第173期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 知らない教室への手紙 tochork 917
2 同士討ち じゅん 984
3 snow and letter ruin 656
4 ビフ・タネンは2017年大統領に Gene Yosh(吉田仁) 1000
5 夢燐 しょうろ 1000
6 めぐるめぐすり なゆら 993
7 朱に染まれ試みろ テックスロー 927
8 騎士団長殺し 三浦 1000
9 ドリンク 岩西 健治 1000
10 マネキン euReka 1000
11 DODO'S BACK 宇加谷 研一郎 1000
12 ヤドカリ わがまま娘 924
13 そして夜は俄に輝きを増して 伊吹ようめい 995

#1

知らない教室への手紙

みなさんへ


こんにちは。
きょうは雪ですね。
みなさんは、初雪を踏んだり、雪だるまを作ったり、雪合戦をしましたか?
もしくは、列車が大幅に遅れたり、道路が泥だらけで、憂鬱な気分になりましたか?
わたしはそのありようを伝聞でしか存じません。楽しいも不便も、羨ましい。
雪はそと。
わたしは丸くなっています。
好きでこうしているわけではありません。
わたしは生まれつき体温が低いです。体温調節機能が適切に働きません。
温度が逃げてしまいます。
「いつも寒い」程度ならよかった。
低体温症は致命傷になります。
知ってる?
体温があまり下がると、身体は悪寒に痙攣しなくなります。そうすると、危ない。
わたしはずっと震えています。
わたしはずっと暖かい部屋でぬくぬくしています。
わたしはよく食べ、よく飲みます。発熱するため。
そうしなければ、たとえば雪の朝、わたしは死ぬ。死は壁一枚へだてた隣人なんです。
寒い、寒い、身体が凍るようにしんからつめたい。気を抜けば凍りついてゆく。
比喩でなく。
わたしは、温室でしか生きられません。肺炎を併発すると危ない。
温泉に入ってみたい。海水浴してみたい。はやくよくなりたい。
わたしの外見は「健常者」です。
五体満足、容貌も、おつむも、みなさんと変わらない。
でもこの季節、わたしはほとんどまったく外出できません。誰のせいでもないです。でも、どうしても、隔離されてる、もしくは、わたし自身が自分を隔離しているふうに感じる。
……なにも変わらないのになー。
って、劣等感があります。
一方で、わたしは、文字通り「ぬくぬく」暮らしている「ふてえやつ」と思われる?
そのことに怯えています。
わかってもらえないかもしれません。
本当に悪寒と痙攣とで不自由な身体と年来つきあうこの痛み。
「わかる」と言われたくありません。
ひどいこと言ってごめんなさい。
お願いがあります。みなさんの暮らしを教えてください。
語るにたりないと感じられるような、みなさんの毎日。
なにを見ましたか。だれとお会いしましたか。どこへ行きましたか。
学校に通い、友達と、どんなお話をしましたか。
ほんとうに他愛ないことがいいです。
みなさんは、初雪を踏んだり、雪だるまを作ったり、雪合戦をしましたか?



病室から
○○


#2

同士討ち

―― 一九四三年一月、ソヴィエト スターリングラード


何故俺は酒を飲むのか。生きるためか、それともここで眠るためか。
 戦況は火を見るよりも明らかだ。俺みたいな兵役逃れでも分かるくらいには。せっかく戦線に送られないで済んだのによ、畜生、何でこの街でおっ始めやがるんだよ。向こうも向こうで、何でまだ戦ってるんだか。
 戦争ってのは多分災害みたいなモンだ。数年に一回猛吹雪が来るだろう、あれだ。あれみたいなモンだ。どうしようもないんだよ、向こうで戦ってる兵士には、ましてや俺ら一般市民にも。
 もうこの街は終いだ。家々も焼かれた。工場も焼かれた。いや、本当に終いなのは俺の人生だ。市街戦の直前、嫁が結核で死んだ。上の娘は一か月前にドイツ兵に連れていかれた。息子は……、ああ、神よ!何故貴方は俺に苦痛ばかりを与えるのか!これも試練なのか。ああ……ミーシェニカ……流れ弾が君の脳天を貫いた時、俺は絶望と共に少しの安堵を覚えてしまったんだ。家が焼かれたあの日、もう俺らが二人とも助かる術は無かったんだよ。なのに、「二人で逃げよう」なんて言っちまったから。嘘を、ついてしまったから。
 結局、俺はこうして森に逃げおおせた訳だが、それももう限界らしい。食糧が底を尽きた。ウォッカももう、これだけしか残っちゃいない。誰が掘ったか知らない穴で二晩明かした。もう俺には何も残っちゃない。……、空の酒瓶しか。
 決めた。生きよう。最後に一人ドイツ兵を殺してやろう。それから死のう。どうせこの吹雪だ、ほっといても死ぬだろう。けれど、だから、一人ドイツ兵を殺してやろう。それが、俺の、愛国心ってやつだ。戦争は、人殺しても、罪にゃならないんだ。

