第181期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 見える子 イリト 219
2 カルーアミルク かささぎ 645
3 或る町の夕暮れ といと 692
4 スイート・マリー 宇加谷 研一郎 1000
5 ヒト、ですから…… わがまま娘 998
6 すいかのにょうさんち ハギワラシンジ 976
7 江口君のこと テックスロー 974
8 彼方の入道雲はもういない 岩西 健治 966
9 超能力カップル euReka 1000
10 積み石のアーチ 塩むすび 1000

#1

見える子





「このマンション、出るんだって。エレベーターにさ」

いわゆる「見える子」って嫌い。
エレベーターのガラスって、階の間には真っ黒になって中を映すじゃない、鏡みたいに。そこに女の幽霊が映るって噂が子ども達の間では話題みたい。そんな姿あまり見たくないから、私はいつも目を伏せるの。そういえばさっきから隣の子、酷く顔色が青白いわね。

次の階でボタンを押して降りて行った。走って逃げて行くわ、きっと私に気付いたのね。だから嫌いなのよ、見えちゃう子って。


#2

カルーアミルク

カルーアミルクみたいな恋をしてた。

恋人の肌はカルーアのお酒みたいに茶色かった。

逆に僕は焼けにくい体質らしくて、真っ白な肌の色をしていた。

恋人が、白くてさわり心地のいい肌だね、ってカタコトの日本語で誉めてくれるのがたまらなく嬉しかった。

抱き合っている時の茶色い肌と白い肌のコントラストもたまらなく好きだった。

僕は彼を好きすぎて、病気みたいにおかしかったと思う。

そんな僕を彼は、全部受け入れてくれた、と思ってた。

そう思ってたのは僕だけだったみたい。

「乳臭いガキの相手はしてられマセン。正直疲れマス」

偶然だった。薄暗いけど上品なバーでそう話してるのを聞いてしまった。二人が出会った場所だった。

ショックだった。ただ、ショックだった。

僕は、大好きだった恋人の顔を見ることができなくなっていった。

あの乳臭いという言葉が、僕の中で消化できない。

確かに、ミルクみたいにあまちゃんだな、と思う。

あの言葉の真偽を確かめることもできない。

前のように甘えることができなくなっていった。

それからどんどん疎遠になり、自然に消滅してしまった。

バーテンダーに無理を言ってカルーアを少し多めに入れた苦めのカルーアミルクを飲みながら、僕は彼のことを思い出す。

「ここ、いいですか?」

バーで出会ったひとりの年下の男。

彼は、コーヒーみたいな中毒性があった。

「コーヒー牛乳みたいだ」

「風呂上がりに飲みたくなりますよね」

そういうところが好きだ。

でも、昔みたいに、強烈に熱くて怖いくらいに盲目の病気みたいじゃない。

優しく穏やかに愛してる。


#3

或る町の夕暮れ

今日もこの町にはいつもと変わることのない日常が流れそして、いつものように夕暮れが訪れる。 今日という1日に終わりを告げる薄紅色の夕日は静穏なひと時を与えてくれる。そんなひと時は1度思考をやめぼんやりと窓の外からの風景を眺めたくなるものだ。 彼女もそうなのだろう。彼女は窓際に腰をかけそこから見える風景をぼんやりと見つめている。何を考えているのだろうか、相変わらず表情の読めないその美しい顔は何か人を惹き付ける魅力があるのだろう。 話しかけようかと思ったが彼女の端麗さと夕日が重なりあった特集な美しさは人を近寄らせないような雰囲気があった。 しばらく俺は立ち尽くしその情景に恍惚としていた。

「どうかした?そんなところに突っ立って。」

後ろの存在に気づいた彼女は自身から声をかける。艶やかな微笑を浮かべた彼女は窓から入り込む夕日も薄くした。

「特に意味があったわけではないよ。ただ少し見とれていただけ。」

「私に?」

いたずらっぽく笑う彼女の言葉はどういう意図があるのかは俺には分からない。

「まあ、そうかもね。いくらお前を見ていても飽きないし。」

「珍しく素直だね。」

俺は何も言わず彼女の隣まで行き窓からの風景を眺める。心做しかさっきよりも夕日が鮮やかに見える。

「ここから見える景色、綺麗だよね。それに見とれてぼーっとしてるといつの間にか時間がたってるんだ。あなたとの時間も同じなのかな。」

「さあな...まあ少なくとも今はそうなんじゃないかな。」

そんな会話をする夕日の魔力にかかった2人はしばらくぼんやりと窓からの風景を眺めていた。この2人の光景は決して色褪せることはないだろう。


#4

スイート・マリー

マリーが木の枝で眠りたいの、といい始めたのは彼女が30歳の誕生日をむかえた晩のことで、その日はきっとモームがひそかにダイヤモンドの指輪をプレゼントしてくれるにちがいないと思っていた。

