第194期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 僕の初恋の話。 930
2 それは多分、高揚感。 ウワノソラ。 818
3 鳥の名前 ナイツ 509
4 遷移 霧野楢人 1000
5 知らない世界 テックスロー 994
6 井上 qbc 1000
7 Haagen Dazs 宇加谷 研一郎 620
8 落日 塩むすび 1000
9 妹と輪ゴムとビデオテープ euReka 1000
10 怪獣のいる街 志菩龍彦 998

#1

僕の初恋の話。

君は笑うだろうか。来る日も来る日もこの場所に立ち続け待ち続けた日々を。笑ってくれるだろうか。遠くから見つめる事しか出来ない弱虫な僕を。街と町とまちが交差するその場所で人々に見放されたであろう僕と君が交わる日はまだ来ない。晴れでも雨でも黒い服を見に纏う君は一度も笑顔を見せてくれない。一度でいい、君の笑った顔が見てみたい。そう思った時から僕は君に恋をしている。名前も声も、笑顔だって知らない君に、僕はずっと恋してる。思いきって近づいてみようか。そう思っても僕の足は思うように動いてくれない。どうやら僕と僕の足は表裏一体よろしく同じように弱虫だった。僕と君の間にはだいぶ距離があるけれど、何十何百人通ったって僕は他人事のようにやり過ごす。だって僕の瞳には君以外何も入らないのだ。

想い続けてもこの想いが君に届く事はないと気が付いたのは、僕が君に恋した日から100とんで1年の月日が経ってからだった。僕はとっくに死んでいた。同じように、君も。前しか、君しか見えてなかった僕は、足元に飾られた沢山の花束の意味も、全く容姿の変わらない僕らの意味も、何一つわかっちゃいなかった。視線を落とせば君の周りにも同じように花束はあったのに。
そうだ、僕は地縛霊。どうりで足が動かない訳だ。僕は弱虫じゃなかったんだ。思いきって話しかけてみる。
「ハロー、ハロー、聞こえてますか?」
僕と君のまわりには様々な音が鳴り響いているけれど、君は初めて僕を見た。
「ハロー、ハロー、聞こえてますよ」
同じく初めて聞く君の声は今まで聞いたどんな声よりも可憐で、透き通った声だった。いつも君を想ってた。そう言うと君は私も、と言って笑ってくれた。

僕たちの100とんで1年の片想いの日々は100とんで1年と1日経ったところでようやく両想いに変わった。僕が君に、改めて君が好きだと伝えたら、君は可笑しそうに笑ってこう告げた。
「私の方が先にあなたを好きになったのよ?だって私は、あなたが生きてた時からずうっと好きなんだから」
ずっと待ち望んでた君の笑顔は、僕が想い描いてたものとはだいぶ違ったけれど、僕も君も地縛霊で良かったと思わずにはいられないような少しの恐怖を残して僕の初恋の話はここでおしまいにしようと思う。

終。


#2

それは多分、高揚感。


嫌いで嫌いで仕方がない君が目の前のステージで歌っている

確か君と会うのは去年振りかな

確か君の歌を聴くのは、それよりもっと前だったな


大抵の事は直ぐに忘れてしまえるのに

何故か君のことばっかり、嫌で嫌で頭にへばりついてしょうがなかった

君と顔を合わさなくなっても、何故か頭にへばりついて残ってたよ


嫌い、嫌い、嫌い、嫌い
好きだった人なのに
嫌い、嫌い、嫌い、嫌い
それが君


「なんで」と「無理でしょ」
それが私と付き合ってた時の、君の口癖
言葉に詰まる私と、行き詰まろうが終わらない喧嘩
3時間、4時間の終われない長電話
寂しがり屋の君と、ほどほどの付き合いで良かった私