 男はおもむろに立ち上がると、市街の方角に歩き始めた。手には硝子の鈍器。持物はそれだけだった。そしてその前方二百メートル、一人の兵士が孤立していた。
 男と兵士の間が刻々と詰まる。

 見つけた、あいつを殺ろう。

 男は手に持った酒瓶を振り上げながら近づく。あと三歩でその腕が振り下ろされるその時、兵士が男の方を振り返った。刹那、銃声、男の顔はそこには無かった。頸より下、男の身体を形成していたものが、その場に倒れ込み、白い地面を赤く染めた。
 兵士が近づく。
「ああ……、同志であったか」
 兵士は、ソ連兵だった。小隊が全滅し途方に暮れていたその兵士は、晩方に自ら命を絶った。


#3

snow and letter

郵便受けを開けるのが好きだ。郵便のバイクの音がすると、すぐに開けに行きたくなる。幼いだろうか。古いだろうか?
だがともかく私はそうなのだ。
バイクのエンジン音がして、私は部屋着のまま外へと出る。バイクの赤い背中を見送りながら、郵便受けを開ける。
私宛の手紙を見つけて、少しホクホクする。私を忘れていない人がこんなにもいるという事に、安心する。
遅めの年賀状は、旧友からだった。
私は、出さなかった。会わなくなる前少し疎遠だったので、悩んだ末出さなかったのだ。
彼はこう書いていた。
『今あなたが何をしているにしても、頑張ってください』と。

私は、全てに嫌気がさして、彼と一緒だった学校を飛び出したのだった。要は、私は中退者である。私は、彼が今だ負けず突き進む荒波に負けて、海の外に飛び出した愚か者である。

『僕はもう一度会えたらな、と思います。』
涙が滲んできた。私は今や落伍者だ、だが私は彼と席を同じくしていた時、心の中で彼を下に見たことが一度も無かったと言えるのだろうか。

『最後に、体調を崩さない様に、体には気を付けてね』
外では、雪が降っている。白一面の銀世界。舞っては落ちる淡雪が、ぽとりとおちる。そして元々積もった雪にまぎれて見えなくなった。
私は、今すぐ手紙を千切って外に埋めたい衝動にかられた。
そうすれば、文字は滲んでもう二度とこの手紙を読むことはなかろうと思った。庭への窓を開けた時、母が言った。
「やめてよ、お年玉当たってるか見るんだから。」
私は興ざめた。
母の言う通り、年賀状を箱に入れて、そして私は、雪を蹴り飛ばした。


