# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | さよならの先 | たなかなつみ | 820 |
2 | 見えない見ない。 | とし | 983 |
3 | 一揆 | テックスロー | 923 |
4 | 神輿とまわし | 岩西 健治 | 989 |
5 | 短編小説家として有り続けるために | 弥生 灯火 | 975 |
6 | チョコレエトムウス | 眠り猫 | 970 |
7 | スイッチ | 夏川龍治 | 926 |
8 | アプローチ | わがまま娘 | 984 |
9 | 阿部守夫の大冒険 | Gene Yosh(吉田仁) | 1000 |
10 | いまそこに風が吹いているから | euReka | 1000 |
11 | ビゼーの交響曲 | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
12 | 痺れ | マーシャ・ウェイン | 977 |
左腕を痛めた。何をやるにも痛みが伴って辛い。右利きなので元もとそんなに使う腕ではない。痛みをなくすために切り離した。左半身が軽くなった。
右脚を痛めた。歩いてもしゃがんでも少し動かすだけでも痛い。利き脚は左なので元もと邪魔な脚だった。痛みをなくすために切り離した。右半身が軽くなった。
腹を痛めた。座っていても立ち上がっても身体をよじるだけでも痛い。元もと必要ではない臓器があるのが悪い。痛みをなくすためにえぐり取った。上半身が軽くなった。
右眼を痛めた。ほとんど見えなくなったうえに眼を閉じても開いても痛い。元もと強度近視で見えるものは限られていた。痛みをなくすためにえぐり取った。頭部が軽くなった。
身軽になった私は、残った身体で街を這いずり回る。行き交う人が声をかけてくれる。ある人は励ましの声を。ある人は蔑みの声を。どんな言葉も今の私には届かない。今の私は軽いのだ。空だって飛べそうに思えるのだ。
横断歩道を這うようにして渡っていると、信号が赤に変わった。前方を確認せずに急発進した自動車に追突され、私の身体は軽く宙を舞った。
ほら、もう飛べる。
片眼で見る世界は美しかった。私は片手で大気をかき、片脚で宙を歩いた。開いた腹から私の内部が散って舞う。さながら春を告げる桜の花びらのように。
さよなら、重かった頃の私。重苦しかった世界。私はここから飛び立って、浮き立つように空へと向かっていく。さよなら。さよなら。
ばらばらになった私の身体が地面に散らばって落ちていく。すぐに掃除屋がやってきて、私の欠片を箒で掃いてまとめた。私だったものは小さな塊になって、片眼で私を見上げ、にこりと笑う。
さよなら。さよなら。要らなくなった私。地に残った半身が勝ち誇ったように別れを告げる。
途端に気づいた。私は居てよかったのだ。これからもあそこで生きていくのだ。そして私は私でないものになり、上昇気流に乗せられて連れて行かれる。遠くへ、遠くへ。
見るもの全てが灰色だった。街行く人々、道路脇の木々。色も輝きも無かった。
都内の高校に通う16歳の俺は、誰とも関わらず、ただ毎日機械のように学校に通い、授業を受け、何事もなく帰る。そんな日々を送っていた。なにも求めず、なにも与えず、ただ無駄に生きていた。
ある日、学校からの帰宅途中だった俺は、光に出会った。彼女は病院の前で、車椅子に座り景色を眺めていた。そこに佇む彼女はとても輝き、色めき、どこか儚げだった。俺は吸い込まれるようにして彼女のところへ行った。彼女は不思議そうな顔でこちらを見ていた。いきなり知らない人が近づいてきたのだから、当然の反応だ。
「こんな都会の景色なんか見てて、楽しい?」
彼女はニコリと笑い、答えた。
「楽しいよ。私から見れば、皆がキラキラしてて眩しいくらいだな」
「いつもと同じ景色だろ。皆毎日同じ生活で輝いてなんかいない」
初対面でありながら嫌味を言った俺に対し、彼女はは嫌な顔一つしなかった。
「君にとってはそうかもしれない。でもね、ここにいる人皆がそれぞれの人生を歩んできてて、その中での喜びや悲しみを全部背負って生きてきてる。皆それぞれが主人公の物語がある。人だけじゃない。空も、木も大地も、今までのもの全部が組み合わさって複雑にできてる。そう思えるから、私には輝いて見えるんだ」
