第172期 #8

 この街には巨大な塔が立っている。直径が一キロメートル、高さが十キロメートルもあるため近づくと壁にしか見えない。そして普通の塔と違って真っすぐに立っているわけではなく、地面に向かって弓なりにカーブしているため、遠くから眺めると今にも倒れそうに見える。ちょうど糸を垂らした釣り竿のように見えることから『巨人の釣り竿』と呼ばれることもあるが、もともとは空に向かって真っすぐに伸びていたものであり、それが数千年ほど前から傾きはじめて現在の状態に至ったのだという。専門家が構造を調べた結果、毎年ほんの少しずつ地面に向かって傾き続けてはいるものの、あと千年は何の問題もないという結論が出されている。
 とはいえ、塔がいつ倒れるか分からないという不安は街に暮らしている者なら誰でも抱く心理である。そのため、塔が倒れようとしている方向にある(つまり塔が倒れたときに潰されてしまうであろう)細長い形をしたエリアは、誰も好んで住みたいとは思わないため、昔は貧しい者が暮らす地域として知られていた。しかし、戦後の経済成長によって街全体が豊かになったことで問題のエリアに住む者が減ったため、現在ではその跡地に広大な公園が整備されている。
 その公園は、一番迫力のある方向から塔を眺められる場所ということで観光地になっており、私はその公園で観光客を相手にアイスクリーム売りをしている。公園には他にも玩具を売ったりビールを売ったりする者がいて、それぞれに自分の屋台を構えている。私が売っているアイスクリームはどこにでもあるような普通のものだが、特徴を出すために塔の形をまねた大き目のクッキーを突き刺している。そしてアイスクリームを手渡すとき「今日は暑いので、どうか塔が倒れないうちにお召し上がり下さい」という決め台詞を言うことにしているのだが、特に客から反応が返ってくることはない。隣でビール売りをしている女はそんな私の姿を見ながらよく笑っている。
「毎日笑わせてるんだから、たまにはビールでもおごってくれ」と私は言う。
「じゃあ、わたしはアイスクリームが欲しいわ」と女は言う。
 私たちはベンチに座って商品を交換する。
 私がビールを飲むと、女はアイスクリームに突き刺さったクッキーを地面に捨てる。
 クッキーに群がる鳩。
 空を昇る風船。
 私は女の顔にビールをぶちまけたあと、女に長いキスする。
 きっとそんな日に、塔は倒れる気がするのだ。



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