#4

ビフ・タネンは2017年大統領に

まさかの大番狂わせ、トランプのアメリカ大統領当選、近々就任式が行われる、世紀の選挙結果のゴア・ブッシュ依頼の人気のないブッシュジュニア大統領より、建国史上もっと人気のない大統領が始動する。バック・トゥ・ザ・ヒューチャ―のマーティー家の永遠のライバル、ビフはいじめっ子を貫いているが、時には気持ちよく仕返しを受け、時には気持ち悪いくらいの悪党を演じており、賞金レースの年鑑を手に入れ、ギャンブルで大儲けと絵に描いたような悪党が最後は気持ちよくしっぺ返しを受ける。このモデルがトランプ氏であることは時代劇の水戸黄門のごとく、落ちがわかる。
NJ州にアトランテイックシテイというカジノの街がある。NYCから車で約2時間の大西洋岸の街で、財政が豊かなのか、アメリカでは珍しく、日本のような整備の行き届いた道路を持った町である。ここもトランプ氏の開発でできたと聞いている。ハイウェイを疾走するが途中にこれまた珍しい料金所が2-3か所あった。料金といっても、2-3ドルでラッパ状の料金箱に小銭を投げ入れ、金額が満たされるとゲートが開く、無人の料金所と有人のお釣りを求める料金所、とても西海岸ではお目にかからないが、NYC近辺はトンネルや橋で料金を取られるので、違和感がないのだが、遊びに来る人間から入場料を取っているような雰囲気で、郊外のレジャーランドに出かけるようで家族連れが多く、必死にギャンブルで設けてやろうという御仁は少ないように感じるのである。不動産王を自で行く、トランプタワーを舞台に、会社経営能力を持った者を発掘するテレビ番組があった。その中で『お前はクビだ!』と言われた出演者は全く人生の烙印を押されるかのごとく、抹殺されてしまう。流行のサバイバルゲームであった。アメリカの政治もこのような手法でバッサリ行っては、かなりゲーム感覚で、気に入らない対抗勢力はツイートで徹底的に攻撃する手法で潰しに掛かる、ビフ一味のずっこけと、カジノ帝王のロシアのホテルでのゴールデンシャワーと重なってしまって、よくもまあ、ピッタリのキャラクターに驚くばかりである。未来からのカジノ年鑑が手中にあるのでしょうか。しかし、ビフは政治家にはなれないキャラで黒人の市長さんや、映画俳優のレーガンが大統領にバラク・オバマが黒人初の大統領に。ヒラリーが女性初だったのが、韓国のように初の刑事訴追の大統領になるか悪役らしい末路が。


#5

夢燐

 はき溜めの中にいた。気づけば。
 気づけば、だ。ここが重要。
 とにかく緊急を要するのは、火花をぼんやり見つめておくことだ。そして、薄ぎたなく着色されたアンモニアの臭いと、ラベンダーをつまんだ時に香る、特有の紫が、鼻の上の辺りに漂っているので、わざわざ知覚する必要はない。あと、S硫黄、いや、違う、二酸化マグナムの芳香。
 何だよ二酸化マグナムって。二酸化マンガンだろ、正しくは。
「ちょっと、深刻かもしれないですね」
「深刻って」
「思考を一発で言葉に熾せないというのは、人間の知能にとっては致命的なものなんです」
 特に作家にとってはね、と、禿げ頭の医師が続ける。
 へえ、そうなんですね。
 これに対して、男はきわめて無感情な返答を用意していたはずだった。はずだったのだが、それよりも上手い返しを思いついたのだ。『へえ、そうなんですね』よりもだ。男は、言葉が崩れないように、十分な思惟を用いて語彙を練りつつ、有機的に動く唇を演出する。
「あ、そういえば、質問があるんですけど」
「なんだその『あ』は。後に続く『そういえば』というのもひどく安直だ。私を誰だと思っている。そんな短絡な言葉を投げかけるな。やり直しだ、やり直し」
 いけない。不機嫌にさせてしまった。
「すみません、お父さん」
 頭まで下げて謝っているつもりなのだが、目の前のオジサンは、組んだ腕を解いてくれない。許そうという気がまったく無いらしい。
 仕方がないので、大理石の地味な戸を開け、あまり好きではないスーパーマーケットに出ることにした。
無用に白い空間。ニス、ゴム、クレマリン。違う、ビニル系の……リノリウムだよ、リノリウム。知らないぞ、クレマリンなんて。おい、逃げていったじゃないか、おばさんが、あの、買い物かごを押して。雰囲気で適当なこと言うからだ。
「大丈夫か!あんた……はやく逃げなさい」
 黄金鏡の社員ですね、あんたは。社内制服がダサいことで有名な化粧品メーカー。この前はごま油を買わせてもらったけど、まだ家で埃被ってるよ。
「そんなあ……」
 ちょっとあんた、露骨すぎやしないか、あまりにも。俺はこれからドライブなんだ。いつもの仲間と。夜空を見ながら、コンクリートの上を走るんだ。いかしてるだろ。
 しかし、まだそんな時間ではないな。太陽の光か、この眩しいのは。
 ポリゴン数が少なそうな芝生の上で、僕は河川敷を登る。
 己の思惟を、青空に溶かしながら。