綺麗事だと思った。つまらない答えだと思った。けど俺は彼女の言葉を捨てることは出来なかった。なぜだかその言葉は俺の心に響いていた
その後家に帰る途中、木の葉が少しだけ、緑を帯びていた。
次の日も、その次の日も俺は彼女のところへ行った。彼女はいつもニコニコと景色を眺めていた。そんな彼女と話していくうちに、世界が少しずつ着色されていった。
ある日、彼女がいつもの病院の前にいなかった。心配になり彼女の病室へ行くことにした。そこで俺は衝撃を受けた。そこにいた彼女はいつもの輝いた存在でなく、色の無いただの人形だった。
翌日、彼女は病室で冷たくなっていた。
彼女は俺に輝きをくれたが、俺は彼女に輝きを与えることは出来なかった。彼女は俺が出会った時から、本当は輝いてなどいなかった。俺はそのことにずっと気付けなかった。もし俺が彼女の無色に気付けていれば、俺は彼女を変えられたかもしれない。俺を救ってくれた彼女を、俺は救えなかった。
世界から、また少しづつ色が奪われていった。
「そろそろやるか」つぶやくと田吾作は鍬を片手に立ち上がった。集約農業だトラクターだ、減反政策だ農業協同組合だいっても、結局俺たちの行き着くところは暴力だ。記録によると最後の農民蜂起が地租改正一揆であり、約百年前のころだった。社会科の時間に習ったが、それより曾祖父に聞いた話がリアルだった。怒ると手が付けられないのが俺たちだということを思い知らせてやる。
農薬の値段の話が聞こえてきてから雲行きの怪しさを感じていた。食い扶持を減らすために里を離れたサラリーマン連中が幅を利かし、先祖代々の土地とその作物をないがしろにする議員どもが俺たちの当然の権利をはく奪しようとする。根無し草どもが浮足立って空中に土地を買って粋がる。パン食で頭の中もスカスカになって大切なことは何も考えられない芳醇な連中がもうすぐ触れてはいけないところに触れてくる。キレる若者、無気力な若者、暴走老人、不倫中年、淫乱熟女、馬鹿どもが跋扈しやがる。
その間も俺たちは土を相手に汗を流してきた。毎年毎年耕し、水を張り、田植えをし、収穫し、脱穀する。弥生時代から続いている俺たちの生活に競争を持ち込むことがナンセンスなことくらいわかってもいいはずだ。
「いよいよか」仲間には全く迷いがない。迷う暇があれば農民は鍬を打ち込む。
「ああ」日に焼けて脂ぎった俺の顔。怒り一直線。
インターネットは一揆募集にうってつけかに見えたが、IPアドレスなどから匿名性には難がある。しかも血の臭いがしない。傘血判状で集う。どこに? 国会議事堂などには足を向けない。そこには俺たちのコメはない。地租改正されて税を金で納めるようになったが、金さえそこには蓄えられていない。いるのは耕すのを放棄した首からタオルでなくネクタイを垂らした連中だけだ。
武装蜂起だ、なんだじゃない。ふざけろ、お前ら。鍬で銀行の、貸コンテナの、スーパーの倉庫の、扉をたたく。車も使わない。バイクも使わない。徒歩でにじり寄り、上から下に振り下ろす。束。人の束。それぞれに鍬。振り上げて、振り下ろす。
おい、米食うだろう、お前もコメを、食っているだろう。ならしっかりしろ。この鍬は何かを壊すためにあるのではない。耕すために、あるのだ。
天気の良い午前の休日に小説を書こうとして、パソコンの前に座り、目の前の乾いた窓を開ける。開けた窓辺に小鳥が一羽、なんてのは想像だけでまずあり得ない光景である。
外がやけに騒がしいので、パソコンから視線をはずして窓の外を見た。祭りの行列、そして神輿。はて、今日は祭りであったかなどと考えていると、神輿のかつぎ手のひとりと目が合った。すると、祭り上げられて神輿をかつぐ。わたしはふんどし姿である。ご神体を神社に奉納するために観音開きの扉を開けると、やけに賑やかなので、何事かと見やると、目の前は祭りの行列、それに神輿。はて、今日は祭りであったか。不思議に思い、窓の外の光景を凝視していると、祭り上げられて神輿をかつぐ。いつの間にかわたしはふんどし姿である。観音開きを開けると、やけに騒がしいのは祭りの行列であった。はて、こんな立派な山車がこの界隈にあったのか。町内で山車を管理しているというはなしは聞いたこともない。驚いて見ていると、祭り上げられて神輿をかつぐわたしは、ふんどし姿でパソコンの画面を見ている。窓の外はやけに賑やかである。今日は祭り日和である。奉納相撲の力士は相撲中継で見たことのない顔であった。力士は四股の体勢から土俵入りの型をとる。左手は支えるように自身の乳の下にあて、右手は肩の高さに水平にのばし、足の裏は地面に付けたまま、前傾姿勢からじりじりと少しずつ起き上がる。
