第193期 #8

天使

 家の傍の自販機の前で煙草を一服していたら、天使が担架で運ばれてきた。
 呼び止めて近寄った。
 天使はケガをしていた。
 俺は言った。
「どうした」
 天使は目をつむっていたが、声で俺だと分かったらしい。
「君か」
「ああ。俺だ」
「翼をもぎとられた」
 右肩側の翼がない。
 天使は上半身を起こした。目も開けた。
「襲撃された」
「誰に」
「谷の向こうの連中だと思う」
「どうして」
「揉め事の仲裁をしようとしたからな」
 天使は人の心が読めた。だから人間関係の厄介にすぐ呼ばれる。暴力をふるわれることは、よくある。
 担架の前棒を持っていた男が言った。
「早く治療に行かせたいんだ」
「ああ、すまない」
 天使が言った。
「いいんだよ。彼は他人の痛みや気持ちが分からないんだ」
「悪いな」
 担架の後棒を持った男が言った。
「お前が物語の無い男か」
 俺は答えた。
「そうだ」
 天使が腕を伸ばし、俺の二の腕をつねった。
「痛いだろう」
「痛い」
「ケガした他人を見ると、ふつうはこういう風に、体が痛いみたいに見た方も心を痛める」
「お前に教えてもらったから知ってる」
「私を呼びとめたのは、君の好奇心からだ。同情ではなく。そうだろう?」
「そうだな」
 前棒の男が俺の足元に唾を吐いた。
 天使が言った。
「今、唾を吐いたのは、君のことが気に入らないからなんだぜ」
「そうなのか」
「行動や物事の裏にはさ、人間の気持ちってのがあるんだ」
 天使は翼の生えていた痕をさわった。手に血がついた。
 その手で、俺の腕をまた、今度は握った。
「こう、出来事ってやつを経糸にさ、感情を緯糸にして、人生って布を織るんだよ。人生に意味って模様を作るんだよ」
「おもしろいな」
「おもしろいだろう。物語って言うんだ」
「この間も聞いたよ」
「君は、物語を通さずに、現実をありのままに見ることができるんだから、すごいんだ。人間たちは物語を通してしか、現実を見られないからな」
「天使はどうなんだ?」
「私も物語は読めない。だけど人の心は分かる」
「中途半端だな」
「そうだな。自分には物語なんかいらないのに、けど物語を必要とする心は分かる」
 俺は笑った。
「はは。ははははは」
 後棒の男が言った。
「何がおかしい」
「俺には両方分かんねえ」
 天使の呼吸が荒くなってきていた。
 苦しそうだ。
 俺は言った。
「楽に殺してやったらどうだ」
 天使は言った。
「それは助かるな」
 その後、担架は医者の家のある丘へ運ばれていった。



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