ところがモームがかってきたのは、赤と青の縞模様のパジャマだった。

「誕生日にパジャマなんかほしくないわ!」

マリーはそういって、そのときは、もらったばかりのパジャマをくしゃくしゃにまるめて犬小屋に放り込んだ。犬小屋に放り込まれたパジャマを、犬がくんくんと嗅いでいて「これはぼくのおもちゃじゃないな、わんわん」と犬なりに困った顔をしていた。

マリーは唐突に、「そうだ、わたしは木の枝で眠りたい、眠ろう」と決めた。それからマリーは庭に植えている先祖代々の大きな木によじのぼり、その晩から枝で眠ることにしたのだ。

それからしばらく時がすぎた。

今ではマリーはいつもモームからもらったパジャマを着ている。時代おくれのラジカセを背負って木に登って、ボブディランのBlonde on Blondeをよく流していた。

「パジャマは眠るときに着るもので、普段は服をきるのが社会人による文化生活というものだよ」

とモームが言ったけれど、マリーにその声は届かなくて、マリーはその日も木の枝で、パジャマを着ていたのだった。しかたなくモームが仕事から帰ってごはんをつくり、リュックを背負って木にしがみつき、マリーに料理をとどける。マリーは木の上でずっと本を読んでいるのだった。地上にいる頃、モームはマリーが本を読んでいる姿をみることはなかった。

「マリー、いったい何の本を読んでるの?」
「カミュ」
「カム?」

『この長期にわたる小刻みにゆれ動いた絶望的な生活のあとで、新しく生活を建て直すこと。太陽がやっと顔をのぞかせ、ぼくの身体は息をはずませている。沈黙すること、自分を信頼すること』

マリーが朗読していると、いつのまにかモームは木の枝で眠っていた。それからモームも木の枝でマリーの朗読を聴くことが好きになった。ただ、モームはいつもすぐに眠っていた。

「まさかぼくたちが木の枝で暮らすようになれるなんて、想像もつかなかったよ……」

ある日モームは木の枝にぶらさがりながら、独り言のようにつぶやいた。マリーは返事をしないかわりに、かるく微笑んでいる。けれどマリーの微笑みは、枝にぶらさがったままのモームには見えない。緑色の風が吹いている。犬が二人をみあげて鳴いている。


#5

ヒト、ですから……

「家をね、買ったの」
ん?
「だから、適当な時に引っ越しなさい」
ん??
仕事から帰って来て、テレビを見ながら夕飯を食べているときに、母がそう言った。
俺を追い出すために、家を買ったってこと?
意味が良くわからなかった。

数日後、嫁に行った姉から電話がかかってきた。すごく焦っていたのか、つながった途端大きな声が聞こえて、思わず持っていたスマホを耳から離した。
「アンタ、どうすんの?!」
「どうするとって、家がってこと?」
「そうよ!!」
今日母が俺用の家を買ったというから、驚いて電話してきたらしい。
「だって普通に考えて、おかしいでしょ?」
「そうなんだけど……」
この家よ。と昨日母に連れられて家の内見をしてきた。自宅から徒歩10分程度だろうか。適度に離れていて、遠すぎてない場所にその家はあった。普通の一軒家で、俺がそこでひとりで暮らすには広すぎた。空き部屋でも貸して、副収入を得たらいいじゃない、という目的ではないようだった。
「私が、冗談のつもりで言ったのよ。結婚したら、親と同居と思われてるんじゃない? って」
アンタのせいか……。
ちゃんと、冗談よ、って言ったのよ。今は夫の親と同居している人達も多いから心配ないって。と姉は言ったが、多分もう母はその気になっていて、届いてなかったに違いない。
「それ、いつの話?」
「そうね〜、アンタの誕生日の近くだったような気がするけど……」
じゃあ、半年くらい前か。それから着々と準備をして、どうやってかわからないが俺の名義で家を購入して……。
「そんなのでさ、結婚できるわけないじゃんね」
困ったように電話口の姉は言った。

