第170期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 オータム・ノスタルジイ ドクダミ草 628
2 正しい深呼吸 なゆら 699
3 時彦 akifu 1000
4 some place 蒼井鳥人 999
5 欲しいものはいつだってチョコレート たなかなつみ 887
6 圭子の圭は土二つ テックスロー 993
7 生まれ変わる方法 岩西 健治 999
8 信仰 かんざしトイレ 1000
9 満腹王子、空腹になる qbc 1000
10 裸族を求めて わがまま娘 996
11 宇加谷 研一郎 1000
12 五寸釘 ハンドタオル 853
13 エンジェル 塩むすび 1000
14 森と泉にかこまれて Gene Yosh(吉田仁) 1000
15 草むら euReka 1000

#1

オータム・ノスタルジイ

秋の夜長に訪れる、静謐で豊かな時間が好きだった。

煌々と照らす摩天楼の麓、陰になった住宅街の一角に秋風が吹き溜まった。心地よい寒気が肌を抱く。身体の芯にまで染み渡るかのようなその空気が、時折漠然とした郷愁を抱かせる事があった。
はて、一体何に対して、私は懐かしんでいるのだろうか。排気ガスで塞がれた満天の星を見上げながら、私も又、漠然と思考する。夜との輪郭が曖昧になり、脳髄を軽やかな涼風が揺さぶった。
都会で生まれ育った私は、一度たりとも「故郷」というものを見たことがない。小鮒を釣りしかの川も知らないし、兎を追いしかの山も知らない。ただ私が知っているものと言えば、光化学スモッグの目眩とネオンの偏頭痛だけである。
無知蒙昧な私に、秋風が吹き込んだ。その懐古がどこから湧出しているものなのか、私には判然としない。人並みに山に行くことはあった。海にも行くことはあった。ただ、それだけである。
ベランダに身を預けた私の網膜に映るのは、憮然とした表情を決して崩さないビルディングの密林と、叢雲に隠れた朧月。私の鼻腔に薫るのは、灰皿に残した遺骸の香りと、秋風が運ぶ旧懐。
これは、人間の本能なのだろうか。血潮の奥に隠されたDNAとかいう物が、秋の夜半に共鳴しているのだろうか。
「まあ、いいや」
私は浸る。この悲しみが何なのか、私には分からない。恐らく、この灰の風を浴びた私には決して分かり得ないものなのだろう。

秋の夜。私は時折、こうしてセンチメンタルになる。


#2

正しい深呼吸

吐いて、吐いて、吐いて。まず吐ききることからはじめよう。自分の中にある空気を、体に満ちている空気をすべて吐ききるイメージで吐いてみる。吐いてみる。吐いてみる。徹底的に吐いてみる。そう、なんなら魂も吐き出す。勢いをつければ吐き出せる。頭にある限界を超えるんだ。人間やればなんでもできるんだから。そう、そう、そう、いいねえ、出てるよ、いっぱい出てるよ魂、空に浮かんで踊ってやがる。何楽しんでんだてめえ。こっちは遊びじゃねえんだ。命とチャーシューメン1杯かけてやってるんだ、へらへらすんない。ほら、今、お前は空っぽ。なんにもない、空洞です、空っぽの入れ物がぼうっと立っててこっちを見てやがるよ。いっちょまえにこっちを見てやがる。意思なんてないよ、空っぽなんだから。大丈夫、そんな不安な目をしなくてもいい。あとで戻ってくる、戻ってきたら適当に餌と水をやって、散歩に連れて行ってやること。で、ほら、入れ物よ、労働の時間だ。さっき言っただろ、入れ物に意志はない。ただ従うだけ、この黒スーツに従っていればいい。え、戻ってきた。魂が?残念、閉じ込めてあるよ、この先祖代々伝わる壷に閉じ込めたんだ。お前はこの中にいるんだよ、戻ってきたと思ってるもんは、狐。気づいてないと思うから言うけど、お前、コンコン言ってるからね。たまたま俺が狐の言葉をわかるから良かったけど、母親だったら卒倒してるかもしれんぜ。いい?狐なんだからそんな獣の意志に従わずにね、黒スーツに従ってもらわないと。獣と黒スーツのどっちが偉い?どっちがiPhone持ってる?あんまりわがまま言ってっと、壷の中の彼女が悲しむよ。さあ、労働しよう、服を脱いで。


