第171期 #9

12月の恋人たち

Yは12月になると必ず思いだすことがあって、それは昔どこかで読んだ2人の若くて貧しい夫婦の物語だった。クリスマスなのに、夫に贈るプレゼントを買うお金がなかった奥さん。だが奥さんは美しい髪をもっていたので、髪をバッサリ切りおとしてカツラ用につかう人毛として売ったのだった。そうして彼女は夫にプラチナの鎖を買うのである。夫が宝物としてもっていた懐中時計に、このプラチナの鎖をつければさぞかし似合うことだろうと思ったわけである。

夫は髪を切って売った奥さんのことを知らない。それで、夫は自分の宝物の時計を売り払い、髪かざりを買ったのだった。宝石がちりばめられたもので、それは美しい奥さんの髪によく似合うと思ったわけだ。だがクリスマスの夜、夫は妻の髪がとても短くなっていることを知る。妻の方も夫が宝物にしていた時計を売り払ったことを知る。だがそれでも2人は幸福なのだった。

Yはこの話を頭のなかで何度も思い出して12月を過ごすようにしている。結果的にいい話であるかもしれないが、細部はとても哀しい話だと思う。哀しく思ってしまうのはYにも似たような経験があって、恋人とクリスマスをどうしても一緒に過ごそうと思って無理をして仕事を休んでディナー、ホテルまで予約をしたら、恋人はクリスマスはいつも仕事だから自分も仕事をいれて、そのかわりYが休みである正月に自分も休みをとったのだった。Yはクリスマスに休みをとったので正月は仕事になったのだった。

Yとその恋人は、なんとそんな些細なすれ違いで別れてしまって数年たつ。今では連絡もすることがなくなり、噂では結婚して子供もいるという。だからといってYは後悔しているわけでもなく、ただそんなことがあったこともあって、髪を売って時計用の鎖を買った奥さんと、時計を売って美しい髪飾りを買った夫の物語のことをおもうとき、この出来事は本質的にとても哀しいと思うのである。

今年の冬もYはワインバーに行って、1人ワインを呑んで、ぼーっとした表情で、すれちがっても美しく哀しい夫婦のことをただ思う。すれちがったまま終わってしまったたくさんの恋についてもぼんやりと考えてみる。誰かを愛すること、誰かに愛されることの豊かさはワインに似ていますと、若い女性ソムリエがYに言ってきて、その言葉をいった彼女が成熟していく時間を思って、またぼんやりとワインを飲み、明日も働こうと思うYの師走なのであった。



Copyright © 2016 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編