第19期 #10

大飛球

 夏の高校野球、地方大会決勝。9回裏、2アウト満塁、点差はわずか1点。
 マウンドに集まる内野手たちを、神山はセンターの守備位置でじっと眺めていた。
 やがて輪が解かれて内野手たちも各々の守備位置につく。キャッチャーがチームメイトたちになにか叫んだ。おそらく檄の類なんだろうが、神山はよく憶えていない。このあとキャッチャーに応えて自分もなにか声を上げたはずなんだけど、これもよく憶えていない。しかし、そのあとのことは鮮明に憶えている。
 ピッチャーが直後に投げた1球目。明らかに失投だった。バットが鋭く振りぬかれる。
 バットがボールを捉えた音が、あたかも甲子園が叩き壊される音に聞こえた。
 神山はすばやく反転してバックスクリーンに向けて駆け出した。走りながら涙が溢れるのではないかと思うほど胸が締め付けられる。
 ちらりと打球を見る。最高点に達したボールはすでに落下を開始している。この段階になるとだいぶ正確な落下地点を予測できるのだが、神山はあえてそれは考えないようにした。
 また打球を見る。神山は驚いた。風が吹いているのか、打球にまったく伸びがなくなっていた。
 捕れるかもしれない。神山の中ではじめて希望が湧いた。
 濃緑のバックスクリーンを背景に白球が舞い降りる。捕れるにせよ捕れないにせよ、神山は飛び込むことを決めた。最後のバッターが1塁ベースにヘッドスライディングするのと同じだ。やれることはなんでもやってやる。
 ボールから目を離さずに飛び込むタイミングを計る。すぐそこまで迫っているはずのフェンスが頭をかすめたが、気にしている場合ではない。
 今だ!神山は飛び込んだ。
 最後に残っている印象は、落下するボールとそれめがけて伸ばしたグラブ、そして迫りくるフェンスだった。

 目が覚めた。
 頭がずきずき痛み、意識が朦朧とする。
 ベットの上に横になっていた。学校の保健室のような雰囲気から察するにここは球場の医務室だ。記憶はボールに飛び込んだ直後までしかなく、それからここに来るまでの経緯はまったく憶えてない。
 それよりわからないのはベットを取り囲んで自分を覗き込んでいるチームメイトや監督やらの顔が一様に泣き腫らしていることだ。涙や鼻水で皆すごい顔になっている。
 こちらが意識を取り戻したことで喜んでくれているのだろうけど、そのぐしゃぐしゃの顔からでは表情の変化はよくわからなかった。


Copyright © 2004 プライス / 編集: 短編