確かに、独身男性が結婚を見据えて家を買うことはあるだろう。でも、家があるからといって結婚相手が来てくれるわけではない。魚や鳥の世界とはわけが違うのだ。いや、彼らだって家だけではなく、メスに猛アピールをして相手に認めてもらうのだ。
「参ったな〜」
ただ、俺は彼らと同じく家で女性にアピールしていても、誰に見えるわけでもない。じゃ、どこかへ未来の嫁を探しに行くのか? で、家はあるから親と同居じゃないよって? アピールというか、血走って見えるんじゃないか? そんなの、ただのマイナスだろ?
俺は別に結婚なんてしたくないし、そもそも俺が引っ越したら、この家はどうするのか。そこも、魚や鳥の世界とはわけが違う。

さて、あの家、どのタイミングで売ればいいのか、悩ましいところだ。


#6

すいかのにょうさんち

 パス、スルー、タッチ。
 クリア。
 電車の改札をくぐるところから、僕のSanityは低下していく。正気を失っていく。この自動改札機は地獄の門のように僕を吸い込んで行く。
 昨夜飲んだハイネケンと毎日食べてるラーメンとが、僕の骨たちを軋ませる。左のくるぶし、左手首、右人差し指の第二間接、果ては僕のミニマルな生活まで。この自動改札機は僕のスイカから幾ばくかの金を抜き取るだけでなく、僕の不摂生を余さずチェックする。
「ともだちできたの?」
 と自動改札機は言うんだ。僕はそれに答える。
「なかよしこよし、って訳にはいかないんどけどね」
 改札機は笑った。僕も笑った。
 トイレにいって尿を出す。命を削りとるような石が出た。琥珀色のギターピックの形をしていた。僕はそれを口に含みサティスファクションを口ずさむ。売れ残ったミルフィーユの味がした。
 僕の斜め後方から痛みがやってくる。背部であり、それは僕の穢れを濾過するところだ。でもそれは痛みというより、違和感。露骨な違和感が僕の大事なところで大きくなっていく。それは僕に正気を失わせる。露骨な違和感はとどまることを知らずに大きくなっていく。爆発かな。宇宙が人知れずに膨らんでいることに近い。ゆっくりと、その違和感を引き伸ばしていき、やがて空間は正気を失う。
 僕は電車に乗る。尿意だ。すぐに催してくる。すぐに不安は沸いてくる。母は今どこにいるんだろう。
 昨日飲んだハイネケンは誰のだったか。僕はがたごと揺られながら、ただ目を閉じる。あのハイネケンは…。安っぽい尿のような見た目をしている。それを口に含むと苦い安心感が僕を満たしてくれる。でもそれはわかっている。本当のことじゃない。
 母さんは流れていった。僕の生活からいなくなった。今どこを漂っているのか、わからない。冷蔵庫には母に似た誰かが買ったハイネケンがある。それを僕はただ飲むしかない。骨が軋み、穢れを濾過できなくなっても。ハイネケンは無くならない。僕のなかに溜まっていく。そして濾過されずに尿となって僕と母さんの間に流れ続ける。
「食べ過ぎたらだめだよ」
 電車から降りる。自動改札機が口を尖らせる。
「尖ったものをあまり摂りすぎないように」
「わかってるよ」
 わかってるよ。大丈夫。心配ないよ。あなたこそ、もうぼろぼろにならないように。内側に、神を置いて、気を付けて。


#7

江口君のこと

 「ぐっとこねー」が口癖だった江口君が逮捕されたことを知った。万引きしたゲームソフトをブックオフで売った罪だそうだ。本当は窃盗罪なのだろうけど、それを教えてくれた母に何度聞き直しても「万引きしたゲームソフトをブックオフで売った罪」という言い方しかしないので私の中で彼はそういう罪で捕まったことになっている。
 万引きしたゲームソフトをブックオフで売って、江口君はぐっと来ていたのだろうか。もちろん悪いことだけど、それで江口君は少しはぐっと来たのだろうか。ゲームソフトを万引きするときと、万引きしたゲームソフトをブックオフで売った時とでどちらがぐっと来ていたのかどっちなのだろう。セキュリティが厳しい中で万引きをしおおせたらぐっとくるのだろうか、そうまでして盗んだゲームソフトが査定で思いのほか低かった場合はあまりぐっと来ないのだろうか。店員に見つかって別室に連れていかれたときはぐっときていたのだろうか。常習性が問題となり量刑が重くなったことを知ったときはぐっと来たのだろうか。せめてもっと大きな犯罪でもすればぐっと来たのだろうか。
 口癖だったといっても、それは私と彼が小学校の1年間過ごした間だけのことで、江口君が万引きしたゲームソフトをブックオフで売ったのも、この前実家に帰ったときに母親に聞いた程度の話だ。江口君は奥歯をかみしめて自分のしたことを悔いているのだろうか。私の中の江口君はバスケットボールが上手いわけでもなく、勉強ができるわけでもなく、読書家でもなく、でもほくろは多かった。

