第175期 #8
「夢を見ていた」
「違う」父が言う。「夢を見たという記憶を植えつけられた」
「どう違うの」
坂の上の廃墟から街を見渡す。薄青い靄が地面を這い、黄金色の朝焼けが傾いた塔の先端を温める。大通りは少しずつ照らし出され、その上にビルの影が長く伸びている。
「箱を持っていた。とても綺麗な箱なんだ。青い石が渦巻き模様に埋めこまれていて」
鳥たちが鳴いて、それで? と続きを促した。
「箱を開けると中には、赤い宝石とか、金の星形とか、緑の骨とか、誰かの横顔が表紙に描かれた小さな本、消えたり現れたりを繰り返す布なんかが入っていた」
どこかで犬が吠えて、それから? と続きを促した。
「それから、穴みたいに黒い角砂糖がいくつか」
「それはリンク切れだよ」と父が言う。
「リンク?」
「オブジェクトを引用していたんだろう。ネットワークが切断されて置き換えられたんだ」
鳥は黙り、犬も黙り、私も口を閉じた。風の吹きすさぶ音だけがフィルタ越しに聞こえる。
「かつて、ものを手元に集めて持っておく文化があった。美しいもの、貴重なもの、思い出深いものを」
「持っておいてどうするの」
「持っておくだけさ。たまに見返したりする。それらが自己を構成する要素だと信じていたのかもしれない」
「自分じゃないのに?」
廃墟から出る。大昔に飛び散ったままの硝子の破片を、シェル・スーツの分厚い靴底でざりざりと踏みしめる。
「箱の持ち主はリンク切れになることを知っていたのかな」
「もちろん。遅かれ早かれ、皆いつかなくなる。だから集めるという考え方もある」
「そんな理由は嫌だな」
「集めたいものがあるのかい?」
東から明けていく空は視界に収まりきらないくらい広い。浮かぶ雲を捕まえることはできない。風は遠くまで速く走っていける。石はたくさんのことを知っている。
私はかぶりを振る。ほしいものはひとつだけだ。ずっと前から決まっている。
それは違う、と奥底から声が囁く。植えつけられた記憶。私も切れたリンクなのでは? 黒い角砂糖が積み重なって殻の内側を蝕んでいく。
そうだとしても、何がどう違うのだろう。
メットに朝陽の指が射しこみ、目を細める間もなく光量が調節された。ほの暗い予感にふたをして訊ねる。
「父さんは何を集めていたの?」
返事はない。あたりはすっかり明るく照らされ、見渡す限りのリンク切れが広がっている。私は見えない箱を抱え、黙って歩き始める。夢を見ている。