#3

時彦

時彦の母は図書館司書だったので、時彦は幼い頃から本が身近にあり、他の子らより沢山の知識を得ることが出来た。時彦は知識を頭に詰め込むのが好きだったが、知識を得ることそのことよりも、人より多い知識を散弾銃の様に乱射して、相手の意見を潰すことで、人々を啓蒙したぞ万歳、と思うような困った人間なのであった。
時彦の家柄は代々女房を働かせて男はのんのんと過ごすことが許されている。幼い頃より、ろくに外に出ないで書物に囲まれてのんのん暮らし、そのままふらりと死んでいった父親の背中を見て、「俺もああなりたい」と思った時彦は、大学を卒業すると、牛売りの娘を嫁にもらい、のんのんとした生活を送ることに成功した。結婚後はずっと本を雑誌をニュースをみて日々過ごした。
働かないで飯とクソと睡眠だけの暮らしとなると、自分自身、本当に社会の役に立たないクズゴミの様に感じ始め、卑屈になったり鬱になったり世間の目から隠れる様にして生きるものだが、時彦の場合、人々に議論を吹っかけ、無職=悪といった誤った考えを是正し、労働に縛られることの愚かしさと、働かない生活の豊かさを独善的に主張し、うんざりした相手の顔を見ては、「今日も人に新しい価値観を植えることができた、世界平和へと導いているぞ」という満足感に酔いしれるのだ。
言葉の刃で人々をクソ味噌に切り裂き、啓蒙する日々。
そうなると、当然誰にも相手にされなくなる。
往来で「やぁ」と声をかけて話そうとしても、皆がプイと顔を背けてしまう。
12月朔日に行われた芋煮会では完全に人々から避けられ、皆が談笑しながら芋を頬張る中、ひとりぼっちで顔をこわばらせながら仁王立で胸に詰まった芋を茶で流し込んだ。芋が食道を落ちていくのを感じながら、人々に怒りを抱き、自分を悲しんだ。
おや親族も縁遠くなり、友もいない。もはや時彦の行動を批難してくれる人もいなかったし、時彦は耳を傾けるほど素直ではなかった。
牛売りの女房も心を壊し、実家に帰っていった。芋煮会以降、時彦は人と話すことをやめ、人間以外に話しかけるようになっていった。
街路樹に向かって生活保護の現品支給案を話し、一方通行の看板と対峙し原子力発電の推進を語り、空気に対して政教分離の原則について意見した。

橋の下に横たわっている時彦は、もうすっかり年をとっていた。あの日の芋煮会以降、ずっと一人だ。あまり見えなくなった黄ばんだ目玉からは涙がこぼれた。


#4

some place

おいコラ、よく聞けよ。
お前、渋谷でリサを拾ってきた時俺に言ったよな?この女売って最後だって。
組の奴らに渡して金が入れば、まとまった金ができるってさ。その金持って俺ら2人でこの街からサヨナラじゃなかったのかよ!

なんでお前の部屋にまだこいつがいんだよ、あ? あの人怒らせたらどうなんのかくらい、お前のクソくらいの脳みそで考えたって分かんだろうがよ!おい、コラ! 黙ってねえでなんとか言えよ! オイ!

リサ、テメエこいつに何言いやがった?
テメエになんかこの金は触らせねえよ! ちょっと金チラつかせただけでノコノコついてきて股開くような女に邪魔されてたまるかよ!おいコラ、テメエは口開くんじゃねえぞ。テメエなんか使い捨てなんだよ、使い捨て!俺らの問題に入って来るんじゃねえよ!

