第192期 #2

ババーキッチャ

「あらもうこんな時間」
 富江は伝票を親指と人差し指とで挟んで立ち上がる。場所が混雑したスーパーなら万引き犯を思わせるような、非常に慣れた、プロの手つきで、その場にいる誰も彼女の初動を止めることはできなかった。
 投手の一瞬の隙を突いたホームスチール。通路に面した二席のうち、富江と向かい合わせ、レジに背を向ける形で座っていた幸美が立ちはだかる。

「富江さんいいわよー、やめてよ、ここは私が」
「あらそう」

 富江は伝票を幸美のみぞおちのあたりに押しつけて出口へ歩き始める。虚を突かれた幸美の脇を
「ごちそうさま」
「いつも悪いわね」
 と光子と美枝子が通り過ぎる。

 幸美がもんもんとしながらも会計を終えて喫茶店を出ると、三人が並んで幸美を出迎えた。
「ごちそうさまでした」
 フライトが到着して航空機から降りるときにされるような、折り目正しい三人の挨拶。特にCAだった美枝子の挨拶は角度正しく、それがますます幸美の感情を逆なでする。気づけばいつも自分が支払いをしている。美枝子はこの中で年少だからかメンバーの中ではちやほやされている。しかしその日はそれで終わらなかった。
 帰宅後、彼女たちのLINEに美枝子が間違って投稿したリンクをたどって、幸美は愕然とする。三人会、と題されたブログは今日の日付、幸美を出迎えた三人が並んで店の前で自撮りをしていた。二週間後はみんなで温泉だねー、仲良し三人娘、と残り二人のコメント。LINEのグループトークはそのリンクを流すようににわかに活気づいていた。

「私も行くわ、温泉」
 一週間後、同じメンツで再び集まり、それぞれの旦那の悪口の発表会が落ち着いた頃、幸美は口火を切った。戸惑う三人を見つめて、
「冗談よ冗談。今日は私払わないからね、ごちそうさま」

 幸美は笑う。せめて気高く。こういうとき、怖い顔をしないのが、年の功というものだ。それから、ババアは、そう簡単に、縁は切らない。グループライン「きっちゃの会」も、抜けない。幸美は十分にババアだが、死ぬまでまだ時間はあるし、そのときまでに、彼女らと温泉にいける日が来るといいな、なんて、本当に思っていたりもする。だから自分からは縁は切らない。

 数年後だが、十数年後でも無いある日の美枝子のブログには、満面の笑みの四人のババアの写真が投稿されていた。判で押したように同じ顔で笑うババアたちの皺はそこから何か読み取ることが不可能なくらい深い。



Copyright © 2018 テックスロー / 編集: 短編