第183期 #2

にわか仕込みのかめはめ波

 職場で好きになったベトナム人女性が水彩画が趣味だと言って、スマホで絵を見せてもらった。絵は上手で芸術的、でも漫画の絵、夏着の二人の男の子が日本刀の刃をぶつけ合っている。物語もあるのかと訊いたら「ある」と彼女は答えた。ネットで作品を公開しているらしい。小説、漫画、ドラマ、映画、違いはあっても作品が面白いかどうかは物語、展開にあるはずだ。「留学生の時、この絵は朝のニュースで放送されたよ」と言うので「日本の?」と訊いたら「日本の」と答えた。
 「じゃあ、ここで働くよりも絵のほうがいいんじゃない?」と言うと「もう少しで本になるから、そうだね」と言われて僕は席を離れた。うちに帰って飼い犬の黒柴を相手に「どどん波」と言って人差し指を鼻に押し当てると、段々と嫌がって口を開いて指を噛もうとする。好意が嫉妬に変わったのがみっともなくて、嫉妬するぐらいなら学生の頃に書いていた小説でも書いてみればいいじゃないかと考えるが、犬を相手にしながらでは物語の土台と展開など思い浮かばない。
 逆に頭に浮かんだのがドラゴンボールの一コマで、天下一武道会のクリリン対チャオズ戦の時に亀仙人が言った「無理じゃ、にわか仕込みのかめはめ波ではどどん波にはかなわない」と言うセリフだった。小学生の時に「にわかじこみって何?」と母親に訊いて「簡単に身につけたことよ」と教えてもらったが、当時の僕は、かめはめ波はどどん波に比べて簡単に習得できる技で、大変な修行が必要などどん波にはかなわないのだと理解した。そのまま三十男の今になって、あの亀仙人のセリフは、クリリンのかめはめ波がにわか仕込みだと言っていることに気づき、かめはめ波自体がどどん波に劣るとは言っていないことに気が付いた。しかし、どうして当時の僕は間違えて理解したのだろう。
 この答えは「下手くそな」と「下手くその」の違いと比べると見えてくる。「下手くそなかめはめ波」はかめはめ波を修飾しているのに対して「下手くそのかめはめ波」は術者のことを「下手くそ」と表している。「にわか仕込み」という名詞は術者のことを表すことがなく、連体助詞「の」を伴って後述の名詞を修飾する。「にわか仕込みな」という形容動詞としての用法はないようで、Googleで検索してもネット小説しか引っかからない。
 自分の勘違いが解消されて、彼女への嫉妬も好意に返った。にわか仕込みの小説。にわか仕込みな作品。



Copyright © 2017 世論以明日文句 / 編集: 短編