お前だよ! お前!
オイ!どうすんだよ、今すぐ逃げねえとヤベーだろうが!お前まさかリサに本気になったなんて言わねえよな?あ?俺らの金持って逃げるつもじゃなかっただろうなあ!
「女なんてパチンコ屋の換金用の金だ。耳クソ程の値打ちの金が化粧して歩いてるだけだ」って言ってたのはお前だよな? 知ってっか?リサ。そっくりそのままこいつの言葉だぜ。知らねえんだろ?どうせ?クソ程の脳みそと、耳クソ程の女が逃げたってどうにもなんねえだろうがよ!そうだよ、お前らがクソだって言ってんだよ!聞いてんのかよ!

おい、俺を見ろ。俺の目を見ろ。
約束したじゃねーかよ。店出すんだろ?俺ら2人で遠くの街でさ、ヤクザにも誰にも邪魔されない遠くの街でさ、2人でやっていこうってあん時約束したよな?お前忘れてなんかねえよな?それをお前、こんな女のためにメチャメチャにしやがって!
コラ、オイ、早く逃げんぞ! 金詰めろよ早く、あいつらが許してくれる訳ねえだろうがよ!

リサ、お前何渡してんだよ?それ。
そんなもんどこで手に入れたんだよ、オイ。こっちによこせ。こっちによこせって言ってんだよ!
オイ、お前何俺に向けてんの。仕舞えよそんなもん! リサ。テメエはその金から手を離せよ! 汚ねえ手で触んじゃねえよ! お前らバカじゃねえの?そんな偽物で俺が行かせると思ってんの?
コラ、リサ、お前何笑ってんだよ?
テメエさえ現れなきゃこいつも俺もうまくいってたんだよ!殺してやるよ、殺してやる。どうせ悲しむ奴なんていねえんだろ?クソが地球から一個消えるだけだもんな。クソがいくつ消えたって誰にも










#5

欲しいものはいつだってチョコレート

 欲しいものはなんだと問われ、子どもはチョコレートを所望した。白い髭にグレーの髪の老人が背負っている袋にはお菓子がいっぱい。老人は子どもの両手いっぱいにその袋の中身をざらざらとあけた。子どもは喜々としてその小袋をひとつずつ吟味する。けれども、そこに堆く積まれたたくさんのお菓子のなか、チョコレートだけが見つからない。
 チョコレート味のビスケットでは駄目なのだ。チョコレートボンボンでも駄目。子どもが欲しいのはただひとつ。純粋なチョコレートでできあがった、真正なチョコレート。
 いつもこうなんだ、と子どもは言って肩を落とす。ぼくの望みは叶わないわけじゃない。だけど、いつも少しずつ違うんだ。ぼくの欲しいものはこれじゃない。だけど、まったく違うとも言いきれないんだ。
 まあ、そう悲観したものでもない、と老人は言う。諦めずに探すことだ。欲しいものは探せば見つかるものだ。見つからなかったとしても、それはきみのなかにあるのだよ。
 そういうものはもう要らない、と子どもは言う。ぼくはもう飽きたんだ、と。
 夜が終わり、太陽が昇る。真夏の日射しは暑くて厳しい。子どもの身体は徐々にその熱で溶けていく。頭の天辺から、少しずつ、少しずつ。
 流れてくるそれを、子どもは舌をのばして受けとめた。それは、純粋なチョコレートでできあがった、真正なチョコレート。
 ぼくはね、と子どもは言う。もうこういうのは飽きたんだ。ぼくが欲しいものはチョコレートで、それはぼく自身でできあがっているような、自己満足の代物ではないんだ。
 子どもの身体はぐずぐずと溶けていく。伸ばした舌もだらりと流れ、子どもの形をなしていた形状も少しずつ崩れていき、やがて地面に粘性のある茶色の水たまりをつくった。
 老人は背中の大きな袋のなかから柄杓をとりだし、とろりとした甘い匂いを放つ水たまりを掬っていく。
 いつもこうなのだ。欲しいものはそこにあるのに、すぐにその形をなくしてしまう。けれどもそれはとても魅惑的で、手に入れたくて仕方がなくなるものなのだ。老人は柄杓にこびりついた液体を舌を伸ばして舐め、白い髭を茶色に染めて、笑った。