「どうせ、その程度の好きなんでしょ」

君の見透かす様にして吐き捨てられた言葉は、図星だった


中央寄りの最前列、私は君の一番近くで歌を聴いていた

目線は合わない、合わせない
それでも歌声に惹きつけられて顔を上げる
珍しく化粧をした君が、目を輝かせて真っ直ぐに声を届ける

生き生きと歌姫を演じきる君がステージに居た


一番近いのに一番遠い君を、眺めていた

嫌いでしょうがない筈の君を、眺めていた

いつか嫌いな君を忘れてしまいたかった

いつか嫌いな君を許してあげたかった


歌声を聴きながら過ぎる、君を好きになった記憶

そうだね、君の歌う姿が好きだったんだ
あの時は、私も一緒に演奏していたっけ
こうして正面から君の歌を受け止めるのは、そういえば初めてだね

あの頃、
私の事を気にする素振りが可愛くて、私こそ気になっていったんだ


遠くにあった思い出が溢れ出て、嫌いな筈の君でもあの時は好きだったんだと振り返る

「君は、私が好きだった人」
「お互いに、必死で向き合った相手」

そう思えば、どうにも許せなかった君のことが、やっと許せる気がした

感情は頑固に見えて移ろいやすい
こびりついた負の感情でさえ、今まさに剥がれ出している



最後の演奏を惜しむ拍手が響いた

君は目一杯手を振って拍手に応えていた

一段と素晴らしい歌声を届けた君に、私も笑顔で拍手を送った


#3

鳥の名前

何も言うことも無く、静かに授業は終わった。ポツポツと空いている席は、不登校の人の席。その人たちが、どんな生活をしているのかには、全く興味が無い。かと言って、人生の脱落者だと言えるほどの、そんな進学校に言っているわけでもなく。楽しいことがない訳では無いけれど、嫌ではなく、やりたくないことが多すぎる。そんな僕に女友達が言ってきた。「お金欲しいよね。」 突然の言葉に驚いたけど、彼女の家庭はそれほど貧しくもない。だから冗談だと思って振り向いたのだが、その表情は普通だった。そして、「私も不登校しようかな。」と言った。それは、あまりにもさり気なくて、何も言えなかった。この何かから与えられた青春という時間を、学校の授業というありふれた空間で潰すのが嫌だったのだろうか。僕は、「学校くればいいんじゃない。」と言った。すると彼女は、「そう言うと思った。だって満足してそうだもんね。」と。次の日から、彼女の姿はなかった。その日からわたしは、満足と幸福が違うことを知った。何故なら、彼女の姿を見なくなって、淋しかったから。人が別の道を選ぶことの、哀しみも知った。大人になることの難しさは、窓の外の薄い雲だけが知っていそうな気がした。


#4

遷移

 幾千枚もの葉が擦れ合うような耳鳴りだった。バスに酷く酔っていた。車内の揺れに勢いづく吐き気を堪えているうちに、ここは森の中だ、と木こりが言ったのを思い出した。
 徹夜のバイト帰りで疲れていたが、日々は充実していた。金はあるし、単位取得に特化した受講計画も順調に進んでいる。協力者の友人たちとは今晩麻雀大会を開く。こんな日々があと二年、だらだらと続くことを僕らはほとんど確信していた。
 それでも時々不安に襲われた。例えばこのバスが次の瞬間、僕や僕の前で揺れる黒い頭たちごと爆発しやしないだろうか、なんて根拠のない、現実味のない不安だった。
 朝の混雑に巻き込まれたか、信号に捕まったか、バスの揺れが止まった。窓の外は煤けたビルがたち並ぶ街の中だった。アスファルトの大きな割れ目を通行人の一群が踏み越えていった。くぐもった喧噪の中に、ヤマガラの気が触れたような地鳴きが混じっていた。
 バスが少し動いてまた停止した。渋滞なんだろう。ビルの隙間の暗がりに、ホオノキの幼木が生えているのがわかった。イタヤカエデも。ホオノキは陽樹だからじきに枯れるだろう。けれど何せ春は無秩序だ。有利も不利もなく、どんな生き物も猛って生い茂る。生きて、死んで、森はできていく。知っているか。君たちの街も森になるんだ。木こりはそう言っていた。彼と出会った頃、僕は友人と廃村巡りにハマっていた。
 昔はここも街だった。それと同じくらい確かに、今ここは森の中だ、と木こりは言った。
 バスがまた揺れだした。イタヤカエデが太ってビルを傾がせた。街路のアズキナシが白い花を咲かせている。その根も舗装を砕いてイラクサが、ヨブスマソウが、チシマザサが、アキタブキが地表を覆う。ミミズが息を吹き返し、アカネズミが跳ねる。それをキツネが探し回る。オヒョウが、ミズナラが猛って伸びて太る。枝葉が視界を覆い空を隠す。バスはもう真っ直ぐに走れない。
 たまらず次の停留所でバスを降りた。全身の揺れが止まらず一気に吐いた。豊かに腐敗する暖気。葉の擦れ合うような耳鳴りがした。トドマツの黒い針葉が目に刺さる。眼前暗黒感。オニシモツケの湿布のような匂い。
 遠くから救急車の音がやってくる。いつかの小さな谷底にボロボロの車が転がっていた。すでに森の一部だった。僕を迎えに来たのはあの車だろうか。
 うまく立ち上がれなかった。辺りは眩しいのに薄暗かった。僕は森の中にいた。