天気が良いので、観音開きの窓を全開にした。ごくわずかな風の流れが部屋の中と外の空気を入れ替えていくのが分かった。まわしをした力士は大きな手を器用に使いキーボードを叩いている。神輿行列が町内を廻り終えると力士の奉納相撲が執り行われる。神輿をかついでいたわたしは黄色の小鳥を指先にとまらせた力士と目が合った。力士は背中の羽根を使って開け放った窓から器用に飛んで、ご神体を奉納してある観音開きを静かに開けた。ご神体の黄色い小鳥は何という名であろうか。力士の飼っている小鳥とも似てはいるが、窓辺に小鳥がとまって、などということは絵空事である。絵空事でもいいと思う。
パソコンから視線をはずして延びをする。外がやけに騒がしくなった。見ると、神輿。続いて山車に祭り行列。こんな立派な祭り、ここいらにあったのであろうか。不思議に思い、窓の外の光景を凝視していると、開けた窓辺に力士が一羽、静かに舞い降りた。
「ちっ、もうこんな時間か」
彼は舌打ちと共に時計と卓上カレンダーを睨みつけた。文章を叩き打つ手を止めて立ち上がる。ぐるりと肩を回して、首もぐるり、部屋を見渡す。机の上にはデスクトップPCの他、コーヒーの入った紙コップに吸殻の溜まった灰皿。小説のために集めたスクラップブック。足元にはコンビニ弁当の残骸が散乱していた。
「……ふう、良き表現が思い浮かばぬ」
かたかたと小刻みに膝を揺らす。短編小説家である彼の、次作への締め切りが迫っているのだ。
ふうっ、と一呼吸。深く息を吸い込んで、再び息を吐く。気を落ち着かせて、彼は机の引き出しから手袋を取り出した。ラテックス製の使い捨て。ぴっちりと肌に張り付く薄い手袋を、慣れた手つきで装着して浴室へと向かう。浴槽のカーテンを開けて、氷水に沈んでいる"資料"と彼が呼ぶモノに、その目を向けた。両の手足が根元から切断され、頭部も失っている人肉の塊。生前は彼の叔父、だった物体だ。防腐剤と共に薄透明のビニール袋で何重にも包まれて、一見しただけでは人間の死体とは見えない。
「やはり違うか。使用済みの再利用としては使えぬな」
肉塊を裏返す。皮膚の表面には彼が前作品で"色々"と試した跡が見て取れる。一通り観察後、彼は独りごちると浴槽に背を向け、浴室を後にした。残る親類縁者を思い浮かべながら。
彼は文学界でも数少ない、短編小説家として名声を誇っている。特に作中で殺害された人物の死体描写は、他の作家の追随を許さないとまで言われていた。新作を発表すると必ずセンセーションを巻き起こし、彼の作品を熱烈に愛好する病的なファンも多い。
前回に発表した作品では、壮年男性のバラバラ死体をネタにしていた。現在手がけている新作では、妙齢の女性を用いることにしている。
良き小説には良き準備段階が必要であり、それはひとことで済ませるならば、良き資料を集められるか否かだと彼は思っている。
短編小説は長編作と異なり、ストーリー以外で目を惹きつけなければならない。彼が注力したのは、偏執的とも言える死体の描写だった。そして作家として有り続けるための、次の締め切りまでの日は浅い。
「……九州に遠縁の叔母がまだいたっけ」
脳裏で顔も知らない縁者の情報を思い出す。ぶつぶつと呟きながら、彼はどう連絡をとって、どう資料にしようかと頭を捻った。
そのとき彼女は27歳で、孤独を味わい尽くしていた。
友人の結婚式に着ていくドレスを用意しなければならないし、
また別の友人には笑顔で、可愛いね。そっくりだね。
と言って、子供と対面しなければならなかった。
彼女は酒が飲めない。
どうすれば周りの人たちのように、陽気になれるのか?
