第197期 #6
至る所から湯気が湧き上がっている。合間にきらめく雪景色の中で信号は青になる。朝靄のバッファローさながら、圧雪で見えない横断歩道へと踏み出す群衆、のはずれで、ひとりだけ動かない。夜間専用押しボタンの近傍、臙脂色のマフラーに挟まってたわんだ長い髪が揺れている。彼女がペタペタと足踏みをしている間に僕は追いついた。
「何してるんですか」
「みんな通り過ぎるのを待ってる」
そう言って見上げる彼女の小ぶりな目は雪のせいか、無垢に透き通って見える。エンジンを温めるように生真面目に、身体は行儀よく揺れ続ける。サラリーマンの群れが行き、次は小学生の群れ。
冬が来てから、朝によく彼女と出くわすようになった。彼女は肌が白い。変な話だが、マフラーと髪の間から覗く頬が紅潮していてようやく気がついた。いや、冬だけそう見えるのかな。雪化粧に薄化粧。かたわらの彼女が急に笑い出す。
「どうしたんですか」
「思いついた。今日の夕ご飯手抜きしよ」
「何にするんですか」
「しゃけ」
ニヤリとした顔はやはり無邪気に見える。ここで会う彼女は変わっていた。少なくとも会社で見かける彼女とは違う。時々自慢されるキャリアも、仕事ができて頼りになるという評判も、僕を助けてくれる熟練の所作もしっくりと来ない。家庭での彼女はどうだか、知らないけれど。やっぱり花柄のエプロンなんかするんだろうか。懸命に想像するも、家庭的な姿の象徴が母親であることの哀しさ。
「冬って好き?」
「え?」
口から白い湯気を吐き出した彼女は群衆の最後尾を歩き始める。エンジンは十分に温まったわけだ。ペンギンみたいな足取りはペンギンよりもよほどしっかりとしている。追いついて、僕は答える。
「寒いのは苦手ですよ」
ふふうん、と鼻から白い息。
「私は好きだな。綺麗だから。雪景色」
ああ、それは分かるーーのだけど、彼女の横顔を見ながら、問いたくなった。
「いつか終わるとしても?」
思いのほか意味深になった。しかし彼女は動じない。
「それはどの季節も同じじゃない」
「たしかに」
年の功、という言葉を飲み込んで、会社まで歩いた。
そうか、彼女は終わることを知っているんだ。それは大きな収穫のように思えた。同時に微かな罪悪感。少しずつ春に近づくなか彼女には悪いけれど、会社に着くといつも、僕は早く次の朝になれと願ってしまう。まだ煩悩が多いのだ。
会社に着き、彼女はもう仕事人の顔だった。年の功。