第184期 #10

自画像

 深夜の台所で、一人暮らしには大きすぎる冷蔵庫のまえに涼子はじっと立っていた。

 上の扉をひらくと、大きな冷凍室のなかから冷気がでてくる。それは冬の朝、はやく家をでて歩いているときの息のようだった。冷凍庫にはアイスクリームが3個入っているだけなので、その大きな冷凍室ならば、小柄な涼子は猫のように丸まって、入ることができたかもしれない。本気で冷凍庫のなかで丸まっている自分を想像してみた。

 どこか遠い国で、500年前の少女の冷凍ミイラが発掘されたというニュースを聞いた。冷凍庫のなかで、この火照った肉がひんやりとつめたくなって、体のあちこちが凍っていくさまは、なんだか気持ちがよいように思える。凍死するまえは眠くなって、夢をみているあいだに死んでいくというが、そうして自分が亡くなったあと500年たっても、今と同じ肌の状態でいられるのならば、このまま老いて死んでいくより、よほど死が自立しているようで、涼子は度々、500年の冷凍少女のことを考える。

 自殺者が交通事故をこえるほどに増えているという話を美大の講義できいたが、教授は「若いことはすばらしい!」とひたすら熱弁していた。まるで自分の「若さ」が刺身とおなじように、鮮度だけがとりえと強調されているように思えて冷めてしまった。

若さと引き換えに、何かを獲得できればいいが何もなすことができないとするならば、ただの老いぼれということになる。それならば、若いうちに死を選ぶことのほうがどれほど生きることに対して潔いだろう――。

涼子は美大の試験のことで悩んでいた。試験で描くことになっている自画像について、どう描こうか迷っているのだ。

 昔から絵を描くことが涼子の生活では当たり前になっていたが、それはどちらかというと描きたい絵というより、上手なデッサンだった。将来は、絵を描いて給料を貰うようになると漠然と考えていたから美大に入学したのだ。

 けれども、美大のなかで自分と同じように子供のころから「上手な絵」を描くエリートたちのなかで「自分だけの絵」を描こうとすると、これが難しい。学生コンクールで入賞するのと、自分の絵を描くことは評価の次元がちがうことをはじめて知った。

私の顔を上手に描いてもそれは私なんだろうかーー。

涼子はアイスクリームを食べることにした。すべって、とけかかったアイスクリームがふとももにこぼれおちた。タオルでふいても、ベットリと残った。



Copyright © 2018 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編