第20期 #4

素敵な母

六年前、二十一歳の何も分らない私は留学生として大きな夢を持って、日本の地を踏み立った。二週間後、アパートの礼金、敷金や二ヶ月の家賃や学費などを払って一文も残らなかった私は急にアルバイトをしないと生きていけないという残酷な現実に陥っていた。やむをえず、毎日、学校から住んでいるアパートまで各駅の近い店にアルバイトを探すようになった。
店に入って一言「アルバイトを募集していますか」と聞いたら、どんな返事が来ても、聞き取れない私にとってはさっぱり分らなかった。探しまくった後夜中11時頃最終電車を乗って、家まで辿り着くと、くたびれるより空きすぎたお腹の痛さは耐えられなかった。家から持ってきたほんの少ししか残ってないおこげを早速水に入れ、口の中に飲み込もうとすると、急に無数の針が胸を刺しているような哀しみが湧いてきた。どうして日本にくるのか、何でこんな精神的な苦労をしなくてはならないのか何遍も自分のこころに言い聞かせた。
このようにいヶ月が経った、げっそり痩せているもうそろそろ死にそうな私が先生に学校から10分ぐらい離れている牛清という焼肉屋さんに連れて行かれた。そこを経営しているのは母だった。先生が母に私のことを全部話した後に母が優しい目つきで私を見、「うちに来てください、私は面倒を見る」と先生に言った。
いつも母の店を入ったら、豊富な夕食を目の前に出してくれ、果物と甘いものは絶対に欠けない。母に言わせると「果物は体にいいから、あなたに栄養を付けなくちゃいけない、甘いものは大好物でしょう、好きなものを食べると元気が出るよ」。
仕事中、私がどんなに分からなくても、どんなにできなくても、母はいつもジェスチャーしながら、ゆっくり優しく教えてくれた。時には、情け深く穏やかに「最初は言葉は分からないから、難しいけど、慣れれば、簡単に出きる。人間って、できないことはない。頑張れば出きるんだ。」と母がこのように毎日励ましくしてくれたおかげで、私は仕事にも、勉強にも、自信を持つようになり、心の中に失った夢や意志がだんだん戻ってきた。
牛清は木曜日が定休日になっている。毎週木曜日学校がなければ、母は必ず私をどこかに連れ、日本の美しい風景やいろな日本の伝統的なお祭りを見せてくれ、私に早く日本の生活に慣れるように心がかけている。母の愛は私の淋しい心を癒してくれた。私に二度の人生をくれた。


Copyright © 2004 王源 / 編集: 短編