第199期 #2

小春日和

「小春日和って春じゃないんだって」
彼女は言った。
「そう」
僕の心は過去に漂う。
あれは秋だったのだろうか。それとも春だったか。
ポカポカ陽気の休日だった。昼近くまでうとうとと過ごし、食事のために出かけることにした。ドアを開けると光が力強くてあたたかかった。おだやかな気持ちだった。
しかしそんな気分はいいようのない不安に取って代わられることになった。
アパートの前の生活道路に出ると、新しく整備されたガードレールの支柱の一つ一つに、執拗なくらいにのぼりが立てられていたのである。
真新しい緑地に白抜きの文字だったと思う。維新の風、とだけ書かれていた。不穏な空気を感じたのは僕だけだったか。音をなくしたその景色を今でも覚えている。
革命か、と思った。維新といえば内乱と暴力革命にほかならない。二・二六事件のような暗い時代の予兆ではないかと本当にそう思ったのである。
サピエンス全史を僕はまだ読んでいない。宗教も貨幣も国家もフィクションだと書いてあるらしい。そうだろうな。古代の妖術は現代のマネーみたいなものだとある小説家が書いていた。人々が信じているから効果を発揮する。虚栄は人間の存在そのもの、とこれはEテレ。納得性がある。王様が裸であっては困る人たちが口をつぐむ。真実を求める態度は敗れる運命にあるのだろうか。そのとおり。それが人間の原理であるならば、天に逆らうものは亡ぶ。
だが、程度問題である。フィクションにフィクションを重ねることは不安定さを増す。バブルは崩壊し、カルトは自壊する。フィクションの上塗りのようなスローガンはいつかは見透かされる、きっと。嘘は論外だ。勘弁してくれ。性善説というフィクションはどうだろう。効果があるという認識が広まればもっと採用されるのだろう。抑止力というフィクションみたいに。
なんと面倒なのだろうか。フィクションの海で息継ぎするにはどうすればいいのか。自然に出かけるか、自然科学か、哲学か、仏教か、老荘か。いやむしろ自分たちの真実という毒を以て毒を制す方法もあるだろう。この物語はフィクションです、と端から明らかな心地よい世界にどっぷり浸かる手もあるだろう。とはいっても人間をやめるわけにはいかない。簡単には逃れられない。
「ねえ聞いてるの」
「ごめん」
本を読む人間は皆、心ここにあらずなのだと、これも何かで読んだ。僕はこの人生としっかり向き合わなくちゃいけない。それでもこの人生と。



Copyright © 2019 かんざしトイレ / 編集: 短編