第181期 #8

彼方の入道雲はもういない

 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
 仰々しい機械音は熱波のせいか、それとも薄いトタンのせいなのか、田んぼの真ん中の作業場は、不思議と田園と調和していた。今日、これから、今、蝉の声がヒグラシに変わっても、暑さが先月より少し和らいでも、グワンゴッドドは続く。
 ウエルさんとはエスエヌエスつながりで、会うのは今日がはじめてである。作業場はウエルさんの指定の場所で、こんなとこ知ってるなんて、案外、近場の人なのかも知れないなんて考えていたら、いきなり頭をなぐられたようにグワンゴッドド、グワンゴッドド。咄嗟にしゃがんで思考停止。
「偏頭痛持ちなのね」
「言ったことありましたっけ」
「聞いてないけど知ってるのよ」
「どうして?」
「だって、わたしはあなただから」
「あなたが私って、ウエルさんが私ってこと?」
「そうだとしたら?」
 目を閉じても見える田んぼの色と匂いとが、しゃがんでいた私の思考を回復させ、グワンゴッドドがだんだん小さくなっていく。そして、蝉。そして、蛙がほんの小さな水音をあげたのがわかった。

「偏頭痛のときに聞こえる蝉の声を録音するの」
「それは本当の音じゃなくて、なんていうか、耳鳴りとかの症状だよ」
「音に本当も嘘もあるのかしら」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「説明はなしよ。ほらこれが蝉の声だから」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「嘘じゃなくて本当だったんだ」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「また聞こえる」
「それはきっと風ね」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは蛙の水音」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは作業場の機械音」
 グワンゴッドド、グワンゴッドド。
「これは偏頭痛の音」
「私の偏頭痛を知ってるってことはあなたは本当の私なの?」
「でも、あなたはわたしの生理周期を知らない」
「そんなこと聞けないよ」
「でも、あなたはわたし、だから、知ってて当然でしょ」
「そう言われると知ってる気がしてきた」
「そう、その調子よ」
「うん、だんだんとウエルさんが私の中に溶け込んでくる」
「あぁ」
「あぁ」
 目を開けると視界はまだぼやけている。立ちくらみか、熱中症か、偏頭痛にしては短い思考停止から醒めて、血なまぐささを感じる。口の中を切ったわけではないが、血の味がして、眼前には作業場があった。彼方の入道雲はもうないが暑さはまだ続く。



Copyright © 2017 岩西 健治 / 編集: 短編