第189期 #8

叫んでいいんだよ

 休日。
 午前中は妹御用達の紅茶と平松洋子の「買えない味」。
 午後には曇り空になり目線を外されたように寂しい気持。
 夜はまだ寒い。新しい靴下を履いて寝る。
 翌日。連休。
 写真共有エスエヌエスで知りあった男と公園で会う。
「こんにちは」
「どうもこんにちは」
 五月。十一時。

 私は男に指図された。
 生のお肉を食べる時の顔をしてください。
 鯖と舞茸のトマト煮の風味を想像してみてください。
 日差しの強烈な半島で育った力強い香りのクレソンが、鼻先に突如現れたと思ってください。
 撮影会には紆余曲折あった。私、やっちまったなって。
 ネットに自撮写真をアップロードしている。時々、写真を撮らせてくださいと声をかけられる。バイト料をくれる人もいる。プロフ写真用の撮影をしてくれる人もいる。投稿履歴を追って卑猥な写真がないことを確認しておけば、セクサロイド扱いしてくる男とは案外に遭遇しない。
 男が言った。
「食物のことを考えている女性の顔が好きです」
 気持悪。

 退屈だったから妄想した。
 例えば今撮影している男は、私の友達の元恋人だった、なんて設定。
 現実の食事など忘れたかのように、女に幻だけ喰わせる男。
 それだけでお腹いっぱい。
 そりゃ別れるわ。
 私は言う。
「実は」
 私は、あなたの友達のかくかくしかじか。
 男は驚かない。
 一言だけ述べる。
「偶然ですね」
 私は言った。
「どうして?」
「何?」
「どうして本物を食べさせない」
(妄想お終い)

 十二時。
 撮影会が終わった。
「喰顔ありがとうございました」
「何皿食べたか記憶にないです」
 お互いに笑った。
 それから男が言った。
「何かあったんですか? 撮影中、ずっと悲しそうな顔をしていました」
 私は答えた。
「図星ですけど言いたくはないです」
 男は続けた。
 あなたに対するこういう気持ちをどう表現していいのか、僕にはまだよく分からないです。
 でも、時々カメラの向こうで、今日みたいに放っておけない表情をされることがあって。
 こういう時に僕は、叫んでもいいんだよって言ってあげています。僕は嫌だ、って叫んでもいいって。
 私たち二人は挨拶をして別れた。

 昔に友達が教えてくれた。
「人は好きな人からしか学ばない」
 彼の言葉は私の慰めになんなかった。
 しょせん、信頼していない他人からの言葉は耳に届かない。
 ただ、彼の最後のせりふだけは忘れないかもしれないなと思った。
 僕は嫌だ、って。



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