第182期 #14

ヤツとの戦い

ガチャっと鍵の音がした。ヤツがやって着た音だ。ヤツは5分もしないうちに家中を飲み込んでしまう。怖い。そう思って、俺は必死に眠ろうとした。
それからどれくらい経ったのだろうか。気が付くと自分の部屋もヤツに浸食されてしまっていた。
ひんやりと冷たく重たい空気。異常なまでの静けさ。窓の外は陽が照っていて温かそうだし、電車が走る音もしている。それでも、家の中は静かで、冷たく重たく、まとわりつくような空気で、ここだけ時間が止まっているのではないかと錯覚しそうになる。こんなことを思うようになったのは、みんなと暮らしはじめてからだ。

今日はみんな仕事とか私用とかで出掛けると言っていたから、俺もどこかに行こうとした。それを、カズキが「休日は休む日だ。とにかく、休め」と言って、俺をベッドまで差し戻したのだ。
熱が出たまま2日も放置しておけないと思ったカズキの優しさだ。それでも、俺はヤツのいる家にひとりでは居たくなかった。
横を向くと部屋の中に置かれたローテーブルに500mLのペットボトルが10本以上置いてあった。中身は全て水だ。ハヤトが「飲んで出せ」と言って浄水器の水を汲んでくれたものだ。
そう言えば、去り際に「早くよくなってくれないと、姉さんが自分を責めるから」と言っていた。俺のこと心配してくれているのかと思ったら、姉さんのことかよ、って思いだして苦笑いする。
それでも、ありがたいし、喉も乾いているのだが、あの水を飲んでヤツが占拠している家の中を歩きたいとは思えなかった。

姉さんが自分を責めるから。確かに、姐さんと作業をしていて、うまくいかないことが焦りになって、根を詰め過ぎたのかもしれない。熱は風邪ではなくて、疲れからきているのだろう。
うまくいかないのは自分のせいだ。だから、なんとかしたかった。頭ではわかっている。でも、それはいつもと違うことで、それをすることに違和感を覚え、不安になる。
もしかしたら、ヤツは自分の不安かもしれない。そう思った俺は、ペットボトルに手を伸ばし、体が欲しいというだけの水を飲む。一気に500mLの水が無くなった。俺はベッドに横たわり、その時を待った。

1時間もしないうちにその時は来た。ベッドから出ることも嫌だ。重く冷たいまとわりつくような空気に包まれたくなかった。それでも、俺はベッドを這い出、部屋のドアノブを回して外に出た。
あの嫌な空気はそこにはなかった。



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