第186期 #5
物語が消費されるスピードが早くなっている。0か1かの積み重ねで極小単位の物語が作られた。膨大な数のパターンが消費された。最小の物語は我々がいわゆる碁石と呼ぶものにきわめて近い形をとった。
細切れになった物語を順列並べ替えで2パターン揃えて戦わせるのはAIの常套手段だった。盤上に碁石を置く場所がなくなったので、AI甲はついに白の碁石の上に黒を置くようになった。あ、それならといってAI乙は碁盤の外に石を置いた。石を打つ甲乙のリズムはあくまで規則正しく、お互いを浸食しながら領域を3次元に拡大していく。
ディープラーニング研究の第一人者で知られる目川洋次は後にこう述懐する。「ディテールを追求して実際の碁石使い彼らの思考を現実に再現する仕組みを作っていたのが良くなかったかも知れません。しかし、碁石をインターフェースとして使わなくとも、彼らは白黒つければ何でも良かったと結局は言うでしょうし、いずれ彼らは碁石などにとらわれなくなっていた」
高々と隆起した黒の碁石の円柱が、白の碁石の襞奥深くまで入り込み、前後運動を始めた。白の碁石は弱く強くリズミカルに黒の碁石を締め付け、ついに円柱の中心から白の碁石が放出される。
運が良かったのも一つあるが、金もだいぶ使った。常に最前列に陣取り民放のインタビューを受けている男は、実は2週間ずっと開場時間から終わりまでそこに座っているのだが、インタビューを受けるのは意外にも今日が初めてだった。
「失礼します〜今朝は何時から並ばれて?」
「いつも通り朝の五時には」
「いつも通り? ひょっとして昨日も?」
「ええ、もうずっとここにいます」
「へー!そうなんですね! やっぱり何度見ても可愛いですよね!」
「はい」
「毎日見ていると昨日とは違うな〜なんてこともあるわけですよね」
「ええ、実は」
「あー! テレビの前の皆さん見てください! シャンシャンが出てきました! 可愛い〜!」
男はリポーターの指さす先で愛嬌を振りまくシャンシャンを見てやはりと思った。昨日より黒い部分が多い。一昨日までは白い部分が多かった。おずおずと日々大きくなるパンダと目が合う。その目が一瞬碁石のように白く剥かれ、ほかの観客が気付く直前にまた黒目に戻った。パンダはこれ見よがしに寝転がり、見せつけるように笹を食べだした。観客の興奮は最高潮に達したが、男の脳裏から白い碁石のイメージが消えることはなかった。