第175期 #10

夜桜

私は、モルトバーでグレンロセスをロックで呑んでいた。べつにグレンロセスじゃなくたってよかったのかもしれない。はずれることがない定番マッカランでも、或いはバーボンのロックを飲んでいても、いいのかもしれなかった。私はそんなに酒の味がわかる人間ではないのだから。

でもそれでも、私はこの席でグレンロセスを注文していて、グレンロセスをおいているモルトバーというのはそれほど多いわけでもなく、バーテンは私にスペイサイドのモルトウイスキーはやっぱりうまいですよね、と語りはじめ、そのバーテンはロセス川のほとりを歩いたことがあるそうで、しばし彼の旅の話をぼんやりときいている時間もまた、グレンロセスの味なのだった。

隣にすわった初老の男性もグレンリベットを飲んでいて、「私もウイスキーの難しい話はよくわからないのですがうまいものはうまいですね」と話しかけてきて、私も「そうですね、うまいものはうまいです」と応答してウイスキーに、シングルモルトに、乾杯した。

初老の男性は喫茶店の店主らしい。

「ウイスキーは、うまいものはうまい。でも珈琲はちがうんですよ。品評会で一番になった豆を買ったとする。でもその豆をどの焼き加減で焙煎するか。そこでまず味がかわる。その焼いた豆をどの器具でどういうふうにいれるか。同じ農園の珈琲であっても、飲み手の元に届くまでにたくさんの人の手を介していく。珈琲における最高の一杯、それは瞬間にしか存在しないんです」

男性はそういって、グレンリベットをグイっと呑んだ。

「不思議ですなあ。美術、アート、小説、芸術。そういった美をテーマにしたものが作品として残っていくのに、美味しい珈琲、これは残ることがない。最高の一杯も、瞬間のものであって、のこっていかないのだから」

私はこの男性の語る珈琲哲学がきらいではなかった。そして我々は黙って互いに好む酒を飲み続けた。

グレンロセスを私に教えてくれたのは昔の恋人である。彼女は私のことをとにかく「あなたは最高」と褒めてくれたものだった。そして、誰もが羨むほどに美しい瞳とくびれた肢体の持ち主だった。

「ウイスキーの美味さはどこで呑んでも不変だけども、ウイスキーにまつわる美の記憶は、なんというか、はかないね。今日、私はいい気分だけど、これも瞬間なんじゃないかな」

私は生きる哀しみを思い、それはそのまま生きる喜びでもあって、なんとなしに夜桜をみたい気分となったのだった。



Copyright © 2017 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編