第18期 #19

シクラメン

 冬、きれいに咲きそろった鉢を花屋から買ってきて、暖かい部屋に置いておくと、次々とつぼみが伸びて来て、新しい花が咲く。
 しかし春が近づくにつれ、花茎は伸びすぎて四方にだらしなく倒れ、葉はしおれて腐り、最後には全部黄色くなって枯れてしまう。
 しかしこれで終わりではない。花葉が消えた土の上には、平たくて円い、黒くごつごつした岩のような塊が残っている。これがシクラメンの球根である。栄養をたくわえて、つらい季節を休眠しているのだ。
 暑い夏がすぎて涼しい風が吹きそめると、この岩もどきはあちこちに、可愛らしい貝殻のような芽をつける。他の木々の葉が色づき散る頃、緑いろの肉厚い葉が生えそろい、中に入れてやれば去年と同じように花を咲かせる。
 こうして夏を越したシクラメンが、うちには五鉢もある。親戚の植木屋が、毎年お歳暮に売れのこりを持って来るので、花はどれも似たようなピンク、そのうえ花屋さんのように立派には再生しないから、母はいつも邪魔にするが、まだ命のあるものを葬る訳にはいかない。
 この秋から冬は心忙しく、霜が降りてからも、家の北側の軒下に打ち捨てられたシクラメン達を省みることが出来なかった。うす桃色の花が一輪、ぼんやり開いているのに毎日気づきながら、私は小説書きに絡め取られていた。十一月に二日間だけ上京した時の経験を題材にしたものだったが、五十枚ほど書いてなお、作品として物になるかすら見当がつかなかった。
 朝は氷点下まで下がるようになった。シクラメン達は青々としたままだった。母までが、
──裏のシクラメン、誰も見てない所で咲いてるのね。
と、めずらしく同情的な事を言った。
 ようやく彼らを収容したのは、ある冷え込んだ冬晴れの休日だった。玄関先の水道で鉢を洗い、枯れ葉を取り除き、蜘蛛の巣を払い、窓際にならべた。
 やれやれと一服するうち、一天にわかにかき曇り、雪が降りはじめた。炬燵の中から眺めていると、景色もよく見えない位の吹雪になった。実に危い所であった。

 例の一つだけ花をつけていた株は、この頃にわかに元気よくなって、次々と花を咲かせている。つらい環境で頑張って、自分と仲間を、ついに陽の当たる場所へ導いたのだなと思う。
 しかし一方で、外ではまだ緑いろの葉をつけていたのに、取り込まれてから枯れてしまったのもある。どんな姿をしてどんな花を咲かせていたのだったか、誰の記憶に残ることもなく――。



Copyright © 2004 海坂他人 / 編集: 短編