第197期 #3

キャラメルラテ

弟の煙草は好かれていた――受験生だった翼はキャビンを愛煙していた。わたしの経営するちいさな喫茶店へと、翼は予備校の帰路に立ち寄っていた。
小柄な恋人がいつも一緒だった。百花さんは一度も吸っていなくて、いつも翼の手許に置かれた灰皿から甘い白煙がただよっていた。

二人はクラスの噂、探しあてた雑貨屋、調べた映画を熱心にさずけあっていた。
わたしは決まって閉店後にやってくる二人を内心歓迎していた。帰宅が遅くなるうえ二人に料理をふるまうから赤字だ。勿論わたしは早く帰りな、ここに通うなと愛想なくもてなしていた。
ただね、来客に憮然と接すること、カウンターで小説をたぐるのも、夜更けに二人を自宅へ送ることすらそうした年配者の役割が好ましかった。

わたしは稀に車中で喫煙する。月に数回も吸ったら頻繁、一度にたった二三本。
ただその日は匂いが残っていた。後部座席に腰かけ車窓をながめていた百花さんがわたしに尋ねた。
「お姉さんも煙草吸われますか」
「うん? 匂いが付いていたかな、たまにね。空気が心地よくひやりとするとき、景勝地に着いたとき、それに好きな音楽をかけるときに」
「なんだかわかります」
「へえ?」
「好きなバンドがなんていうか、紫煙のゆらぐようなノスタルジーを喚起させるんです。それを聞くときにひとり煙草をくゆらせたくなるんです」

百花さんの口ぶりは純朴だった。見ためにあこがれて一度も吸ったことはなく、まだきっとどこにもいけない受験生。
はは、とわたしは言った。エゴラッピンの「色彩のブルース」をカーステレオから流す。かすれたペーソスが充溢する。煙が染みた音はある。
「煙草はドラッグだからね、大人として、わたしはあなたに吸わないほうがいいと言いたいかな。せめて受験のストレスに姉の店でキャビンをふかすくらいが可愛らしい。ねえ?」
「うるせ」と翼がこぼす。
「百花さんもいずれ吸い場所を見つけられる。ライブハウス、喫茶店、旅行先。愛車もいいよ。でも、ウチに来ているあなたは煙草を必要としているようにうつらない」

百花さんは憮然としてしまった。次に遊びに来たとき百花さんは煙草を吸わず、翼はキャビンをふかしていた。
わたしは二人にキャラメルラテをふるまい、いつでもここにおいでとそっけなく告げた。



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