を胸に抱いている写真。
 母親の白い指が赤ん坊を支えていた。
 抱いているのは、双子の姉か妹か、どちらかなのだそうだ。
 抱いていた本人なら覚えていたかもしれないが、今となっては聞けない。分からない。
 私は言った。
「懐かしいな」
 いつの間にか双子もスマホの画面を覗きこんでいた。
「ほんとう、お祖母ちゃんの指、きれい」
 私は言った。
「小さな時にピアノを習っていたから、指が細かったんだよ」
 双子が言った。
「知らなかった」
「初めて聞いた」
 私の姉が、飽きれた顔をして言った。
「だってウソ。ピアノはやってない」
 双子が言った。
「そういうところだよ。叔父さんが結婚できないの」


編集: 短編