第199期 #9

或る人形の物語

 物語を紡ぐために生み出された人形が、文字にする前に言葉が逃げていく病にかかってしまう。言葉は指先から、ぽろり、ぽろり、と零れてしまい、物語を記すためのデバイスにまで届かず、人形の体のなかからも消滅してしまう。人形は小さな部屋に閉じこもって言葉が拡散してしまうのを防ぎ、狭い空間をたゆたうそれを集めてみるが、零れたそれはもう言葉ではなく、必死になって集めてももう意味をなさない。
 人形は集めたそれを固め、部屋いっぱいの大きさの像を作りあげる。人形から零れたものでできあがっているはずのその像は、人形の体よりも随分と大きい。触れてみると手応えがなく、ずぼりと人形の手が埋まってしまう。一生懸命に固めたのにすかすかなのだ。
 引き抜いた人形の手には、言葉だったものの断片が絡みついている。人形は他方の手で細かな欠片を摘まんで捨てる動作を繰り返してみるが、それは一向になくなってしまわない。舌を伸ばしてぞろりと舐めると、舐めた先から自身の手だと思っていたものがぼろぼろぼろと零れていってしまう。すでに人形には形などなくすかすかなのだ。なるほど、これでは言葉など紡げるはずもなかったのだ。
 人形は原形を留めないがらくたとなってくずおれ、沈んでいく西日が入り込む部屋で、文字になる前に壊れた言葉を吐き散らし続ける。夜になると清掃屋がやって来て、契約に従い、部屋中に撒き散らされたそれを片づけていく。すかすかの像は袋に押し込め空気を抜くと、重さを持たぬ薄っぺらいものになってしまう。床を這い積み上がっている言葉だった欠片は、小さな掃除機であっという間になかったものにされてしまう。
 清掃屋は契約に従い、残った人形には手をつけない。清掃屋が荷物をすべて持って扉の向こうに消えたあとも、人形のそこかしこから意味をもたない欠片が零れ続けていく。
 星明かりの下を、鼓笛隊が音楽を鳴らしながら楽しそうに歩んでいく。それは大きな音をともなう喧しい行進だが、ほとんどの人の耳には届かない。壊れた人形はもう立ち上がることができるようなありさまではないので、その鼓笛隊に参加することも、拍手をすることすらできない。やがて、鼓笛隊は音のない国へと消えていってしまい、訪れた静寂な朝とともに、ほどかれ尽くした人形が最後の文字を吐き、意味をもたない物語が終わる。



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