第177期 #11

ビゼーの交響曲

仰向けになって、両方の足の裏をあわせて合掌。くの字になった両脚のあいだに、たとえば切花を埋めてみる。ベッドの白いシーツに横たわり、両足の裏を合掌した男の股間まで埋まっている花・花・花。

男はスーツ姿で、その格好のまま眠りはじめる。そこに赤いセーターと青いスカートをはいた髪の長い女性がやってきて、男の両耳をふとももで挟むようなかたちで座る。女性は長いフランスパンをひょいと自分の口の前にもってきて、それをむしゃむしゃとかじりはじめる。少しパンくずが下で眠っている男の顔にパラパラと落ちるけれども、だれもそのことは気にしていない。

音楽がかかる。ビゼーの交響曲。

お婆さんと、緑のジャンバーを着た青年が寝室に入ってくる。お婆さんは歩くのが遅いので青年が先になる。ベッドでは女がフランスパンを食べ、スーツの男は眠っているなかで、さきほどの2人が黙々とベッドの側にやってくると、ジャンバーの青年がくるりと振り向いて、お婆さんにお辞儀をしはじめる。

青年は最初は頭が動いたか動かないか、それが次第に、ゆりかごのように深くお辞儀をし、しまいには土下座となったとき、お婆さんは服のどこからか一体の人形をとりだし、両手で青年の前に差し出すかたちで静止する。

ここまでがチャプター1である。時間にして15分。4人の登場人物は劇団員でもなければ、これは素人を集めた実験映画でもない。人が気休めに喫茶店にはいって、ボーッと珈琲を飲んで気持ちを整理するのと同じ感覚で、「ちょっとだけちがう世界を演じてみる」ことができるような空間をヨネザワは街なかにつくってみたのだった。

スーツの男性はカシイ君という20代後半のビジネスマンで、彼はどうも日々のストレスの発散ができずにイライラしていた。ところがたまたま通りかかった異空間カフェにて、即興の台本(寝ているだけ)通りに演じてみたところ、見ず知らずの女性のふとももに顔をはさまれて興奮したのだが、それ以上に自分が合掌した空間に花束が埋まっている体験が彼のなにかを大きく刺激していた。

主婦のミツコはその日も帰って来ない旦那のことで絶望にちかい気分だったが、かといって自分は不倫なぞ嫌だった。一瞬ふとももで知らない人の顔を挟み、パンを食べることがこんなに気持ちいいとは驚きだった。

青年と婆さんは孫と祖母の関係だったが、2人がこの場に参加したのも天の気まぐれである。この後、青年は孝行孫になった。



Copyright © 2017 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編