第171期 #11

まとって生きる

階段を下りている途中で、目の前が大きく歪んだ。

次に気が付いたのは、病院のベッドの上だった。3日前のことだ。
ピッ、ピッ、ピッ。
規則正しい音だけが鳴り響いている。
階段から落ちたはずだが、ケガは両膝を擦りむいた程度で済んだ。ただ、今はベッドの上から極力動かないようにと、制限されている。

平日の昼下がり、ゆっくりと窓の外を見る。
誰もいない。それだけで、こんなにも気持ちがラクになる。
いつもは、誰かの目を気にして、言葉を気にして、他人の望む自分を演じて、一瞬たりとも気が抜けない毎日だった。
帰っても緊張した気持ちが解けることはなく、そのまま朝を迎えて、またピリピリと生活を送る。
他人の望む偽りの自分を演じるために、笑った仮面をまとい、他人の言葉に傷つかないように自分の殻に閉じこもり自分を守った。
本当の自分はこんなのではないはずなのに、と思いつつ、他人の望む自分を演じ、その溝がストレスになる。
気が付けば、どっちの自分が本当の自分なのか、わからなくなった。
本当にやりたいことってなんだろう。
本当に言いたいことってなんだろう。
本当の自分ってなんだろう。
何もかもがわからなくなって、考えることを放棄した。
そこまでして、本当に生きる意味ってあるのだろうか。
自分さえも本当の自分を見失って、誰も本当の自分なんて見つけてもくれないのに、このまま他人の望む自分を演じて生きることに意味があるのか。
それでも生を手放して、あの世に向かうという発想は生まれない。
生きる意味がないのではないかと感じつつも、毎日他人の望むありもしない自分を演じ続ける。

ガラガラと音がして、視線を窓からそちらに移す。
一瞬にして、自分を守るための鎧をまとって笑顔を作る。
多分そうやってこの先も生きていく。自分を守るための鎧を身に着けて、自分でも本当の自分がわからないように。
本当の自分を知ってしまったら、鎧をまとって、他人の望む自分を演じられないことを知っているから。
誰にも自分を隠して、決して見つからないように、私は嘘をまとって生き続ける。



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