第173期 #2
―― 一九四三年一月、ソヴィエト スターリングラード
何故俺は酒を飲むのか。生きるためか、それともここで眠るためか。
戦況は火を見るよりも明らかだ。俺みたいな兵役逃れでも分かるくらいには。せっかく戦線に送られないで済んだのによ、畜生、何でこの街でおっ始めやがるんだよ。向こうも向こうで、何でまだ戦ってるんだか。
戦争ってのは多分災害みたいなモンだ。数年に一回猛吹雪が来るだろう、あれだ。あれみたいなモンだ。どうしようもないんだよ、向こうで戦ってる兵士には、ましてや俺ら一般市民にも。
もうこの街は終いだ。家々も焼かれた。工場も焼かれた。いや、本当に終いなのは俺の人生だ。市街戦の直前、嫁が結核で死んだ。上の娘は一か月前にドイツ兵に連れていかれた。息子は……、ああ、神よ!何故貴方は俺に苦痛ばかりを与えるのか!これも試練なのか。ああ……ミーシェニカ……流れ弾が君の脳天を貫いた時、俺は絶望と共に少しの安堵を覚えてしまったんだ。家が焼かれたあの日、もう俺らが二人とも助かる術は無かったんだよ。なのに、「二人で逃げよう」なんて言っちまったから。嘘を、ついてしまったから。
結局、俺はこうして森に逃げおおせた訳だが、それももう限界らしい。食糧が底を尽きた。ウォッカももう、これだけしか残っちゃいない。誰が掘ったか知らない穴で二晩明かした。もう俺には何も残っちゃない。……、空の酒瓶しか。
決めた。生きよう。最後に一人ドイツ兵を殺してやろう。それから死のう。どうせこの吹雪だ、ほっといても死ぬだろう。けれど、だから、一人ドイツ兵を殺してやろう。それが、俺の、愛国心ってやつだ。戦争は、人殺しても、罪にゃならないんだ。
男はおもむろに立ち上がると、市街の方角に歩き始めた。手には硝子の鈍器。持物はそれだけだった。そしてその前方二百メートル、一人の兵士が孤立していた。
男と兵士の間が刻々と詰まる。
見つけた、あいつを殺ろう。
男は手に持った酒瓶を振り上げながら近づく。あと三歩でその腕が振り下ろされるその時、兵士が男の方を振り返った。刹那、銃声、男の顔はそこには無かった。頸より下、男の身体を形成していたものが、その場に倒れ込み、白い地面を赤く染めた。
兵士が近づく。
「ああ……、同志であったか」
兵士は、ソ連兵だった。小隊が全滅し途方に暮れていたその兵士は、晩方に自ら命を絶った。