第177期 #5

短編小説家として有り続けるために

「ちっ、もうこんな時間か」
 彼は舌打ちと共に時計と卓上カレンダーを睨みつけた。文章を叩き打つ手を止めて立ち上がる。ぐるりと肩を回して、首もぐるり、部屋を見渡す。机の上にはデスクトップPCの他、コーヒーの入った紙コップに吸殻の溜まった灰皿。小説のために集めたスクラップブック。足元にはコンビニ弁当の残骸が散乱していた。
 「……ふう、良き表現が思い浮かばぬ」
 かたかたと小刻みに膝を揺らす。短編小説家である彼の、次作への締め切りが迫っているのだ。

 ふうっ、と一呼吸。深く息を吸い込んで、再び息を吐く。気を落ち着かせて、彼は机の引き出しから手袋を取り出した。ラテックス製の使い捨て。ぴっちりと肌に張り付く薄い手袋を、慣れた手つきで装着して浴室へと向かう。浴槽のカーテンを開けて、氷水に沈んでいる"資料"と彼が呼ぶモノに、その目を向けた。両の手足が根元から切断され、頭部も失っている人肉の塊。生前は彼の叔父、だった物体だ。防腐剤と共に薄透明のビニール袋で何重にも包まれて、一見しただけでは人間の死体とは見えない。

 「やはり違うか。使用済みの再利用としては使えぬな」
 肉塊を裏返す。皮膚の表面には彼が前作品で"色々"と試した跡が見て取れる。一通り観察後、彼は独りごちると浴槽に背を向け、浴室を後にした。残る親類縁者を思い浮かべながら。

 彼は文学界でも数少ない、短編小説家として名声を誇っている。特に作中で殺害された人物の死体描写は、他の作家の追随を許さないとまで言われていた。新作を発表すると必ずセンセーションを巻き起こし、彼の作品を熱烈に愛好する病的なファンも多い。
 前回に発表した作品では、壮年男性のバラバラ死体をネタにしていた。現在手がけている新作では、妙齢の女性を用いることにしている。
 良き小説には良き準備段階が必要であり、それはひとことで済ませるならば、良き資料を集められるか否かだと彼は思っている。
 短編小説は長編作と異なり、ストーリー以外で目を惹きつけなければならない。彼が注力したのは、偏執的とも言える死体の描写だった。そして作家として有り続けるための、次の締め切りまでの日は浅い。

 「……九州に遠縁の叔母がまだいたっけ」
  脳裏で顔も知らない縁者の情報を思い出す。ぶつぶつと呟きながら、彼はどう連絡をとって、どう資料にしようかと頭を捻った。



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