いつも不思議に思いながら、彼らの赤ら顔を見つめるのだった。
自慢。愚痴。自慢。愚痴。
「チョコレートムースが食べたい」
と言われて連れられて来た店は、観葉植物の手入れが行き届いており
都会の真ん中にあるオアシスのようだった。
いまはパンケーキが流行ってるけどね。私はチョコレートムースが目当てなの。
と、スパンコールが派手なネイルの女が言った。
ギラギラと光る。生命力。強い。
フォークで優しく突き刺した(いや、すくった)。
女はなぜだかいつも写真を撮りたがる。
口角をぐっと上げて、目線をカメラに向ける。
はしゃぐことが苦手なのではなかった。
ただ、知りたいのだ。
何の為にこんなことをしなければならないのか。
シャッター音は空虚に響く…。
そのとき彼は24歳で、大切な恋人を抱きしめていた。
女は同い年で透き通った肌の持ち主で、気立てが良く、
愛嬌も持ち合わせていた。
「25歳までに、いいでしょう? お願い」
懇願されていた。
赤ちゃんを持つなら早い方が良いに決まってる。
私はいつでも一緒になれる覚悟なのよ。
そう言って、彼の指をぎゅう、と握り締めた。
彼は周りの(まだまだ遊び盛りの)友人たちを見回したり、
通帳と睨めっこしたりした。溜め息をすべて胃の中へ押し込んだ。
付き合いたての頃、震えながら泣いている女を見て、
この子を絶対に守ってやろう、と固く誓ったときの気持ちを思い出そうとした。
その綺麗な肌が濡れて、美しさはより際立っていて…。
いつにしようか、と彼が言ったとき、女はもう一度涙を見せた。
しかし、そこには悲しみの色はもう無い。
彼は女の笑顔を見ると、再び決意を固くできた。
二人が長く続かないことなど、誰かに予想できるものではなかったし、
いつだって、新たな決断をするときには、未来を明るく描くものなのだ。
女の望みはエスカレートするばかりだな。と彼は思った。
女の願望を叶え続けた先に、一体何があるというのだろう。
彼は空虚だった。
27歳の彼女と24歳の彼。
空虚な二人が出会うのは、もっともっと後の話だった。
仕事を終えて家に帰り、シャワーを浴び、ベッドに入る。それが青年の日常であった。
枕元の電灯を消そうと手をのばしかけて、青年はおや、とその動きをとめた。
スイッチが、増えていた。
寝室の奥側に、見慣れぬかたちのスイッチがひとつ、ぽつりとつけられていたのだった。こんなところに、スイッチがあっただろうか。
第一、数が合わない。寝室の電気ならばドアのすぐ脇にスイッチがあるし、廊下の灯りなら、リビングのスイッチで間に合うはずだ。
恐る恐る、青年はスイッチを押してみた。
スイッチは軽く押すと静かにへこみ、指を離せば音もなくまたもとのかたちに戻った。室内を見まわしてみても、特に目につく変化はない。もしや、あらぬほうの電気がついたりしているのではないかと、リビングやトイレ、バスルーム、玄関先の常夜灯など、家中のあらゆる箇所を調べてまわったが、やはり何かが起きた形跡はなかった。
翌朝になっても、スイッチはまだそこにあった。
とりあえず、スイッチを押してみる。やはり、何も起こらない。
仕事から帰ってきても、スイッチは寸分違わぬ位置にあった。今度こそはという期待を込めて、これまでよりも幾分長めに押してみる。またしても、何も起こらない。今日一日の鬱憤をぶつけるように、少しだけ乱暴に押してみた。もちろん、何も起こらない。
その日から、日常のわずかなすき間を見つけてスイッチを押すのが習慣になった。スイッチを一回押すたびに、心に溜まった不平不満が着実に減っていくような快感があった。このスイッチが何のためにあるのか。そもそも、どういう理由でこの場所に突然現れたのか。青年にとって、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
ひとりの青年が屋根の上にのぼり、ぼんやりと空を見上げていた。そうして夜空を見上げながらその日一日の嫌なことをゆっくりと忘れていくのが青年にとって数少ない安らぎの時間なのだった。
