第18期 #2

父のコーヒー

 やかんの笛が合図だった。
 部屋で音楽を聴いていた私も寝ていた弟も部屋を出て、居間に集まった。
 私は高校に、弟が中学に入った年に、「日曜日はみんなでコーヒーを飲もう」と父親が言い出して以来、その習慣は私が家を出るまで続いた。
 父親のいれるインスタントコーヒーは沸騰していて、泡立っていた。コーヒーカップを使えばいいのに、と何度母親が言っても聞く耳をもたず、有田焼の湯飲みを使った。スプーン1杯の粉に対してお湯を縁いっぱいいれるため、薄かった。テーブルに集まったみんなは静かに飲み、全員がカップをあけたら黙って解散。時間にすると15分程。誰かが話そうとしたら父親の「こういうときくらい黙って飲め」。
 不思議な時間だった。はなしをしなくても許される空間。温もりと大味のコーヒー。当時は見えていなかったが、父親なりのコミュニケーションの取り方だったのだろうか。

 その晩、私は当時の父親と同じ歳になった。
 珈琲豆を挽いて飲むのが好きな妻と暮らすようになって以来、インスタントコーヒーを飲むのは取引先のオフィスか、ホテルの部屋か、それくらいしかない。
「ねえ、今日は泊まってく? それとも奥さんのところへ帰りたい?」
 私は備え付きのポットでインスタントコーヒーをつくって飲んでいたところだった。このまま泊まりたくもなければ、家に帰りたくもない。
「父親のコーヒーはうまくなかった」
 返事の変わりに私が言うと、女は笑ってきいた。
「どんなふうに?」
「舌が火傷するくらい熱くて、薄かった」
「でも、好きだったんでしょう」
「ああ」
 私は家へ帰ることにした。帰る途中のスーパーでインスタントコーヒーを買った。家に帰ると妻がケーキを買って待っていて、娘は私にハンカチをくれた。私は「土曜日はコーヒーの日だ」と大きな声で、数年ぶりの大きな声で、言った。娘は不思議そうに私をみていた。
「土曜日はインスタントだからな」と妻に言うと、笑ったが反対しなかった。 
 以来、土曜日の夜は娘もテーブルに顔をだすようになった。  
 コーヒーを飲み終わったあとも妻は編み物を、娘は雑誌を読む。私もやり残しの仕事をしている。ホテルでコーヒーを飲む習慣もなくなった。
 そういう土曜日が何回かたったある晩、私が台所でコーヒーをいれていると、妻が隣にきて編み終わったばかりのマフラーをかけてくれた。私は妻から、豆を挽いてドリップでいれるやりかたを教わった。



Copyright © 2004 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編