第183期 #13
ちぎれた記憶のはじまりはいつも黄昏時だった。痩せた土の上で木々は立ち枯れていた。木槌を手に日々ブドウを接ぐ父と母は金色の陽の中で輪郭をおぼろげに溶け合わせながらゆらめく影だった。けれどこのあと闇に乗じて現れた隻眼の男が刀で父と母の首を千切るのだ。これ以前のことは覚えていない。これは既に起きてしまったことであり、動機は意味をもたない。
ブドウの接ぎ木は成功したが心に空洞を抱えたままだった。私は養子に貰われることになった。相手は隻眼の彼だった。私は私の故国にとっての禍根そのものだったし、拒否する権利などなかった。これは追放だった。仇の死を望む私の死が望まれていた。
共に暮らす中で私は彼から多くのことを学び取らなくてはならなかった。火の熾し方、蛇の払い方、星の読み方。うつろう季節のこと。風は復讐心をさらわなかった。山の頂では雷の夜や雲海の朝もあった。雲海からのぼる金色の陽を受けた私たちの影は憎しみなどないかのように感情をありありと浮かべていた。いつしか記憶の中の父と母は金色の闇の中で輪郭だけで笑う影になった。雷は私たちが私たちの故国にとっての禍根だった過去と秘密を道連れに流れた。闇の中にも神はいたのかもしれなかった。奇跡が起きたのかもしれなかった。
憎しみは消えることはない。きっと彼もそうだったのだろう。私の中に復讐を終えたはずの憎しみの影を見たのだろうか。仇の死を望むゆえに死を望まれた仇の子に死を望まれていることを知っていたのだろうか。だとすれば、罰を受けようやくその荷を降ろすことができ世界と対等になって私の中に憎しみの影を探さなくなった彼の中には復讐を終えた私がいるのだろうか。
ブドウは収穫を終え、樽で眠っている。彼は醸造酒を飲むとお腹をくだしてしまうらしい、ということを知らなかったことにして新しい杯を一脚だけ用意した。
いま彼は老いている。半身がしびれて不自由な彼のためにブドウの枝で杖を編んだ。親亡き後、常に供となりその背を見て育った。彼を殺すことは父親殺しに他ならない。死を覚悟していたのか確認はしなかった。してもよかった。して欲しがっていたのかもしれなかった。代わりに私は死を怖れていることを伝えた。どちらの死かと尋ねかえされた。貴方の死だと答えた。相づち。おぼつかない足元を杖が彼の四肢となって支える。彼は父となり私を抱きすくめる。そして私たちははじめて結ばれる。