#6

圭子の圭は土二つ

 圭子は、叔父の圭一に初めて会った母智美が「次男なのに一の字が入るんですね」と言ったことを和室の隅で聞いていた祖父友義が毎朝の通勤時いつも期せずして乗車駅と降車駅と通勤(通学)時間帯が重なる女子高校生優美香の向かい側に座るとき、そのミニスカートから覗く生足と覗き込めば見えそうになる白布を思い浮かべて目を閉じた頭の裏で毎朝ダウンロードして聞いているポッドキャストから流れるカナダ人のバーバラが操る英会話が鳴り響き、それに合わせて英単語を呟くのを横の席でにらみつける、今日が入社試験だというのに横でのんきに爺がにやにや口をもごもごしていることで集中を削がれた文系大学生明彦が、覚えていた自己PR、つまりは学生時代にはボランティアに打ち込み、しかし徒党を組むということはなく主に自主的に缶が落ちているときには拾ったり、混雑した場所で携帯電話を使う輩の近くで意識的に舌打ちしたりしたことを、考えている中で電車が目的の駅を過ぎてしまった責任は当然アナウンスを怠った運転手の文之に負わされるべきであり、アナウンスがないことに気付いた車内のうちの一人、主婦秋絵はしかしいつもとは違う車窓から見える風景が学生時代付き合っていた彼氏武彦とよく遊んだ公園にとてもよく似ていることでつい懐かしく目を細めるとその視線の先では小学生四五人、竜樹、愛流、七羽、綺羅、あと一人健太郎がいたかどうか、今時の子供には珍しく木登りをして上から下の子供にボールや石を投げつける猿蟹合戦ゲームの真っ最中に樹から仰向けに落ちた竜樹が遠い青空にキラリと見つけた成田―ダラス便のエコノミーで大きな体を小さくしているアメリカ人ケントが土産として秋葉原で買ったフィギュアを食事用テーブルに立て悦に入っているうちに眠った夢に出てくる大きなパイナップルを両脇に抱えて突進してくる学生時代のラグビー部のテリーの歯を矯正した歯科医師ダニエルが歯磨き粉に入れた麻薬を運ぶトラック運転手スティーブが運転席から投げ捨てる吸いかけのラッキーストライクを拾って口をつけるホームレスの雅夫の顔の影によく似ているイエス・キリストが処刑されたゴルゴダの丘に立ち、自分の名前に十字架が二つ隠れているなどということにはまったく考え及ぶこともなく次の都議選に立候補する際は、自分の苗字は山口なので、名前のほうを簡単に、けいこ、とひらがなでポスターに刷ろうと思った。


#7

生まれ変わる方法

 もうすぐ炊けるから。
   ※
「本物と同じ重さらしいよ」
「ホンモノ?」
「モデルガンだよ」
 白で統一された彼女の部屋には似つかわしくない。もちろん、そんな趣味があったなんて初耳である。持ってみると重い。一キロくらいある感じだ。

 ベッドに入ってからも僕は寝付けなかった。それは英里奈も同じだったらしく、さっきのね、と独り言のように喋り出した。
「わたしね、嫌なことや辛いことがあったら、さっきのモデルガンをこめかみに当ててね、まねごとするのよ、自殺の」
 僕は言葉を発さず仰向けのまま聞き入った。自分の心臓の鼓動がやけに大きい。
「オモチャでも結構すっきりするのよ。一回死んだと思ってね、引き金を引くの。カチッと小さな音が部屋の中に響いてね、明日もがんばろって」
「いつから?」
「一年半くらいかな、ケンちゃんと付き合う前からだから。病的でしょ。ヤバいと思った? 嫌いになってもいいよ」

