第186期 #4
母はトウモロコシを上手に食べた。ひと粒ずつ丁寧に捥いで口に入れてはまた捥いで。後に残る芯は乳白に調和があった。子供だった私はそれにならってひと粒ずつつまんで食べてみる。私はあの綺麗な芯を期待するのだ。ところが二、三粒食べたあたりで頭の中で声がする。
「かぶりついちゃいなよ」
三〇〇ヘルツくらいのその声は私にちまちましてないで欲に従え抗うなと言ってくる。私は頭を振って三〇〇ヘルツを追い出す。そしてまたひと粒ずつ食べ始めた。イライラする。めちょめちょイライラする。三〇〇ヘルツ後の世界ではひと粒捥いで口に入れることが煩わしくて仕方がない。何故だ。三〇〇ヘルツ以前に抱いた崇高な志は何処へ行ってしまったのだ。冷静であれ私!
「かぶりついちゃいなよ。昨今ストレス社会だよ。我慢しないで。やれるときにやらなくっちゃ」
うるさい。うるさいうるさいうるさい! なにがストレス社会だよ! なんだそれ!? 私はまだ子供だぞ!
何かに追い詰められて蒼白しながらまた捥ぎ始める。
「かぶりつこうよ。しあわせになろうよ」
喧しいぞ! いい加減にしてくれ! あーーかーぁぶりつきてーーー!!
思ったのも束の間、食い散らかされたきったない芯が皿の上で転がっていた。私は芯を見つめた。芯は徐ろに語り始める。
「哀しい目をしないでくだせえ。確かにきわきわの部分にゃまだ黄色い実が残ってまさぁ。食べてほしかったにゃちげえねえ。そう思ってお日さんをそりゃそれです。あんたは食べたいように食った。それも悪かねえ。誰も……誰も悪かねえんでさぁ。だからそんな哀しい目をしなさんな。半端もんの実を思って哀しむのはわしの役目ですから」