「ぐっとこねー」
「どういう意味?」
「ぐっとこねーは、ぐっとこねーだよ、樫村」

 その後もしばらく彼は「ぐっとこねー」をつぶやき続けた。顔の輪郭はまだ出てくるけど、今会ったら多分わからない。当然恋愛感情などは湧かなかったし、クラスメイトという単語が一番似合った。そんな江口君が万引きしたゲームソフトをブックオフで売った。私はそのことを例えば今飲んでいる紅茶と一緒に飲み込んだりしないし、必要以上に舌の上で転がしたりもしない。でも今回のことは多分忘れないと思う。そういうことがあるってことを江口君にはわかってほしい。私が今こうやってあなたのことを考えている。それは迷惑な話なので私はこれをあなたに伝えることはしないけれど、そういうのって、なんか……いや、やめよう。


#8

彼方の入道雲はもういない

 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
 仰々しい機械音は熱波のせいか、それとも薄いトタンのせいなのか、田んぼの真ん中の作業場は、不思議と田園と調和していた。今日、これから、今、蝉の声がヒグラシに変わっても、暑さが先月より少し和らいでも、グワンゴッドドは続く。
 ウエルさんとはエスエヌエスつながりで、会うのは今日がはじめてである。作業場はウエルさんの指定の場所で、こんなとこ知ってるなんて、案外、近場の人なのかも知れないなんて考えていたら、いきなり頭をなぐられたようにグワンゴッドド、グワンゴッドド。咄嗟にしゃがんで思考停止。
「偏頭痛持ちなのね」
「言ったことありましたっけ」
「聞いてないけど知ってるのよ」
「どうして?」
「だって、わたしはあなただから」
「あなたが私って、ウエルさんが私ってこと?」
「そうだとしたら?」
 目を閉じても見える田んぼの色と匂いとが、しゃがんでいた私の思考を回復させ、グワンゴッドドがだんだん小さくなっていく。そして、蝉。そして、蛙がほんの小さな水音をあげたのがわかった。

「偏頭痛のときに聞こえる蝉の声を録音するの」
「それは本当の音じゃなくて、なんていうか、耳鳴りとかの症状だよ」
「音に本当も嘘もあるのかしら」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「説明はなしよ。ほらこれが蝉の声だから」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「嘘じゃなくて本当だったんだ」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「また聞こえる」
「それはきっと風ね」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは蛙の水音」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは作業場の機械音」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは偏頭痛の音」
「私の偏頭痛を知ってるってことはあなたは本当の私なの?」
「でも、あなたはわたしの生理周期を知らない」
「そんなこと聞けないよ」
「でも、あなたはわたし、だから、知ってて当然でしょ」
「そう言われると知ってる気がしてきた」
「そう、その調子よ」
「うん、だんだんとウエルさんが私の中に溶け込んでくる」
「あぁ」
「あぁ」
 目を開けると視界はまだぼやけている。立ちくらみか、熱中症か、偏頭痛にしては短い思考停止から醒めて、血なまぐささを感じる。口の中を切ったわけではないが、血の味がして、眼前には作業場があった。彼方の入道雲はもうないが暑さはまだ続く。


#9

超能力カップル

 僕たちは超能力カップルと呼ばれている。といっても本当に付き合っているわけではなく、たまたま同じ学校の同じクラスに超能力を持った男女がいたという、それだけの話だ。
「そこは、たまたまじゃなくて運命でしょ」とクラスの女の子がはやし立てる。「すべてのことは偶然じゃなくて、この世界が始まったときから決まっていたのよ」
 そんなことより僕は超能力カップルという馬鹿げた呼び方をどうにかして欲しかった。
「運命的に出会った二人は」とクラスの女の子は、僕の気持ちなど構わずに話し始める。「二人はお互いを意識しているのに上手く話せないの。でもある日、巨大なUFOが現れて、私たちの学校が宇宙人に占領されてしまうのよ」