今夜はどうも、空が暗いようだ。曇っている、という風ではなく、本来あるべき明るさが昨日よりもほんの少しばかり失われているようだった。
今日はちょっと、疲れすぎたのかもしれない。次の瞬間には夜空のわずかな異変など気にならなくなり、青年は静かに一日を終えたのだった。
気が付いたら、窓の外は真っ暗で、家の中も静かだった。時計を見ると2時半を少し過ぎていた。
椅子から立ち上がって、乾いた喉を潤すためにキッチンに向かう。蛇口の水をコップに注いで飲み干すという行為を2回ほど繰り返したら、今度は用を足したくなった。
トイレのドアを開けると、いつもと違う感じがした。何が違うのかわからないまま、俺はトイレの便座を開けて用を足す。
便器の脇に男はきっと使用しないであろうものを見つけて、あぁ姐さんが来るのか、と思った。
尿を出し切って、そうか、姐さんが来るのか、と再び思いながら水を流して、「あっ」と声が漏れた。
しまった、掃除してから流せばよかった。目の前には「用を足したら、掃除しろ」と言わんばかりにトイレクリーナーが置いてあった。違和感の主はそれかと思う。
姐さんがこの家に出入りするようになって2年ぐらいだろうか。唯一カズキが姐さんを称賛していることは、ハヤトがトイレ掃除をするようになったことだ。とにかく気分屋で掃除なんてしない奴が、率先してトイレ掃除をするようになったのだ。
この家に出入りするようになった姐さんは、どうもトイレの臭いが我慢できなかったらしい。
男4人で暮らし始めたのはもう5年ぐらい前だったような気がする。
男4人で適当に生活をしていると、トイレに臭いが染みついてきた。日増しに強くなっていくその臭いに慣れてしまったのか、臭いに疎いから気が付かなかったのか、大して気にもしていなかった。たまにカズキが嫌そうな顔をしながらドアを開けていたのを考えると、姐さんには相当な臭いだったのだろう。トイレの前で入るか入らないかで迷っていたのを思い出す。
俺達が1週間ほど家を空けたときのことだ。帰ってきてトイレに入ったカズキが、悪臭が限りなく薄くなっていることに気付いた。後から知ったことだが、姐さんはその間、臭いを取るために徹底的にトイレ掃除をしたらしい。
それから、ハヤトはトイレ掃除をしている。トイレ掃除に目覚めたわけではない。そんなことで姐さんの気が惹けるのか甚だ疑問だが、本人は至って真面目に姐さんが掃除して得たトイレを守っている。
「人を好きになるってスゲーな」と呟いて、俺は尿が飛び散ったであろう壁、床、便器を拭いたクリーナーを流す。
手を洗いながら健気に掃除をするハヤトの姿を思い、その恋報われるといいな、と思って俺はトイレを後にした。
総選挙出馬初当選、代議士の息子は地盤を引き継ぎ、選挙に打って出た。私大卒、サラリーマンに親の七光りで就職し、中途半端のまま、国会へ、他の息子たちは首都の国立大学に、入学卒業しています。しかし彼はそんな親の威厳も全く関係なく私大に入学、あまり勉強はしたくなかったのでは、サラブレッドの常識知らずの物怖じしないタイプの彼は志半ばだった父上の意思を恣意的に忖度した周りの方々に配慮され、重要ポストを歴任することになります。人事の隙間にはまり総理大臣まで。しかし、暴飲暴食のストレスがたまり、腹の調子を悪くし、辞意を表明されます。その前に北朝鮮の拉致問題では時の総理大臣の副官房長官として、金王朝の独裁者の雰囲気を味わってしまったのです。日本でいう粛清は役人や大臣、次官の更迭など、狭い役所の中のこと。しかし、隣の国は完全抹殺、テロ行為の温床に、彼は深くはまっていくのであります。憲法改正、秘密保護法、共謀罪、戦前の日本を北朝鮮がまねている、これで取り締まらなければ自身の思う政治は出来ない、その維持のためには、いつか自身に法律が及ばぬよう、独裁的政権を維持しなければならないことを十分理解している。だから教育者を語る、腹心の友に傾注し加担する。これでは日本の未来はない。五輪を開くために条約の締結を諸外国に遅れてはと矛盾に満ちた、立法に全力を上げるのである。