#6

めぐるめぐすり

デスクワーク続きで、目がしばしばし、ぼやけたんで目の錯覚かと思ったら本当に雪が降っていた。この勢い、おそらく積もるだろう。積もれば私は雪だるまを作る。雪だるまの鼻は人参だ。赤鼻みたいでかわいらしい。かわいらしいがSEXはしない。なりふり構わずSEXするのはいけないと学校で習った。私はまじめな生徒だ。雪だるまとSEXはしません、神に誓うとごろごろごろ、雷が鳴り、神が降りてきて言う。雪だるまとSEXはしてもいいよ、あんなに純朴な生物はなかなかいないしね。あんたもねたまにはいいことをしなさいよ。雪だるまに夢を与えるのよ。

雪だるまとのSEXはあまりよくない。冷たいし、外だ。だいたい男か女かもわからない。しかし成り立っている。そうかSEXは性器の出し入れだけじゃない。と気づいたが人の目は冷たい。パトカーがやってきて、なんか色々聞かれる。私は雪だるまに夢を与えているわけで、それをとやかく言われる筋合いはない、ときっぱり言う。お嬢さん、と警察官は優しい口調で言う。それはもう雪だるまじゃないんだ、ただの愛液が付いた雪の固まり、ほら、人参を上手に利用して、お嬢さん、はじめてじゃないでしょ?楽しむのはいいんだけどね、ここは町中なんだから、人も見てるし。見てるの?見てるよ、みんな立ち止まって、この群れが見えないのかい?群れ。

やがて群れは飛び立つもので、空一面の群れは、大きな一匹の鳥となりて、その羽で地上を揺らす。足りない、足りないものがある、瞳よ、鳥が鳥であるために、愚民どもを見下ろすために必要な瞳が足りない。さあおいで。わたし?そう、お嬢さんは瞳にちょうどいい形をしている。おまわりさん?もうおまわりさんじゃないんだ、ただの巨大な鳥の鳥部分だよ。わたしもその鳥になれるって?なれるさ、その要素は十分ある。

瞳としての労働は意外とつらい。なんせ全身で見ているわけで休む暇はない。鳥なら鳥らしく巣に戻って眠ればいいのに。まだ作ってないんだ。急いで作るからもう少しがんばってもらいたい。無理、限界、労働組合に訴える。鳥の部分労働組合は立ち上がったばかりで、すでに鳥の部分の6割が加入している。だいたい1割が幹部鳥部分だから、立派な対抗勢力になっている。主張も通りやすいのではないかと思う。鳥の手羽元の部分で開かれる集会にて、わたしは拳を振り上げて叫ぶ、休息を!休息を!鳥の目に休息と、目薬を!


#7

朱に染まれ試みろ

 地方活性の案はこれでなかなか出てこないのだった。どこかの自治体がキムチを特産品に仕立て上げたくらいのことはできるのかも知れない。そう思って集まった実行委員会なのだが、そうそう人が集まる案など出てくるはずもない。大体誰に集まってほしいのか、その所からずれている。商売っ気がないといえばそれまでなのだが、客が誰なのか、ターゲットが絞り切れてない。
 「トマト祭りは? どうでしょう」
 近くの大学から研修だと称して二回に一回くらいのペースで会合に参加している女子大生が発言する。
 「スペインでありますよね、トマト祭り。ここもトマトが名産なので、できるのではないでしょうか」
 ほお、トマト祭り。ほお。ほお。テレビで見たことあるな。などと抜かすじじいどもにほめそやされて照れ笑い、小鼻膨らませてドヤ顔している女子大生に俺は今すぐ熟れたトマトを全力でぶつけたい。はあ? 何言ってんだよ。つやっつやのショートカット目掛けてサイドスローでぶつけたい。こいつは日に当てられた腐ったトマトの臭い嗅いだことあんのかよ。彼女の顔にへばりついたトマトの分泌液と種とを間髪入れず嘗め回したい。大体誰が掃除すんだよそれ。首から滴り落ちた朱色の液体で濡れた乳あてを捲ってその下で鳥肌を立てた乳房に種を塗りたくりたい。こいつは親にものを粗末にするなとか教わらなかったのか。もう一個。真っ赤でもないじゅるじゅるのトマトを下腹部に押し付け、そのまま下に移動させ、でも二個目のトマトは暖かいので鳥肌は立たせず、陰部で毅然としずくになって一渡り汚したその直後に吸い取りたい。「COLOR ME RADみたいー」「マジでそう!」「ねー、お土産にこんなたくさんのトマトもらったよー」「ねー、このTシャツ、いい感じに模様になってない?」「でもくさーい(笑)」「うちらの思い出だよね」パチリ。#卒業#思い出#友人#トマト#トマト祭り#スペインハッシュタグハッシュタグハッシュタグ