#5

知らない世界

 颯太は自分が老人と言われる歳になってかなり楽になっていた。面倒なことはしなくてもよいということは壮年期の終わりには気づいていた。サラリーマンとして出世競争に勝ち残ることは一つの与えられた幸せだから、それに追従する者が多いのだ。要はわかりやすい物語なのだ。自分の横で、後ろで、脱落、ドロップアウトしていく同僚・先輩・後輩たち、また、家庭環境に恵まれなかったりして、社会的にディスアドバンテージを背負ってしまった友人やその家族をみて、それらを一面的に不幸だと考えた時期は過ぎた。その後にそれら、自分を偶然にも襲わなかった不幸に少しの羨望を感じ、酸っぱいぶどうのたとえを思い出して自らを奮い立たせ、しかる後に自分が持っているぶどうも酸っぱいことに気づく。日日は自分へ問いを投げかけ、それに答えなくてもよいと心底思えるようになったとき、颯太は自分が歳を取ったのだと知った。気づいたらもうぶどうなどには見向きもせず、しかし颯太はその経験から、放っておけばそのぶどうは発酵してワインになることを知っている。「振り返って恥ずかしくない人生を」「自分史に残るように」とはいえ、結局は、最期のときにいかに自分に酔えることができるかが肝である、と思っていた。

 含蓄のある味わいだ。自分の思い描いていた老年はまさにこうだったのでは無いか。夕暮れ寄りの昼下がりに南西から差し込む陽にワインを透かせて、颯太はまた一口含み、舌の裏側で味わう。尻の大きな女房はソファで婦人雑誌に夢中で、いちいちその見出しを颯太に読んで聞かせる。

「アルツハイマーはアミロイドβやタウと呼ばれるタンパク質の脳への蓄積が一応の原因とされる」
「そうとも」
「だったらなんか分からないけど、安心よね」
「ああ」

 今更答えるべき問いなど無いと思っていた颯太へ不意に自問。「自意識とは?」この問いに応えられなかったら、颯太は、どこへつれて行かれてしまうのだろう。しかし颯太はその問いを見逃してしまう。ざらついたその問いは二度と自分の目の前に現れないだろう確信がある。

 いつからか颯太は、老人ホームでみんなと音楽に合わせて手を叩いている。長調で裏拍も無いリズムとオルガンの音に合わせ、それぞれの老人の額から髭のように意識のひもが流れ出して互いに交差する、颯太は手を叩きながら幸福な気分に包まれる。意識のひもがこんがらがらないように颯太は祈る。綾をなせ。


#6

井上

(この作品は削除されました)


#7

Haagen Dazs

Once in a while, I took my lover for an ice cream. She looked at it and said, "I never eat an ice cream other than Haagen Dazs." I was not so shocked because she was a rich girl.

When I returned to my parents' house in the summer, my mother, who I met after a long time, said to me "I bought you an ice cream." "Mom, I've decided not to eat ice cream other than Haagen Dazs."

I was't aware that by saying that I insulted her.