 嫌いになってもいいよ。
 不注意による仕事のミスで上司に小言を言われているとき、僕は昨日の英里奈の言葉の意味を考えていた。こんなことがあった日に彼女はきっと自殺するんだろうなぁ、と。僕に上司を殺せるだけの度胸はあるか。ヒザマズケ! 上司の鼻先に拳銃を突きつける。妄想の中、午前中いっぱいミスの修正に追われる。

《モデルガンでいいの?》
《意味不明》
《ホントは本物》
《マジかよ》
   ※
 彼女はテーブルの上に二丁の拳銃を置いた。
「入手先は聞かないでね」
 やはり手にずしりと重い。僕はネットで調べた通り、安全装置なるものをはずして引き金に手をかけた。
「実弾は二発、わたしとケンちゃんの分」
 引き金を引くと小さな金属音がした。疑いたくなるような随分と軽い響き。
「実感ないね」
「実は一度だけ装填したことあるの、本気で死のうと思って。でも、結局引けなかった。だから、これお守りなの」
 英里奈はそう言って、スマホに付けたお守り袋のようなものに小さな弾丸をしまった。
「昼間、堪えられなくなったら、トイレで握るのねこれ。ものすごく安心するんだから」
「そこまで重症じゃないよ」
 僕はそう言って自分の弾丸をテーブルの上に立てた。小さなロケット。これでどこまで遠くへ行けるのだろう。英里奈とふたりなら怖くはない。同類。いや、上司を殺す僕より死を選ぶ彼女の方が高尚なのか。
「さぁ、ご飯炊けたかな」
 立ち上がった彼女の勢いで倒れたロケットは小さく弧を描く。


#8

信仰

 いつからだろう。朝のテレビの占いにこれほど振り回されるようになったのは。今日の順位は二番目だ。いいことがあるに違いない。気にしているわりにはラッキーアイテムとか覚えてないけど。はりきって合コンに臨んだのだが、さっきから終わりの見えない血液型トークが展開されていて、辟易とするとともに、占いの類に対して突然冷めた見方に脳みそを席巻されてしまった。もう目の前の茶番につきあっている場合ではない。そんな気分だった。会話など上の空。いいことなんてありはしない。占いとは何だろう。暗示、マインドコントロール、根拠なく提示された出まかせを、ただ言葉が存在するというだけで受け入れてしまう人間の弱さ。
 日曜日に教会にいくと人はまばらだった。無心に祈っていると隣の男が話しかけてきた。
「あなたの祈り、間違ってますよ」
たしかに間違っている気がした。自分なりに神さまを信じて神さまに恥じぬように生きてきたつもりだった。神さまが存在するのはごく自然なことで当たり前なことで、それはそうだったけど、男についていった。教会を出ていった。神とはなんだろう。神の不在とはなんだろう。もはやどちらもピンとこない。神はなくとも世界はまわる。
 ウィークデーの目抜き通り。人があふれかえっていた。パレードだ、デモだ、暴動だ。興味本位で遠巻きに見守る。不思議な魅力がありそうでなさそうな屁理屈っぽい若者がマイクをにぎった。
「皆さん、お金って何ですか。そこの貧乏人ども、お金って何ですか。ある人のところには使っても使い切れないほどたまり、ある人のところには生きていくのにも足りないほどしかない。その実体は、紙切れです、鉄くずです。いやもはやそんなものでさえない。数字です、電気信号の痕跡です。それは何なのですか。真実ですか。違います。虚像なのです。それは皆さん当然わかっていることです。当たり前です。見ればわかります。ではなぜ嘘とわかって嘘におどるのか。それは嘘を本当ということにしておかなければ不便だからです。生死に関わるほど不便だからです。でもそれだけのことです。嘘を嘘だと認める人が増えれば、もしくは別の嘘を採用する人が増えれば、砂上の楼閣はくずれさるでしょう」
 父が死んだ。死なないと思っていたわけではないはずだけど、昨日とは決定的に何かが変わってしまった。世界が変わってしまった。人が死ぬ世界。それでも何かを信じて生きていく人間。