「国民のため」の謳い文句に騙されてはいけない。『国家のため』と置き換えた方がしっくりくる。国連人権委員会報告者の問題ありとのレポートにプライバシーを理解できない官房長官が人権擁護するために、役人のスキャンダルと政府広報新聞に記事を書かせ、国民を騙すやり方は戦前の特高警察より劣る手法。共謀罪を運用する公安警察部門はこの間が抜けた政府要人は格好のターゲットになることを、今、阿部は知らない。そのうち米露のスパイ映画のごとく、全幅の信頼を負った諜報員に2重3重のスパイを飼っている状態と向き合うのである。こんな隙だらけの政府に国民のためにと国家を守れるのか、警察や自衛隊のための法律を整備し、国を守るどころか、自身も国家権力に取り締まられる。目標を見失った政府関係者よ、彼に騙されるな、理解不能なショートテンパーなヒステリーに付き合うほど我々は暇ではない。もっと高度な政府組織の運営を企画立案、法制化できる頭のよい政治家、リーダーが欲しいこの頃である。
地球上の5人に1人は宇宙人である。しかし多くの人にとっては、あまりピンとこない数字だろうと思う。公式に宇宙人の存在が認められ、地球に棲み始めるようになったのはもう300年も昔のことだが、いかにも宇宙人らしい宇宙人はほとんどいないため、街を歩いていてもそれらしい姿を見かけることはないだろう。だから宇宙人を自分の目で直接見たことがないと思っている人も少なくないのだ。そもそも宇宙人にはさまざまなタイプがあり、地球人と全く見分けがつかないような宇宙人や、小さすぎて見えない宇宙人、そして透明な体をした宇宙人などもいる。なので5人に1人と言っても、そうした分かりづらいタイプを全て含めた場合の割合であるため、あまりピンとこないのは当然なのだ。また、地球に棲んでいる宇宙人の大半は、地球人と全く見分けがつかないタイプの宇宙人なのだが、こうやって話をしている私もその1人なのである。
私の場合は、64分の1が宇宙人の血であり、はるばる地球へやってきた宇宙人の7世代目にあたるのだという。国際的な基準では、血の濃さが128分の1までが宇宙人とされているため、私の子どもまでは宇宙人だが、私の孫からは地球人という扱いになるようだ。でも地球人と宇宙人には法律上の区別はないため、そのことは特に知らなくても問題はない。確かに、混血の宇宙人の中には念力やテレパシーを使える者もいて、たまに話題になることもあるが、元々そういう能力を持つ地球人もいるため、その原因が宇宙人の血によるものかどうかはよく分からない場合が多いのだ。ちなみに私は、人の血液型を当てるのが得意であり、相手が女性なら大抵言い当てることができる。なぜ女性なのかというと、好きになる女性が、決まってB型かAB型だからという理由もある。相手の女性が、自分の好きなタイプかどうかさえ分かれば、あとはAかOか、またはBかABかの2択になるので、4つの選択肢から選ぶより当たる確率は高くなるのだ。
そういえば子供の頃、私のことを宇宙人だと言い当てた女の子がいて、その子のことを好きになったことがある。なぜ宇宙人だと分かったのか質問すると、女の子が私をみつめながら「いまそこに風が吹いているから」と言ったのをよく覚えている。私は何度もその言葉を思い返しながら、風に吹かれている自分や、それを眺めている彼女のことを想像した。でも最後まで、君が好きだとは言えなかった。
仰向けになって、両方の足の裏をあわせて合掌。くの字になった両脚のあいだに、たとえば切花を埋めてみる。ベッドの白いシーツに横たわり、両足の裏を合掌した男の股間まで埋まっている花・花・花。
男はスーツ姿で、その格好のまま眠りはじめる。そこに赤いセーターと青いスカートをはいた髪の長い女性がやってきて、男の両耳をふとももで挟むようなかたちで座る。女性は長いフランスパンをひょいと自分の口の前にもってきて、それをむしゃむしゃとかじりはじめる。少しパンくずが下で眠っている男の顔にパラパラと落ちるけれども、だれもそのことは気にしていない。
音楽がかかる。ビゼーの交響曲。