It is important to choose what we like, but it might hurt the feelings of someone who is important to us.

The lover dumped me. I wonder how she's doing and if she still eats only Haagen Dazs.




#8

落日

 父が亡くなった。それに伴い多額の借金が見つかった。保険金で補填できる程度のものだったが、借金をした理由が問題になった。母は、父が愛人に貢いでいたものだと吐き捨てるように明かした。
 酒乱と絶えない夫婦喧嘩。ギャンブル。暴力と束縛と侮辱。僕の身体にいくつか残っている傷痕。これらが父の記憶の全てだ。母は父の話になると外道だと罵る呪詛を吐き、それを受けて姉の結も怒鳴り散らす有様だった。父は死後に呪いを残した。やがて父の話はタブーになり、姉は口をきかなくなった。

 そんな姉が数ヶ月ぶりに口をきいた。
「本当はお父さんが借金を何に使っていたのか、教えてあげようか?」
 父の愛人には紬という名の娘がいて、借金はその連れ子だか父の子だかわからない娘の養育費に充てられていたということだ。
「お母さんの嘘は汚い」
 姉は庭の石を裏返したときのような無表情で言った。姉の制服の隙間から知らない石鹸の匂いがした。

 姉は父に似て美しかったが男の影はなく、友達もいないようだった。その中で姉はこっそり紬と接触していて、最近では頻繁に通っているということだった。
 姉は明らかに紬に肩入れしていた。
 死人の悪口を言い続けて楽しい? お前がそんな風になったのは全部あの人のせいなんだ。お母さんにはそうなんだろうね。
 母は妄想混じりの記憶を語るが、姉はもう母を見ていない。

「お父さんってかわいかったんだって」
 さ行のうまく言えない舌足らずの父。それを小バカにした母と姉。けれど紬にとっては良い思い出なのだという。
「本性を知ったら驚くだろうね」
「言うわけないでしょ。でね、私、お父さんに似てるんだって」
「好みも似てるんじゃない」
「どういう意味」
「別に」
 姉は林檎の入ったビニールに指を当てた。ビニールは姉の指の形に押し拡げられ、やがて破れた。
「痛」
 指先に血が一滴ぷくりとふくらんだ。姉の唇が開き、その狭間の黒い闇の中から鮮やかな舌が現れて指先の血を舐め取った。瞬きをする間に舌は唇の間へと隠れ込んでいて、闇はすっかり消えてしまっていた。
「じゃあ行くね」
 姉は取り出した林檎を鞄に入れ、駅へと軽やかに向かっていった。後には知らない香水の匂いが残った。
 姉は漠然と積もった澱のような憎しみの正体を知ったのだろうか。母はやがて認知症になり、不治の病を患い、それでも毒を吐き続ける。僕は母とともにあるのだろう。病めるときも。健やかなるときも。


#9

妹と輪ゴムとビデオテープ

 部屋で輪ゴムを無くした。もちろん一つや二つ無くしても困ることはない代物である。しかしどうにも納得がいかなかった私は、その喪失感を演劇風に表現することにした。
「おお神よ! あなたは輪ゴムのようなつまらないものまで私から奪うのか? 幼い頃、私から妹を奪ったように!」
 私には妹などいないのだが、喪失感を表現しているうちに妹が昔いたような気分になったのだ。
「あなたが無くしたものはこれね」
 後ろを振り向くと迷彩服を着た女が私にライフルを向けて立っていた。
 そしてライフルの先には輪ゴムがぶら下がっている。
「これから、あなたの妹を奪い返しに行くわよ」

