第195期 #4

JOY

 みんなが嬉しいときに笑えないということで連れてこられたその少年の目は大きく、青い瞳の奥には年齢に不似合いなほどの理性をたたえていた。医者は椅子に深く腰掛け斜め上から見下ろすようにして少年を見る。少年はうつむいたままだ。

「学校で最近何か楽しいことはあったかい?」
「いいえ」
「じゃあ、悲しいことは?」
「わかりません」

 目の前にたたずむ少年は彼が座っている椅子よりも存在感が希薄に見える。その日の診療はそれで終わった。

 少年は両親が少ない給料からせっせと貯金するのをよく見ていた。そしてたまに行く旅行先で散財するときの笑顔を見て彼も笑うのだが、それは保護者的な目線であった。海に連れられて波打ち際ではしゃぐ姿も、それは感情が発露したものではなく、よく見ればその動きもいくつかの類型的なパターンの繰り返しだったのだが、満足そうに目を細める両親には知るべくもなかった。

「どうだ、楽しいだろう」
「うん」

 両親の前では笑う少年だった。教師から変な難癖をつけられ、念のために医者に連れて行ったが、特に問題はなさそうだと思い、両親はそれ以上考えることをやめた。

 淡々と少年の人生は進んだ。変わっている、そっけないという彼を指す言葉が次第にかっこいい、冷静、という言葉に置き換わるのに時間はかからなかった。斜に構えている、達観していると評されることもあった。
 少年は生まれつきの感情の量が少ないことを感覚で知っていた。だからうれしい時も悲しい時もそれを必要以上に押し隠し、感情を少しずつ貯め、勝負するタイミングを待っていた。
 結婚し、子供が生まれ、親が死に、しかし少年、もとい男は冷静さを失わなかった。青い双眸はますますその深みを増した。
 やがて未曽有の大災害が国を襲った。人々は打ちひしがれ、悲しみと喪失感以外の感情を失った。男はここだと思う間もなく今まで貯めてきたすべての感情を喜びに逆張りした。男は勝ち、桁違いのオッズは桁違いの喜びとなって彼に返ってきた。男は不謹慎だと石で打たれたが、その喜びを消すことはなかった。男は喜びながら誰よりもよく働いた。石を投げていた連中はその行いを改めだした。
 男は喜びながら勝ち続け、勝って得た喜びをその日のうちにすべて喜びに張り続けた。チップはテーブルからあふれて周りにいるものも少しずつ喜ぶようになっていた。その中心で喜び続ける彼の笑顔をいつしか人は希望と呼ぶようになった。



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