 ワーキングランチ。まあ雑談だべさな。ばばあどもが朝早くから起きてこさえた、マーガリンたくさん塗ったチーズとトマトのサンドイッチをつまみ、女子大生は小刻みにうなずきながらまた一口。新鮮なトマトが口の端からはみ出して種。。。。。


#8

騎士団長殺し

 三百年生きているという噂は本当ですかと私は言った。だいたい本当だと騎士団長は言った。竜を殺したんですかと私は言った。殺したと騎士団長は言った。そして、騎士団にようこそと言った。
 私は小鬼を殺した。小鬼を殺すのは人を殺すのに似ていると人を殺したことのある団員が言った。人を殺したことがありますかと私は言った。あるよと騎士団長は言った。
 騎士団長には子供が三十人いた。そのうち七名が存命で、王家の血筋の者もいた。その第二十九子が騎士団にいて、彼は小鬼を殺すのが好きだった。私は彼に好意を寄せていたから、一緒によく小鬼を殺した。
 小鬼を殺すのは人を殺すのに似ていると騎士団長は言った。彼と私は騎士団を除名された。彼と私は小鬼を殺した。やがて人も殺した。
 他国との戦争が起こり、彼と私は騎士団に復帰した。彼と私は人を殺した。騎士団長は三百人の男を殺した。
 戦争が終わると彼と私は小鬼を殺さなくなった。人を殺した。極悪人だけでなく小悪党も殺した。悪人はどんどん少なくなっていった。悪人がいなくなって、北の山に竜が現れた。
 騎士団を中心とした討伐隊が竜に立ち向かった。彼と私も立ち向かった。騎士団長も立ち向かった。三百人の男が殺され、騎士団長は胸を裂かれた。彼と私は騎士団長の血を浴びた。そして逃げ帰った。しかし帰り着く前に彼の体はただれてなくなってしまった。
 生きていますかと私は言った。生きていると騎士団長は言った。
 私たちは泉の畔に移った。泉には北の山の妖精が集った。妖精は私たちに竜を殺してくれと言った。竜は北の山を動かず、襲う者の他は殺さなかった。私たちは断った。やがて妖精は泉の妖精になった。
 私たちは三百年、泉を離れなかった。私たちの本が書かれ、私たちはそこで多くの小鬼を殺し、多くの人を殺し、そして竜に殺された。竜はまだ北の山にいた。
 私たちをおぼえているかと私たちは言った。おぼえていると竜は言った。私たちを殺すのと私たちに殺されるのとどちらがやさしいかと私たちは言った。どちらも難しいと竜は言った。私が死ねばお前たちも死ぬだろう。お前たちが死ねば私も死ぬだろう。私は死にたくないのだと竜は言った。
 三百年はこれまでと何も変わらなかった。しかしその翌年、たくさんの人が竜を殺すために騎士団長を殺しにきた。騎士団長は死に、竜も死んだ。私は人を殺した。たくさん殺したが、悪人はいなくならなかった。


