第19期 #18
降車する人の波に押されている内はいいのだが、駅の階段を降り切ると途端に惑い、歩みが鈍くなる。
人々が淡々とバスやタクシー乗り場、或いは呑み屋へと列成す一方で、私はのろのろと駅から離れながら頭を巡らせる。
タクシー―懐事情が許さないだろう―なら七分、バス―混み合っていて疲労が増す―なら十五分、徒歩ならとぼとぼ四十分。
乗り場を横目で見遣りながら徒歩で帰宅するのが、私の常であった。
と、目に映った列の中に柿島さん―高校時代の先輩―を見たような気がした。柿島さんは確か他県に進学後、その土地に勤めを得たと聞いていたのだが。
懐かしい後姿が列に埋もれたように思い、不意に足を止めてしまった。
私は直に歩き出そうとしたが、時既に遅く、私の足許から数歩前方まで一本の白筋が地面にすぅと伸びてしまっていた。
筋引き屋である。
「今日はいいよ」
そうは言っても、駅前でぼんやり佇んでいたのでは―既に足許から筋が伸びてしまっていることだし―弁解しようもないのである。
そうして私は筋引き屋に―少々癪ではあるが―導かれて夕暮れの家路を辿ることになった。
筋引き屋は御丁寧に自宅への道程を逐一、私に首―だか胴だか―を擡げて示してくれた。これも勤勉さの表れ―仕事を得る時の図々しさには辟易させられるが―なのだろうか。
大通りに差し掛かると、同じ団地の六号室に住む甚太君―息子の明より二つ年上で、よく家に遊びに来ていた―が車道を挟んで向こう側を塾へと急ぐのが見えた。
彼の後姿を見送っていると、明を塾へやるのは得策なのかどうか―妻の時子には怒られるだろうが―と悩む。
筋引き屋が、焦れた様に行く先を指していた。私をさっさと片して駅前に戻り、次の客を捕まえたいのであろう。
漸く私の住む団地が見えてきた。八号室の窓から身を乗り出して、時子が迎えてくれた。
彼女に手を振ってから、財布から数枚の小銭を落としてやった。小銭は音もなく白筋に吸い込まれていった。
だが尚も白筋は、私の家とは別方向へと引かれてていた。
「家はこの上だよ」
筋引き屋の白筋は、団地の奥の森を指していた。
「そうか、帰るのか」
白筋が私の足許からするりと離れ、泳ぐように暗い森へと消えていった。
筋引き屋の尾を見るのは哀しい。哀しくて、家が恋しくなる。
私の鼻腔を、カレーの香りが擽る。この香りの筋を手繰って、願わくば懐かしいドアに辿り着けますように。