第19期 #3

冬の熊さん

「熊になりたい」
サヨはマサオに言った。マサオは目を閉じている。時計の針は7時をさしているというのに外はまだ暗かった。
「私、熊になりたいよ」
サヨはもう一度言って、マサオの身体を後ろから抱きしめる。マサオは目をあけたが寝ぼけている。
「ん?」
「ねえ、マサオったら、マサオ。私熊になりたいの」
サヨは足の裏をマサオのふくらはぎにくっつけた。サヨの足の裏は冷たい。マサオはにやにやと笑った。
「そうか、熊になりたいのか」
「本気よ、私。ねえ、私を熊にしてよ」
「サヨが熊になりたい理由を教えてくれたら考えるよ」
マサオは両手をあげて、伸びをした。サヨのくっつけた足の裏は、マサオの体温で温かくなった。サヨは今度は指先をマサオの服の下に忍び込ませて腹の肉をつかんだ。マサオは今度は声をだして笑った。
「私昨日夢をみたのよ。私は小学生だった。教室に入るとね、私しかいないの。チャイムがなって先生が来たら、先生は熊だった」
「ほお」
「先生に、『あのう、みんなどうしたんですか』ってきいたら、『こんな日に学校に来るのは人間ぐらいですよ、みんな冬の間は熊になるから学校へ来ないのです。ほら、サヨちゃん、あんたも早く熊にならないといけませんよ。先生もあなた一人のために学校へ来たんだから』って言われて、私はどうしたら熊になれるかきいたんだけど、教えてくれないの」
サヨの話が終わると、マサオが言った。
「ひとつ、条件がある。ぼくはサヨを熊さんにしてあげよう。でも冬眠してるみんなを誘って学校へいかないといけない。ちゃんと授業をうけると約束できる?」
「じゃあ熊にしてくれるの」
「うん」
「じゃあ熊にして」
マサオは立ち上がり、台所へ行き、お湯に蜂蜜を溶かしてレモンを絞った飲み物を持って戻ってきた。
「熊になるには、それを飲まないといけない」
「うん」
サヨはゆっくり喉に流し込んだ。どろりとしていて、甘酸っぱい。
「のんだよ」
マサオはサヨの着替えを持ってきた。まず、足に靴下を履かせた。それから上にセーターを、下にズボンを、首にモヘアのマフラーを、頭にニット帽をかぶせた。
「はい、熊さんになったよ」
「ありがとう」
マサオはパンを焼き、サヨがベーコンと目玉焼きをつくった。食べおわるとお互いの職場へ向かって家を出た。
冬の寒い朝にサヨはよくこの手を使った。明日は猫にしよう、心の中で呟きながら従業員入り口を通った。



Copyright © 2004 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編