#9

ドリンク

 まだ残っているのに新しいグラスにドリンクを注ぐ。そのグラスを半分飲み干し、まだグラスにドリンクが残っているのに新しいグラスを取り出しドリンクを注ぐ。そうして、そうして、棚のグラスを全て使い、ドリンクを注いだグラスを次々と洗い、奇麗にふいて、奇麗に磨いて、そこに新しいドリンクを注ぐ。そのドリンクがまだ残っているのに先ほど洗って磨いたグラスに指紋がないことを確認して、新しいドリンクを再び注ぐ。そうして、そのグラスには口も付けずに先ほど洗ったグラスのひとつにドリンクを注ぎ入れる。最初に洗わなかったグラスを洗い、先ほど洗ったグラスと合わせて、全てのグラスを洗い終わったあと、口を付けなかったグラスとそのあとにドリンクを入れたグラスとを、これで一巡したんだと考えながら洗う。鼻歌も歌っていたのかも知れない。洗いながら、洗い終わったグラスにドリンクを注ぎ、そのグラスを眺めながら尚、グラスを洗い、最後に眺めたグラスをも洗う。一息ついて、ソファに腰をおろし、さぁ、ドリンクでもと、グラスに冷えたドリンクを注ぐ。それを半分も飲まないうちに新しいグラスを持ち出し、そこにドリンクを注ぐ。そのドリンクを半分も飲まないうちに新しいグラスを持ち出し、そこに新しいドリンクを注ぐ。最初のグラスを流しに置いて、それから新しいグラスを棚から取り出し、指紋がないことを確認してからドリンクを注いだ。
「自分だけは裏切らないとでも思っているの?」
「自分という私が自分自身を簡単に裏切ることもあるのよ」
「でも、自分を裏切るかは自分が決めることでしょ?」
「見て、月がとっても奇麗」
 窓の外。ひとりごちてグラスにドリンクを注ぐ。そのドリンクを飲み干して新しいグラスに新しいドリンクを注ぐ。そのドリンクを飲み干して新しいグラスにドリンクを注ぐ。冷蔵庫から缶ビールを取り出し半分ほど飲んでから新しいグラスに残りのビールを注ぐ。ドリンクとビールを交互に眺めながら、新しいグラスに新しいドリンクを注ぐ。三つのグラスを順番に飲み干していく。最初はドリンク、そうしてビール、最後はドリンク。それらのグラスを洗って、奇麗に磨いて棚に戻し、それとは別の新しいグラスを取り出し、そこにドリンクを注ぐ。そのドリンクを全部飲み干し、あらためてドリンクを注ぎ、そのドリンクも飲み干し、さらにドリンクを注ぐ。そのドリンクも飲み干し、そこでドリンクは全て尽きた。


#10

マネキン

 私が人間になったとき、私は淡い水色の、春物のワンピースを着ていました。頭には麦わら帽子をかぶり、腕にはバスケットをぶら下げていたので、まるで春の陽気に誘われてピクニックにでも出かけるような恰好だったでしょう。私は、デパートの婦人服売り場に置かれたマネキンでした。ですので、そのお店にいた人たちはマネキンが急に動き出したと思ったのです。しかしそのときの私はすでに人間になっていたので、正確にいうとマネキンが動き出したわけではありません。私は売り場の店長に挨拶をして、店内で騒動を起こしてしまったことや、もうマネキンとして働けないことを謝りました。季節はまだ冬だったので、外には雪が降っていたのを覚えています。

 私はデパート側の計らいで、婦人服売り場の店員として雇ってもらえることになりました。仕事の様子はいつも見ていたので、仕事を覚えるのにさほど苦労はしませんでしたし、同僚の方たちはとても親切にしてくれました。しかし、売り場に置かれているマネキンたちの視線にはどこか冷たいものがあり、私のことを疎ましく思っているように感じました。もちろん、マネキンに感情があるはずはないのですが、自分も昔はマネキンだったのですから、そう簡単に心を割り切ることもできません。
 結局、私は一年ほど働いたあと、デパートの店員を辞めてしまいました。