#9

満腹王子、空腹になる

 この程五年間の紆余曲折の交際の後、ある女性と別れた満腹王子は、晴れ晴れとした顔で、意気揚々と、金曜日の晩に私の家に訪れ、私の手による豪華絢爛栄養満点の夕食をたんまりと喰らい、そもそも満腹のくせに更に満腹になると、私との交際を宣言し、愛し合う二人の未来がどこまでも無限大に明るく、障害物もなしに末永く続いていることを雄弁に、まことしやかに語り、そして恋人同士が行う一連の手続を勇猛果敢に終えると、ひとつのベッドで私と王子は安らかに眠りにつき、いや現実にはまだ肌を合わせて間もない男女にありがちなように私も王子もうつらうつらと半覚醒半睡眠の状態が長かったと思われるが、翌朝は午後に目覚め、レンタルした映画をだらだらと見つつ過ごした挙句、昼前になると空腹になってしまったとの意を、傲岸不遜にも王子は表明した。
 ベッドは壁に接して置いてある。私はベッドの壁際が好きだ。私は壁と王子に挟まれた窮屈な姿勢で言った。
「食材があまり残ってないから、ロクな昼ご飯が作れない」
「そんなのDoしてやればいいじゃないか」
「ドゥーって?」
「DoはDoだろう」
「王子がばかになった」
「どうしたらいいんだろう。Doしたらいいんだろう」
「いま言い直したでしょう」
「Doしてしまったんだ俺は」
 王子は頭を抱えてベッド上を三転し、身悶えし、体を震わせ、私を更に壁に押しやり、際好きの私もさすがに息苦しく、その苦痛を王子に訴えようとしたが、それに勘付いたかのように王子が悶えた。
「正直、Doしきれたかどうか分からない。もしそうだったら、Doしようもないな。Doの、しようもない。Do……。Do……」
 乾燥ワカメと冷凍してあったほうれん草と鳥ささ身を入れたうどんを、私はベッドからすり抜け出て作り、着色料たっぷりの赤い柴漬を添えて王子に振る舞った。
 王子はそれをベッドの上でずるずると啜りこみ、義務のように感想を述べた。
「かなりの高水準Do」
「ありがとう」
「傑作Doを食べ過ぎてお腹が破裂しそうだ。俺が死ぬときはきっと胃が爆裂してお終いなのだろう。爆裂Do」
「王子の言っている意味が分からない」
 王子の腹は見るまに膨れあがった。しかしいずれまた空腹になるだろう。私はDoしたらいいのだろう?
 すぐに腹を空かすこの無分別な悪食はDoのしようもないかもしれない。
 そして日曜日の夜、満腹王子は自宅に帰っていった。

 これは、十年前のできごとだ。


#10

裸族を求めて

衣食住の「衣」を捨てた種族がいると知り、俺達はとあるジャングルへと向かった。

「どういうこと……?」
用を足して帰ってきたら、休憩をしていたはずのチームがいなくなっていて。確かこっちの方角に向かう予定だったと思い、足早にチームを追いかけた。
それから何日経っただろう。まさかジャングルで遭難するとは思ってもみなかった。いや、そもそもおいて行かれるとは思ってもみなかった。みんな、本当は俺のこと嫌いだった、というか、殺したいほど憎んでいたのかもしれない。殺したいほど憎まれるようなことはした記憶がないが、人はどこで誰の恨みを買っているかなんてわからない。だから俺も知らないうちに……。
そこまで考えて、俺はその思考を止める。ひとりでいるとロクなことは考えない。おまけに、今朝持っていた食料も水も底をついてしまい、腹ペコだ。頭を使うことさえも、得策ではない。
しかし、目下の問題は着替えだ。腹が空いているのに風呂に入って着替えがしたい欲求の方が今は強い。衣食住と「衣」が伊達にトップではないと痛感する。そんな「衣」を捨ててしまった種族とは一体……、と過る。
歩く気力もなくなり、木に寄りかかって木々の隙間から辛うじて見える空を眺めた。ウトウトし始めた俺の耳に人の声が聞こえた。複数の男性と思われる声の方を軽く見る。彼らは俺を見て指さしていた。距離があったからか、意識が遠退き始めていたからか、彼らの言っていることは理解ができなかった。

