第199期 #7

溢れる汗がひしめく箱

 じわり伝わってくる他人のTシャツの汗。くぅーん、と鼻をつく汗の酸っぱさを含んだ変な空気が会場中に満ちている。
 暗い客席で人がひしめき、跳ねて踊る。ここ「ライブハウス」はそういう場所だ。

 ただ、さっき飲んだビールが喉から吹き出そうだった。体がぎゅうぎゅうに揺さぶられ放題だから無理もない。

 ステージでは汗にまみれたボーカルが身を乗り出し、汗や口からの飛沫を撒き散らす。それを欲するが如く、無数の手が一斉に群れた。
 そんな最中、私は激しい人波に足元を掬われ倒れてしまった。


「大丈夫? 立てる……?」


 うずくまる私に、後方の女の人が声を掛ける。

 すみません。と喉から声を絞ろうとしたら、奥から酸っぱい物か上がってきて不快感が身体中に広がる。
 咄嗟に手で口を覆うのが精一杯で、きつく目を閉じた。

「すいませーん! 人が倒れました!」

 背中をさする感触に目を開けると、心配そうな目が覗き込む。私の耳元に手をやり「外、出よう。私が連れ出すから、ちょっと我慢しててよ」と声がする。
 首を縦に振るとグッと片脇を抱え込まれ、引き上げられた。

「すみませーん! 下がります、病人です。下がりまーす!」

 導かれるまま、じわじわ後ろに下がっていく。吐気を耐えながらも、程なくして会場を出た。
 扉を出て直ぐ、鉄の網まで誘導される。

「全部出しちゃいな、私は離れてるからさ」

 彼女が離れ気を緩めた途端に、胃液が喉を突いて噴き出した。次々に口から飛び出し、鉄の網に落ちていく。

 吐き尽くし呆然としていると、足音が来た。

「お疲れ様」

 さっきの女の人だ。ミネラルウォーターが上から差し出される。

「あげる。水分取った方がいいよ」
「ありがとうございます」

 ボトルを受け取ると、結露の滴がひんやりと指先に伝う。

「顔色も悪いし、今日は帰った方がいいんじゃない? 帰れそう?」
「ありがとうございます。多分、大丈夫です」
「そっかぁ、よかった。気をつけてね」

 体の向きを変えて立ち去ろうとする姿に、あの……、と焦って声を掛ける。
 ん? と向き直る彼女に視線がぶつかった。

「ライブの途中なのに、すみませんでした。後、お水までありがとうございます」

 緊張したままに、早口になって伝える。

「なので、あの……。何か、またお礼がしたくて」
「そんな、いいのに」

 クスリと彼女は笑い、取り敢えず何かの縁だし連絡先でも交換しとく? と携帯を取り出した。



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