 仕事と住む場所を失った私は、あてもなく街を歩いていました。するとある日、ゴミ捨て場に裸のマネキンが横たわっているのが目に入り、私はしばらくその場から動けなくなりました。マネキンは男性の形をしており、仰向けになって空を眺めていました。私はゴミの中から見つけた服をそのマネキンに着せると、彼の体を抱えてその場を去りました。それから歩き疲れて公園のベンチに横になると、私は長い夢を見ました。

 夢の中で、私と彼は結婚し、子どもを作りました。あまり収入は多くなかったけれど、子どもを大学までやって立派に育て上げることができました。やがて子どもも結婚し、孫を抱くことができたのです。
 私は夢から覚めると、海の見える窓辺に座っていました。手を見ると皺だらけになっており、体も少し重く感じました。
「年を取ると皆そうなるのさ」と、傍らに置かれたマネキンの男性が言いました。「でも、君はそれで満足なのだろ?」
 海辺には、麦わら帽子の女の子が歩いていました。今日は、ピクニックにはよい天気です。


#11

DODO'S BACK

ヘッドフォンを耳にかぶせて、dodo marmarosaの弾くメロウムードを聴いているときにオレはオレ自身に戻った気がするのだが、そういう自分になる儀式を誰でも何かしらもっているみたいで、昔の恋人はシャワーで自分の足を洗うことだった。渋谷の人混みのなかでも一瞬で彼女の姿をみつけられるほど彼女は太っていて、オレの3倍くらいふくらんだ大きな足をもっていた。彼女と外を歩いていると、次第に表情が蒼ざめていくのがわかって、それは彼女は足を洗いたいからだった。もちろん、長時間足を洗わなかったからといって、泣き叫んだり刃物を振りまわしだすわけではない。せいぜい不機嫌な顔で機嫌が悪くなるだけだ。オレは足を洗って浴室からでたときの元恋人の表情をよく覚えている。

先日その元恋人を東京駅でみかけた。人混みのなかで、やっぱりオレは彼女を見つけることができたのだが、なぜだろう、彼女はとても痩せていて、綺麗になっていた。ひょっとすると太っているから目立っていたのではなくて、なにか特別なオーラなようなものが元々備わっていたのかもしれない。オレたちは一瞬、ほんの一瞬目があっただけで、とくに会釈もすることはなかった。なぜならば彼女は子供と夫を連れていたからだ。彼女は今でも浴室で足を洗うことで自分を取り戻しているのだろうか。いやもしかしたら、もうあれほどまで徹底的に洗っていないかもしれない。それじゃ、オレの知っている彼女じゃないな。オレはそう思うと、人間というのが変化する生き物だということがちょっとわかった。

dodo marmarosaをこれだけ愛聴しているとはいっても、オレは別に音楽オタクなわけではないし、実はもっと有名で人気のある他のアーティストのことは知らない。今から20年以上前、友達のか、彼女のか、兄貴のか、なぜかCDがオレの部屋にあって、それ以来聴き続けているだけだ。

さて、今日オレはリッツ・カールトンに泊まっている。34階の、とても眺めのよい部屋に1人。色恋沙汰もないし、ハードボイルドな冒険が起こりそうにもない。安月給には苦しいホテル代でもある。だがオレはさきほどコンシェルジュにCDプレイヤーを持ってきてもらった。これからdodo marmarosaをここで聴いて過ごすつもりである。変わるもの、変わらないもの。今まで状況だけが変わるだけで人は変わらないと思っていた。でも、人は変わっていくのだ。


#12

ヤドカリ

ヤドカリは、生まれた時は貝を持たないらしい。そもそもあの姿ではないそうだ。何度も脱皮を繰り返して、前の家主が捨てた家に住みつく。
ヤドカリは、自分の大きさに合わせて家のサイズを変えていく。まるで、学生が8畳一間のアパートから、社会人になって部屋を広くして、家族が増えて家を大きくしていくかの様に。
よく自分に合う貝を探し出せるな、なんて思う。どうやら貝の入口に自分の鋏脚を合わせてサイズを測っているらしい。それでも、一旦は入ってみたものの、すぐ出てきてウロウロしている奴もいる。奥行とかが合わないのだろう。
人も収入と家賃、希望と照らし合わせて住まいを決める。それでも、いろんな事情で契約期間前に引っ越していってしまう人もいる。

