第200期 #5
小説を書けなくなって二週間が経った。
目を瞑れば書きたいものが浮かんだのに、思い起こされるのはかつての上司の顔ばかり。
全てから解放されて夢に向かってフルパワーとは何だったのか。
「うん、いやマジで。一か月前。勢いで」
電話越しの母は優しかった。
実家にはいつ帰ってくるのか、だなんて言われると思わなかった。
やっぱ都会で一人病んで死なれるより、穀潰しとして抱えた方がマシと考えたのかもしれない。
ソファで寝ながら、右耳にスマホを当てつつ、周囲を見回す(我ながら器用だ)。
高校と大学の時の文芸誌。何書いていたんだっけ。
母の声。あんたは頑張ったと思うよ。
本棚。氷と炎の歌。夏への扉。陰陽師。杜子春。蜂蜜と遠雷。
昨日はあんなに寒かったのに今日はかなり暑い。まるで夏だ。洗濯ものよ存分に乾け。
日は傾き始めている。
「新幹線まだ買ってないしさ。え、いやそりゃ新幹線でしょ。ええ? 飛行機?」
母と会話しながら私はテレビをつける。
これ以上、母の声を聞きながら部屋のもの一つ一つの存在を認識したくなかった。
「まぁでも飛行機でも――――」
『――――り返します! これは、現実の映像です!』
そして私はテレビ上で繰り広げられているそれを見る。
『――突如現れた――――未だ都心部を――』
「……え、母さん今テレビ見てる?」
『こんなことが、ああ、そんな――』
「あ、そう。へぇ」
『――――府はたった今――――』
「え? ああ……まぁ後でいいんじゃない?」
『緊急――――』
「うん。うん――――」
『ただちに――――繰り返します。ただちに――』
「まぁ歩いてくわ。え? いや冗談じゃなくてね。あ、それと」
私はテレビを消した。
「私、小説書いてたんだ」
私は通話を切った。
窓の外で明滅する光。聞いたことのない音。
……そうだよ、思い出した。
いつだって私は、コーヒーに砂糖。痛みに喜び。死に花を添えてきた。
そしてそれは――――心の安寧なんて程遠いところから生まれるものだったんだ。
なんで忘れてたんだろうな。私はソファから飛び起きた。
「さて」
炎。硝煙。慟哭。血。肉と骨。光。星。夜に闇。月。
少女の手と髪。海。果て。地平線。
きっと溢れてくる。すぐそこまでくる。
今しかない。
――本物がある今しか、私が書ける最高のものは生まれない。
「まずは、題名から」
そうさ、私は――――書かなきゃ生きていないのさ。