第196期 #5

ここは平和

目の前で繰り広げられている光景をただ眺めている。その先に何かあるわけではない。
口論というには幼い内容で、言い争いというよりは口喧嘩みたいな。いや、言いたいことをただ主張しているだけで、争っているわけでもきっとないのだろう。
じゃあ、同じことを永遠と言い続ければ相手に伝わると思っているのか?
そんなことあり得ないと知っているのに?
あり得ないと思っているのは自分のほうか?

いつの間にか誰にも何も伝わらない、と思っていた。だから、誰かに何かを伝えることが面倒になった。
白黒ハッキリしているときは良いけれど、そうではなくて、感情とか考えとかそういうハッキリしない何かを誰かに伝えるのは面倒だと思った。
絶対に伝わらない。そう確信した瞬間があった。
相手は自分ではないし、自分も相手ではない。同じ言語を使っているようで実は微妙に違う言語を使っている。似て非なるもの、とはまさにこのことだと思う。
その言葉の裏にある感情みたいなものを全て理解できれば、もしかしたら分かり合えるかもしれないけれど、理解、なんて言葉を使っている時点で結局は全てなんてわからないのだろう。だから、言葉で伝わると思っていることは、なんと素敵なことだろう。誰かと何かを言い争うなんて、もう自分にはない。その自由な感じが羨ましいと思った。

永遠に続くかと思われた争いに急に終わりが来た。
「うっさい……」
唐突に上から冷たい一言が降ってきたのだ。
「今日出掛けんじゃねーの?」
冷ややかな視線を受けて、言い争っていたふたりは時計を見て慌てて玄関に走っていく。
「じゃーね」と急いで玄関の扉を開けて出ていくふたりに「いってらっしゃい」と手を振って見送る。
「すっかりたむろ部屋だな、ここ」
バタンと閉まるドアを見ながらアナタが言った。クスクスと笑うとアナタがこっちを見る。
「ナニ?」
不満そうな顔をしてローテブルを挟んで目の前にアナタが座った。
「いやいや」
「その時間には来るの、アイツ等?」
「レイトショー見てくるって言ってたから、その時間にはいないんじゃない?」
「は?」こちらを見るアナタは、意味が分からないという顔をしていた。
「今夜何見るかもめてたんじゃねーの?」
「そうだね」
「ナニそれ?」
「平和だってことだよ」
「お前もだけど最近の子はわけわっかんねーな」って言いながら、キミがテレビをつけた。

多分、これからもきっとここは平和だ。
そんな気がした。



Copyright © 2019 わがまま娘 / 編集: 短編