第188期 #5

放課後

 高橋は塾に通っていた。
「おれ今日塾だから」
学校が終わるとたいていそう言って帰っていく。だから今日塾、さらに転じて教授というあだ名になった。うちの学校で塾に通っていたのは数えるほど、大学まで行こうなんてのも少数派だった。
「あいつ馬鹿なくせにさ、きたねえよな」
 田中は勉強嫌いだが物分かりのいい男だ。はっきり言えば頭がいい。勉強も嫌いなふりをしているだけかもしれない。だが結果的に勉強しないから、高橋よりもテストの点数がいつも悪かった。
「ばはは。馬鹿同士仲良くやれや」
 中村は馬鹿だ。ノリのよさで生きている。勉強はできないし、成績も良くなりようがない。部活をやってないのが不思議だ。こういうのは運動部で後輩に威張ったり、先輩を茶化したり、楽しくやっていそうなのだが、根本的なところで従順さに欠けるのだ。
「馬鹿はお前だろう」
 松本は辛辣な人間だ。何を言っても言葉に棘がある。斜に構えているのがかっこいいとかそういう意識ではなくて、天性のものに違いない。こういう発言だけは的確だが、こういうタイプを頭がいいとは言えない。こいつは分かっているという感触が得られない。
「なんだと」
めずらしく中村が向きになった。自称馬鹿の中村が馬鹿と言われて怒るのは奇妙だった。他人から言われると腹が立つといっても相手は松本だ。怒るだけ無駄というものだ。
 田中は少し下を向いて黙っている。松本はいつものポーカーフェイスで中村の方をじっと見ている。中村は怒りを顔に出したままやはり黙っていた。
「おれも帰る」
中村はくるりと後ろを向いた。
「今日は用があるからな」
 田中はそれを横目で見送って、まだしばらく黙っていた。松本も無言だった。もっとも松本の無言はいつものことだった。
「みんな馬鹿なくせにきたねえよな」
田中がぽつりと言った。
「でもお前は馬鹿じゃないな」
松本は無表情で感情が見えない。ほめているのかけなしているのかよく分からない。
「でもお前の家じゃ仕方がない」
「うるせえな。お前はどうなんだよ」
松本はまた黙っている。何かを言おうとしているのか無視しているのかそれすらよく分からない。
「あーあ、おれも帰るぞ」
田中が出ていった。松本はずっと黙っていた。
「お前さあ、なんかしゃべれよ」
松本は苦笑いを浮かべた。
「おまえこそしゃべれよ。お前はおれのコピーか」
松本は立ち上がり、歩き出した。
「お前はおれの影武者か。お前はおれのダークサイドか」



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