第184期 #8

健常

車椅子を日常生活に取り入れたい。

机に向かい、キャスター付きの椅子に座って勉強している時、後ろの本棚まで本を取りに行く為にいちいち立ち上がるのが面倒臭くて、床を蹴り、勢いに任せて後ろまで移動する事が多い。そもそもあのキャスターは机に向かって体の出し入れがしやすい様、椅子に座ったままある程度動ける様にする物だ。
あのまま移動できる様に、キャスターにモーターを仕込んでもいいし、背負子の様に扇風機をつけても作業が捗ると思う。

電動車椅子の様に操作レバーを付けるのも面白い。
吸盤のついた棒を握って、奇形のヤドカリみたいに動いても面白い。

障害者でもないのに車椅子を使ったら、差別だという人が出てくるかもしれない。いや間違いなく出てくる。
こっちは便利だから、移動に楽だから使っているのに、奴らは上げ足さえ獲れればいいくらいの感覚でケチを付けてくる。
誰も障害者を馬鹿になんかしていないしそんなつもりもないのに、「健常者に馬鹿にされた、健常者は傲慢だ」
みたいな事を言うのだろう。
それでは、健常者は何を持って健常者なのだろうか。車椅子が無いと歩けないからか生きていけないからか、そもそも「健常」とはどこからどこまでが「健常」なのか。
「歩けないし知性も少し遅れてるけど誰がなんと言おうと私は健常者」とか言われたらどうするのか。

車椅子を使っている人の中には、本当は杖を使えば充分歩けるのに、周りから気遣いを受けられるしなにかと便利だから車椅子に乗っている人もいる。
それこそ差別ではないか。
障害者ばかりが優遇される理由は無い。健常者と同じ扱いをされたいなら頑張って歩けばいいのにそれをしようとしない。
周りからの援助が欲しくて車椅子を要求する行為は本当に車椅子が必要な人を差別している。
そして、健常者を差別しているのだ。
杖は冷遇されていると言っていい。
俺は健常者だけれど怠惰だから歩きたく無いのだ。だから今日もキャスター付きの椅子を転がして自室を縦横無尽に移動する。

暇すぎて下らないことを考えて、思い切りフローリングを蹴った。調子に乗りすぎてキャスターが折れた。そしてしたたかに背中を打ってしばらく立てなかった。
傷だらけのフローリングを見ながら、痛めた背中をさすって今日も生きてます。

ああ、母ちゃんになんて言おう。



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