第188期 #8

恵美の或る一日

 いつもと変わらぬ朝が来た。
 恵美はベッドから身を起し、軽く伸びをした。時刻は午前七時半。昨日と同じ起床時間。顔を洗い、制服に着替えて、居間で家族と朝食をとる。
 テレビはどの局も同じニュースを扱っていた。映し出される焼け野原。父も母も妹も、ぼんやりとした様子でそれを眺めている。デジャブを感じる光景。あの大地震の時のよう。
 スマホに目を向けた恵美は顔を顰めた。学校からの連絡で、授業は通常通り行われるらしい。何もこんな時に、と思う反面、何故か安堵もしていた。
 通学途中の電車の中では、誰もがスマホに目を落としていた。顔に浮かぶのは一様に曖昧な表情。ピンと来ないのだろう。恵美もそうだった。あちこちで囁き声が聞こえる。「大惨事」、「戦争」、「報復」、「被爆」――そんな言葉が乗客の口から零れていた。
 大変なことが起こったのだ。恵美にはそれぐらいしか解らない。きっと誰もが同じで、出来ることと言えば、取り敢えず会社に行き、学校に向かうことぐらいなのである。
 学校では全校朝礼が開かれた。校長が「冷静な対応」を説いていたが、生徒達が耳を傾けたのは部活動の休止に関する話ぐらいで、後はヒソヒソ話に夢中だった。
 教師が授業を始めても、真面目に話を聞く者はおらず、皆こっそりとスマホを弄くり、ニュースをチェックしていた。教師も見て見ぬ振りをしてくれる。
 昼食を食べながら、恵美は友人達と今後のことを話した。部活の全国大会はどうなるのか。期末テストや夏休みは。殊更に騒いでみせたが、無意識に皆が皆に気を使っていた。居心地の良い空気ではない。
 放課後、人の疎らな校庭で、制服姿の野球部員がキャッチボールをしており、乾いた音を響かせていた。陸上部の恵美も無性に走りたくなった。だから、暮れなずむ街中を、走った。駅から家までの道を、全速力で。
 帰宅してすぐに夕食になった。母から、スーパーでカップ麺を買い漁ったという武勇伝を聞かされる。妙に夕食のカレーが貴重なものに思えて、いつもより味わって食べた。
 湯船に張られたたっぷりのお湯に浸かり、恵美はほっと一息を吐いた。考えるのはこれからのこと。まずは明日の英語の小テストをどう乗り切るか。それから部活の練習をどうするか。アレのことは放っておくしかない。
「出来れば、遠くに落ちて欲しいな」
 そう呟いた恵美が、ふと窓に目をやった刹那だった。
 強烈な閃光が全てを白く塗り潰した。



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