第172期 #6

あなたの愛するわたし

 あなたはわたしの部屋のなかに入ってきて、涙ぐみながらぐるりとその内部を見回す。そして、わたしのベッドの隅に置いてあるぬいぐるみの頭を撫でて抱え上げ、愛しそうに抱きしめる。
 いいえ、それはわたしではないの。そのぬいぐるみは昔の男に買ってもらったもの。気に入っていたから別れたあともずっと可愛がっていたの。それはあなたがくれたものではないの。
 あなたはぬいぐるみを抱えたまま歩を進め、棚の上に置いてある写真立てを取り上げ、懐かしそうに眺めて優しく触れる。
 いいえ、それはわたしではないの。その海の写真は昔の男と一緒に行った先で撮影したもの。気に入っていたから別れたあともずっと飾っていたの。それはあなたと一緒に行った海ではないの。
 あなたはぬいぐるみと写真立てを大事そうに棚の上に置いて歩を進め、テーブルの上に置きっぱなしにしているマグカップを手に取り、泣きそうな笑みを浮かべてくちづけをする。
 いいえ、それはわたしではないの。そのマグカップは昔の男と一緒にセットで買ったもの。気に入っていたから別れたあともずっと使っていたの。片方のカップは男と別れたときに叩き割って捨てた。そのカップは男が使っていたものかもしれないの。
 そら、階段を上ってくる足音が聞こえる。部屋の扉が開いて、かれがわたしの部屋のなかへと入ってくる。あなたとかれとは涙を流しながらキスを交わして抱きしめあう。お互いがわたしの不在を慰め合うために存在していることを確かめあう。
 この日をずっと待っていたの。わたしがこの世から消えてしまう日を。ねえ、あなた。
 あなたが愛していたわたしは、誰。



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