第189期 #7

だるまさんになる

風呂場のとびらをあけると、さっきまで意識していなかったがピンクのマットが敷いてあって、私の濡れた足の水分をマットのふわふわした部分が素早く吸いとっていった。浴室内にたちこめていたシャワーの湯気が洗面所の鏡をくもらせていた。火照った私の身体は急速に冷やされている。私はあわてて洗面所の換気扇のスイッチをいれた。

私の住処とは、いろんな点がちがっていた。頭が禿げあがっている私には必要のないドライヤーがとりつけてある。放置された洗濯物などひとつも見当たらなかったし、洗面所には歯磨き粉の泡でできたシミもなく、頭上の明るい照明は私の醜い容姿をはっきりと照らしていて、くもりが消えて埃ひとつついていない鏡がありのままの私を映していた。

彼女が用意してくれていた新品の下着は私の身体にぴったりの5Lサイズで、上も下も赤色である。

「だるまのような男性を探しています」

インターネットの掲示板でみつけたとき、私はそれがある種の冗談の一種かと思った。誰もが心に病みを抱えているこの時代特有の、毒にも薬にもならない嘘なのだろうと思ったが、そもそもこのような書込みに目を通しているくらいに私も疲れていた。掲示板には詳細が書いてあって、「私の家でダルマさんが転んだをしてくれた方に謝礼を100万円はらいます。ただし私は女性の1人暮しですから希望される方は免許証のコピーをあらかじめ添付してメールしてください」というものだった。

私は下着のまま洗面所をでて長い廊下を歩いて彼女の待っているリビングへ向かった。下着でというのは彼女の指示で、それは私をより本物のだるまに似せるためだった。

リビングの扉を開くと併設している巨大なシステムキッチンに彼女が立っている。最初一目みたときも驚いたものだったが、どうしてこれほどの美人がこのような奇妙なことを企むのだろう。彼女はカウンターで珈琲をつくっていた。豆を業務用の電動ミルでひくと、光サイフォンで珈琲を抽出しはじめ、その間私のことを犬か猫のようにしか見ていなかった。

自分より随分年下のはずなのに、彼女には相手を跪かせるような圧倒的気品と自信でみなぎっていて、私は黙って彼女が珈琲を作り終わるのを待った。

「どうぞ」

私は珈琲がまったく飲めない人間だったが、一口すすってみるとこれまで飲んできたものは珈琲のような別ものだったことがわかった。

「飲み終わったら、ダルマさんしますからね」

彼女が言った。



Copyright © 2018 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編