第199期 #6

仮想狂気

 部屋に僕がいる。ソファーが東の壁にもたれ掛かっている。気になる。関心がある。関心がない。声が耳に忍び込む。残る。自分を傷つける。目が妬ける。
 TVのモニターに写る影の、右耳の上の髪が撥ねている。今日も撥ねた髪を帽子に押し篭める。吊り広告はヴァーチャルインサニティに溢れている。常に未来は脚元にやってきて、右へ左へ、進まないとその場に居られない。臨むべき所に辿り着く事など夢物語で、常に誰かの恣意的な訳に翻弄される。千切れたテープのように風に揉みくちゃになって、着地駅をも見失う。
 地下街を通り抜ける。人々は雄々しく、目の前に出されたものをすべて呑み込み生きている。今日も扉を開いて行くけれど、それは本当に扉を開けているのか、それとも後ろ側に鍵を掛けているのか。

『なんていうかさ。取り敢えずあの世はあるって想定しているんだ。その上で、どうしてこの世に生まれて来たかと考えると、それは魂を育む為なんだよね。魂しかあの世に持って帰れ得ないからさ。魂を鍛える為この世に来るとして、どういう生涯を生きる事で魂が鍛え得るのか。自分でしっかりプランを立てて、この世に来ているはずなんだ。だから、どんな試練も納得できるもの。
 それでもさ、他人の声は心の綻びから入り込む。まるで厭らしい毛の様に。そしてこの世は自分の思う道を生きる事さえも、まるで許容してくれない!!』

 僕らは与えられた役割に、健気に全身の愛を持って応えている。愛しい世界だよ。虚無と歪曲の世界に奉仕しているんだ。まるで関心の無い女に髪を鷲掴みにされて、曳っ張り回される様に心を乱される。小さな事だと思う事が何故か会議の場では皆の頭の上で大きくなって、大きな事だと思う事が皆の笑い声の向こうに去って往く。こんな世界じゃ、自分が何者に成るかさえも選択し得無い。
 気づけばまた部屋に僕がいる。ソファーが西の壁にもたれ掛かっている。愛しいGが壁の上を這っている。ゴキの歩く速度なんて今まで考えもしなかった。今日も僕はどれだけの場所を廻ったのだろう。
 二十世紀の最後、あの時彼はすでに「現実だという思い込みを忘れろ」って言ってくれていたよな。ダメだよ、搾〇なんて言っちゃ。慰めてくれるよ。ヒトの声が遠くなれば、何も聴こ得なくなっていく。地下に篭もってやっと、人は自分から声を発しようという気になる者さ。
 に ゃ はは は は はあ あ は はは ははあああ



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