お婆さんと、緑のジャンバーを着た青年が寝室に入ってくる。お婆さんは歩くのが遅いので青年が先になる。ベッドでは女がフランスパンを食べ、スーツの男は眠っているなかで、さきほどの2人が黙々とベッドの側にやってくると、ジャンバーの青年がくるりと振り向いて、お婆さんにお辞儀をしはじめる。
青年は最初は頭が動いたか動かないか、それが次第に、ゆりかごのように深くお辞儀をし、しまいには土下座となったとき、お婆さんは服のどこからか一体の人形をとりだし、両手で青年の前に差し出すかたちで静止する。
ここまでがチャプター1である。時間にして15分。4人の登場人物は劇団員でもなければ、これは素人を集めた実験映画でもない。人が気休めに喫茶店にはいって、ボーッと珈琲を飲んで気持ちを整理するのと同じ感覚で、「ちょっとだけちがう世界を演じてみる」ことができるような空間をヨネザワは街なかにつくってみたのだった。
スーツの男性はカシイ君という20代後半のビジネスマンで、彼はどうも日々のストレスの発散ができずにイライラしていた。ところがたまたま通りかかった異空間カフェにて、即興の台本(寝ているだけ)通りに演じてみたところ、見ず知らずの女性のふとももに顔をはさまれて興奮したのだが、それ以上に自分が合掌した空間に花束が埋まっている体験が彼のなにかを大きく刺激していた。
主婦のミツコはその日も帰って来ない旦那のことで絶望にちかい気分だったが、かといって自分は不倫なぞ嫌だった。一瞬ふとももで知らない人の顔を挟み、パンを食べることがこんなに気持ちいいとは驚きだった。
青年と婆さんは孫と祖母の関係だったが、2人がこの場に参加したのも天の気まぐれである。この後、青年は孝行孫になった。
夢の中、どんよりした、鈍い重みを肩に感じる気がした次の瞬間、まぶたを閉じたまま覚醒したのを感じる。何かの音が聞こえる。
寝る前に少しだけ開けておいたらしい窓から、遠くを走る自動車のような音が入ってきていた。まぶたを開ける。あたりはまだ暗い。仰向けに寝ている。動けない。
金縛りだろうか。いや違う。正確には動けないのではない。首と、肩から腕の部分が「動かない」のだ。手の感覚もない。両腕がない?
まばたきは、できる。月が出ているかは知らないが、真っ暗ではない薄暗がりの中、天井が見える。グルグル動かせるので眼球は動く。バタバタと両足がベッドを叩く音も聞こえる。「いやだ」と言ってみて、口と声帯の動きを確認する。「やめてくれ」。声に迫力はないものの、目立った異常はなさそうだ。鼻息の勢いも調整できる。ただ、首と肩から先が動かない。うまく起き上がれない。カラダを回転させようとしてもダメだ。なんなんだ。
少し経って、自分が「万歳」のような格好らしいと判断した。そして、肩から先は痺れているのだと感じる。長い間、正座していたあとや、あぐらをかいていた後の感覚と同じだと気がつく。一体、寝ている間にどうやったら万歳をするのだろうか。片腕なら、寝返りか何かの拍子に、遠心力だか何かで、頭部を越えていくかもしれない。しかし両腕がきちんと(ただ肉眼で確認したわけではないから不確かだが)万歳をしているようだ。
強烈な不快感が襲ってきた。ぞわぞわ、ざわざわと、「痺れ」が切れるあの感覚だ。肩の周辺が動かないだけで動作の調整がほとんど効かないカラダを、なんとか揺すってみる。徐々に動くようになってくる。血液だか何かの流れを速めようとする。さらに動くように変化していく。すーっと、無感覚の水面に感覚の波紋が広がっていく。
もう少しで完全に動くようになると感じた次の瞬間、手首の動きを妨げる何かを感じる。細いひもか、いや、ネクタイのような滑らかな素材で構成する物体が、両手首の動きを制限している。この状況はなんなんだ。思い出そうとするとアタマが痛んだ。恐怖が襲ってきて、汗が勢いよく出てくる。肩から腕が動くようになってきた。カラダを揺すってみる。右隣り、少し離れた所に、裸の女がカラダを丸めて寝ていた。何もかけていない。小さな寝息が聞こえる。
まぶたを閉じても、すぐには夢の中に戻れなかった。