第188期 #9
浦島太郎が開けた玉手箱のなかに入っていたのは、白い煙。白煙をかぶった浦島太郎はあっという間に年をとって、お爺さんになってしまった。
わたしが別れ際に彼氏(今となっては元カレ)の浮気相手(実はそちらが本命)にぶっかけられたのは、白い小麦粉。頭からそれをかぶったわたしは別段年をとることもなく、ただ真っ白になって、止まらない咳に悩まされただけ。
真っ白に染まったわたしは、混乱の最中に捻挫した脚でよろけながら家路を歩いた。思いだしたくもないのに、元カレとのあれもこれもが思いだされて、そうして、なるほど、そうか、そりゃあ、わたしは浮気相手だったわけだから、と納得することばかりのリストを作りあげて。
なんておめでたい人間なのだ、と、確認させられる羽目になる。
真っ白に染まったままぼんやりとした頭でアパートまで戻ってくると、向かいのばばあがいつもどおり見張るかのように通りの掃除をしている最中で、小麦粉まみれになっているわたしを見て、蔑んだような目を向けてくる。やれやれ、これはまた大家さんに言いつけられるわ、と思いながら階段を上がろうとすると、あんた、あんた、と呼ばれる。なんでしょうか、と苛々しながら振り向くと、人生悪いことばかりやないからね、と言って、階段に並んで座らされる。あたしもなあ、若い頃にはいろいろあったよ、あたしもあんたと同じでな、若い頃にはいきがってたからな。ばばあは、わかるわわかるわとうんうん頷きながら話を続けるが、そんなことより部屋に戻らせてくれ、早くシャワーを浴びたいし着替えたいんだと心底思う。ばばあの話は終わらない。いつまで経っても終わらない。
なんてことがね、若い頃のわたしにもあったんだよ、などと意味のない言葉を口から発しながら、隣に座って泣き続ける若い娘っ子の様子を窺う。娘っ子は頭から白い粉まみれになって、顔をぐちゃぐちゃにして泣き続ける。たぶん放っておいてほしいんだろう、一刻も早く部屋に戻ってシャワーを浴びたいんだろう、と思いながらも、わたしは娘っ子に無駄話を続けるのをやめない。意地悪でやっているのではない。親切でやっているのでもない。あのときのばばあが、このあとどうしたのか思いだせないのだ。ただそれだけだ。