 私は迷彩服の女に手を引っ張られながら、どんどん森へ入っていった。しかし、さっきまでいた部屋の周りは住宅地なので森などないはずである。それに妹の存在や、妹が奪われたという話は私の空想でしかないのだが、そのことを何度説明しても女は笑顔を返すばかりだった。
「関係ないけど、明日地球が爆発したら、たこ焼き屋を始めようと思うの」
 女は森の開けた場所まで来ると足を止めた。そこには中世の騎士や、日本の武士や、数学の教師などが大勢いて、何かを守るように私たちを睨んでいた。
「たこ焼きって食べたことないけど、形がかわいいし、きっと味も美味しいんでしょうね」
 女はそう言うと一握りの輪ゴムを私の手に握らせ、これを飛ばして騎士や武士や教師を倒せと言う。私は馬鹿げていると思ったが、彼らが恐い顔をして攻めてきたので仕方なく輪ゴムを指で飛ばした。するとさらに馬鹿げたことに、輪ゴムはとんでもない勢いで飛んでいき、騎士や武士や教師たちを紙人形のように次々と倒していった。

 で、結局妹は誰だったのかというと、実は迷彩服の女がそうだったという展開を私は予想していたのだが、やっぱりその通りになってしまった。騎士や武士や教師たちが守っていたのは古いビデオテープであり、森の中に都合よく置いてあったビデオデッキとテレビで再生してみると、そこには幼い頃の私と妹が映っていた。昔住んでいた家の様子や、まだ若かった頃の父と母の姿も。
「明日地球が爆発しなかった場合の予定は、まだ立ててないの」
 妹は私の空想の中にずっと閉じ込められたまま、たこ焼きさえ食べられなかったのだ。なので熱々のたこ焼きがどんなに熱々なのかも知らないのだと思うと、目の前にいる妹が妹のように思えてきたので不思議だなと思った。


#10

怪獣のいる街

 古本屋の軒先から秋晴れの空を見上げると、巨大な影が天に向かって聳え立っていた。
 この街のランドマークタワーに寄りかかるようにして眠っているそれは、爬虫類に似た巨大生物だった。鋭い背鰭が、瓦礫と化した街にギザギザの陰を落としている。最後に活動が観測されたのは六日前。次の覚醒が何時になるかは、誰にも解らない。
 投げ売りの棚から選んだ三冊の文庫本を手に店を後にする。代金の三百円は無人のカウンターに置いて来た。たとえ店主が逃げていようと、支払いは必要である。
 昼寝をする為、半壊した公園のベンチに寝っ転がると、偶然、先日まで俺が働いていた崩れかけのビルが眼に入って来た。生産性のない事務仕事な上に、職場の人間関係は最悪。心を殺し、面白みのない生活を機械的にこなす、拷問の様な毎日。嫌味な上司、むかつく同僚、生意気な後輩、皆死ねばいいと思っていた。
 そんな時に、あの怪獣が現れた。職場であるビルは破壊され、崩落に巻き込まれた社員の殆どが圧死した。ビルの残骸は社畜どもの墓標という訳である。全くもって良い気味だった。
 何処から、何の為に来たのか、一切不明の怪獣は暴れに暴れ、自衛隊とドンパチを繰り広げた揚句、それ以来死んだように眠っている。きっと死んではいないのだろう。だから、自衛隊も警戒態勢を解いてはいない。
 住民に対しては避難勧告が出された。危険だし、怪獣と戦闘する際に邪魔だからである。
 でも、俺はまだ此処に残っていた。死ぬのが怖くない訳ではない。でも、逃げて、その先に何があるのだろう。前みたいにダラダラと生きて、ダラダラと死ぬ生活か? なんとなく、それは酷く面倒臭いことに思えた。
 ならばいっそ、怪獣に殺されるのも悪くない。いや、殺されるのは嫌だが、死ぬなら一発で、まるで天災による不慮の事故の様に死にたかった。
 生を第一に考えるのが生物の本能だとすれば、俺は出来損ないに違いない。
 しかし、不思議なもので、俺のような人間は少なくなかった。意図的に街に残った、或いはわざわざ余所からこの街に来た連中は他にもいる。廃墟の中でそういう奴らに偶に出くわすが、目が合っても特に挨拶もしない。ただ、決まり悪さと不思議な親近感を覚え、互いに曖昧な笑みを浮かべるだけである。
 消極的な自殺者達は、散歩して、飯を食って、昼寝をして、偶に怪獣を見上げる。不安と期待を込めた瞳で。
 怪獣は、まだ眼を覚まさない。


編集: 短編