第20期 #14

草むしり

 保育所から帰ると、かあちゃん、お八つと叫ぶ。でも、かあちゃんの返事がない。うちの周りを探したら、庭の隅っこで草むしりしていた。日差しが厳しい。頬っかむりの顔が真っ暗で見えない。
 かあちゃん、お八つだってば。
 すると、かあちゃんが、少しは手伝ったら、どいが! と、手に持つ鎌を振り上げて、ボクを追いかけるのだった。

 小学校の四年だったかの頃、ボクは、家の手伝いが大好きだった。雪がたっぷりと降って、二階から出入りしていた時など、朝、昼、午後、夕方、晩と、休みの日は、雪掻きに精を出した。
 春になり雪が溶け出してからは草むしりに汗を流した。雪の白を蹴散らすように草の緑が辺り構わず芽吹いてくる。ボクは、両親の言われるがままに、あれを活かし、これを根こそぎ、引っこ抜くのだった。

 中学も卒業する頃だったか、ボクは生意気盛りになっていた。名もなき雑草と親達が手塩にかける名前も立派な花々や植木とを区別するのはおかしい。どっちも懸命に生きている、咲いている、それをえこひいきするなんて、納得が行かない。
 そう言って、草むしりも家の手伝いも、そして親の呼びかけも拒否し通した。
 ボクは、羊蹄 (ぎしぎし)やら、鼠麦 (ねずみむぎ)、掃溜菊 (はきだめぎく)、屁糞蔓 (へくそかずら)などというヘンチクリンな名前の花々を見知ったのもその頃のこと。これらが蓮華とまではいかなくても、せめて露草とか白詰草 (しろつめくさ)なんていう名前を付けてもらっていたら、花輪の花に使ってもらえたかもしれないのに。

 あれから何年が経ったろうか。ボクは家を出たっきりだった。その間に、父は足腰が衰え、母は体も弱っていた。その上、母は、植木の世話の際に、葉の先で眼を傷め、庭の世話どころか家事さえもできなくなってしまった。
 草むしりをする人は誰もいなくなっていた。雑草も何も区別がなくなっていた。花壇の枠も崩れ去り、名のある花の脇には野草の数々が好き勝手に生えていた。畑には鍬の筋も見出されなくなり、生えているのはネギなのか雑草なのか分からなくなっていた。
 そう、気がついたら、若い頃のボクの願った通りの光景が我が家に出現しているのだった。ポツンポツンと絢爛豪華な花が咲き、その脇では地味さを誇るかのような小花が咲き乱れ、寂びた鎌を下草が覆い尽くしていた…。

 ああ、でも、ボクはこんな光景を望んでいたのだったろうか。


Copyright © 2004 弥一 / 編集: 短編