みんな、そんなこんなを繰り返して、自分にぴったりの住まいを見つけるのだ。
身の丈に合った生活をするために。

ある日、なんだか疲れたヤドカリを見かけた。一瞬それがヤドカリとは気が付きもしなかった。多分ヤドカリなのだろうと思ったのは、その大きな鋏脚を見たからだ。
近くにはちょうどよさそうな貝があるにもかかわらず、そのヤドカリは貝を背負っていなかった。
ヤドカリの腹部は柔らかく、すぐに傷がついてしまうという。あの住まいは自分の大切な部分を守るためのものなのだ。
それを捨てて、何故彼は裸で出歩いているのか? 彼らが背負っているものは、ただの住まいとしての貝ではないということか。
背負っているものが重くなったのだろうか? それは体力的に? それとも別の理由か。

せっかく買ったマイホームを早々に手放す人達がいる。住宅ローンが重くて手放していく。
始めは夢のマイホームで、楽しいことがたくさんあったに違いない。これから始まる生活に心を躍らせたに違いない。
でも、それが始まった途端、日々の生活がどんどん切り詰められて、追い詰められていく。
守るべきものは、帰る場所であって、日々の生活だと気が付いて、彼らは夢を見て手に入れたはずのマイホームを手放していく。
背負っていたものは、住宅ローンというお金ではなく、家族の生活という重いものだったのだ。


数時間後、再び同じ場所に来てみた。あのむき出しのヤドカリが気になったのだ。
彼は、白くなり動かなくなっていた。


#13

そして夜は俄に輝きを増して

 一年半ぶりに見た実家はどことなく小さく、丸くなったように思えた。自室の様子は昔と一切変わっていなかったが、懐かしいどころかよそよそしい感じがして、なぜだか裏切られたような気分になった。自分の部屋に裏切られるもなにもないのに。
 なんとなくつまらない気分を抱えながら一週間遅れの雑煮を食べて、すっかり平常運転に戻ったテレビを眺めて、特に代わり映えもしない仕事の話を何言か交わし、一切記憶に残らないようなインターネットを無駄に遅くまでして、よそよそしい顔のベッドに入った。

 眠れなかった。一人暮らしを始めた頃は聞こえなくなった事にあんなに違和感を覚えた秒針の音が、二秒ごとに僕に時を刻み付けてくる。頭は妙に冴えていて、大学時代の失恋や、高校の演奏会でした小さなミスなんかを、意味もなく思い出し続けていた。携帯を見ると、もう四時を回ろうとしているところだった。
「眠れないかもしれないけど、そしたら眠らなくても大丈夫だから。君たち若いんだからさあ、一日ぐらい問題ないよ」
高校受験前日に塾の講師が言っていた言葉がふいに浮かんだ。

 眠らなければ、いいんじゃないか。

 それはなんだかとても素晴らしいアイデアに思えた。どうせ明日も休みなんだ。急に宝物を見つけたような、買ってまだ読んでいない漫画があったことを思い出したような、とにかく僕は中学生の気持ちで、豆球の下、できるだけ暖かい格好をして、音を立てないように階段を通り、そっと外に出た。
 僕の家は、あまり成功したとはいえないニュータウンの本当に端っこに位置していて、左を見ると新しい家が立ち並び、右を見ると田畑の中にポツポツと大きな家があるような、そんな場所に建っている。僕は暗闇に吸い寄せられるように、右へと進んだ。
 あぜ道をただ歩いた。自分が立てる音以外の、一切の音がしなかった。ふと空を見上げ、星の多さにぎょっとする。オリオン座があまりにもオリオン座で、なぜか笑えてきた。バカみたいに明るい月も、神聖めいた冷たい空気も、吐く息の白さも、何もかもが気持ちよくて仕方なかった。やってるのか分からない商店の前の自販機でダイドーのコーヒーを買った。コーヒーとかけ離れた甘さも楽しかった。嬉しかった出来事だけがたくさん浮かんできて、無敵になった気分だった。
 朝焼けが町を包む頃、帰ってきた家は昔みたいに頼もしかった。裏切ったのは僕の方だったのかもしれない。


編集: 短編