「宇宙人の命令で体育館に集められた生徒たちはただ怯えるしかなかったけど、ユウジにはある作戦があったから、瞬間移動の能力を使ってもう一人の超能力者であるユウコを外に連れ出したの。作戦っていうのはつまり瞬間移動でUFOに乗り込んで、宇宙人のボスを捕まえて、脅して、生徒たちを解放させるってこと。ユウコには物を破壊したりする念動力があるから、一緒に行けば何とかなるって考えたわけね。で、超能力カップルの作戦はみごと成功して生徒たちも無事解放されたんだけど、なぜか二人はUFOに残って宇宙人たちの星へ行くことにしたの。二人は宇宙人のボスに出会った瞬間、自分たちが本当は宇宙人の子孫だということを直観的に知ってしまったのよ。そしてボスの方も電流が走ったみたいにそれに気づいちゃって、こんな辺境で同胞に出会えるなんて思わなかった、ぜひ我が星へっていう流れになって」

 ずいぶん無茶苦茶な話だけど、もう一人の超能力者である彼女は黙って弁当を食べている。
「宇宙人の星にたどり着いた二人は、星の特別な大気のせいで歳を取らないまま長い年月を過ごしていたのだけど、千年後に今度は地球人がその星を攻めてきたの。で、二人は前回と同じ要領で地球人を屈服させて、地球人たちと一緒に地球へ帰って、それからタイムマシーンに乗って、また千年前の現代に戻ってくるのよ」
 彼女は弁当を食べ終えると念動力でチョークを動かし、「死にたい」と黒板に書いた。
「でもユウコはタイムスリップの途中で時間嵐に飲み込まれてしまった。だからユウジはユウコを探し出すために今度は時間の旅へ出るの」
 僕は黒板消しで彼女の文字を消した。そして「生きろ」と黒板に書いた。


#10

積み石のアーチ

 死者の肉体から生えた花にちょこんと腰かける彼女は蝶だった。彼女はマティーニを花びらの先に置き、きらびやかな羽から星のような粉をくゆらせて蜘蛛に流し目を送った。蜘蛛はそそくさとねぐらから起き出してヤママユの皮を目深に被り直すと、一本足の丸イスに腰かけて膝の上に紙芝居を乗せ、牢の格子のような網越しに彼女と向き合った。

 さてもみにくい きらわれものは ひとりやみよに あみをはる
 あるひかかるは みしらぬほっぺ ほしをふらせて いのちごい
 ぽっかりと あみにあくあな ひくほしもよう からめとられて こいもよう

 ここではないどこか別の世界の別の場所では父と母が首を縄で繋がれていた。口にはガムテープ、後ろ手に結束バンドというお決まりのスタイルで拘束。物干し竿に掛けられ、つま先立ちになるよう足下に数冊の本が積まれる、俗にいう一蓮托生タイプの拷問だ。
 リビングでは金髪の男がウォッカ製の缶チューハイをプシュっといわせ、苦しむ夫婦をツマミにぐびりと喉を鳴らしてうまそうに一杯やっていた。部屋のかたわらには幼い兄妹が下着姿で正座をさせられている。

 いきまいた ふうふのはらわたちをしぼりとり あわれなひびきのいのちごい
 にがしてうみなおさせればよいと あとのまつりの ちのにおい

 幼い兄は金髪の男の命じるまま母を蹴った。母は足を滑らせて、反動で父の首が吊り上がった。父の顔はみるみる赤く染まり上がり、妹は泣きじゃくった。慌ててしまってうまく本を積み直せない母を見て男は笑い転げた。

 死体に咲く花に別の蝶が舞い降りた。蝶たちは蜘蛛の目の前で舌を絡めたキスを交わす。グラスが落ちて粉々に砕ける。彼女は蜘蛛から発せられる嫉妬と羨望と性的な興奮とを感じていた。どんなに手を伸ばしても届かない、だからこそなのだ。

 兄は笑い転げる男の腹に包丁を突き刺した。男はきょとんとしていた。続けて妹もナイフを突き立てた。兄妹は泣いていた。男は腹から刃物を抜き、兄妹へと投げてよこした。もう一度刺せという意味だった。それを見た両親がこの日初めて悲鳴を上げた。取り返しのつかないものを目の当たりにしたときの声だった。男は両腕を広げて兄妹を迎え入れた。

 父から、母から、兄から、妹から、男から、蜘蛛から、蝶から、かれらの目から憎しみがあふれ出し、頬をつたい落ちた。


 蜘蛛は丸イスを支えて静かに立ち上がり、ねぐらに戻って次の噺を夢想する。


編集: 短編