気が付くと俺は素っ裸にされて、藁らしきものの上にいた。
驚きはしたが、ビックリして飛び起き、声をあげられるほど気力はなく、ゆっくり体を起こして辺りを見回した。
「えっと……」
一瞬目のやり場に困った。女性が全裸でウロウロしているとは思わなかったのだ。彼らが俺が探していた種族なのだろう。よく見ると、妊婦らしき女性はお腹にさらしのようなものを巻いていた。あれは、お腹を冷やさないようにするためのものなのだろう。通常裸でいるのに、あれは気にならないのだろうか?
男性にあやされている赤子もいる。赤子はお包みに包まれている。これから裸で生活をするのだが、いつまで布で包まれているのだろうか?

やはり、保温が必要なときは裸族でも「衣」を使用するのだ、と考え至ったのは、ここにきて1ヵ月過ぎた頃だ。俺はこの1ヵ月で上半身は裸になった。しかし、下半身は慣れない環境を隠すため、唯一布を纏っている。


#11

誰もが「もうひとりの私」を心のなかに住まわせているかもしれなくて、一般的に世間受けするのは「異常人格な私」であるみたいだ。たとえば、真面目な公務員が実は、極度にエロティックであったり、一方で暴力稼業の人間が本当は「虫にも触れない私」をもっていたりするそのギャップ。我々は「落差」や「抑圧」に物語をみる。

ところがここに一人、たいして独創的な人間でもない普通のオトナがいて、彼も「もうひとりの私」を持っているわけだが、読者の期待にこたえるような異常人格ではなかった。彼の内側でひっそりと暮らしている「もうひとりの彼」は、彼そのものであって、それは一人の泳ぐことが好きな男であった。仮に彼のなかの「彼」をKと名付けようか。

彼が日中、あくせくと机に座って伝票の整理をしているあいだ、Kはいつもスイミングプールで泳いでいる。Kの住んでいる世界は彼の心の内側であるわけだから、現実の世界とちがって疲れることも知らないし、肉体を酷使しつづけたからといって身体を壊すこともない。眠る必要もなく、食事をとらなくてもKは生きていることができる。だからといって、Kが年がら年中泳いでいるのかといえばそうではなくて、彼がふと仕事の手をやめて、伝票から離れて内側のKをのぞきこんでいるとき、Kはその視線をどうやら背中でかんじとることができるみたいで、泳ぐのをやめる。そして、Kは天井にむかって笑顔で手をふるのだ。

彼はKが手をふっているのをみていて、自分はKがみえているが、Kにも俺がみえるのだろうか。Kにとって俺はどう映っているのだろう、と思いかえしてしまう。それでまだ自分の内側に住むKのことに気づくずっと前、鏡を前にして、鏡にうつる自分自身を眺めていたころのことを懐かしく思い出したりしているのである。自分が右手をあげると、自分とそっくりの顔をした鏡のなかの自分も手をあげるが、鏡の自分があげているのは左手である。鏡の自分は自分とそっくりでいて、実は左右逆であるから自分とはちがうようにも思う。ただ、Kは自由に泳いでいるし手も振ってくるのに比べて、鏡の自分は何ひとつ勝手なことはしない。

彼はある日、鏡を用意した。そして鏡の前で目をつむり、プールで泳いでいるKの姿を眺めた。そして鏡前にビデオカメラをおいて「鏡の彼」を録画した。あとで再生すると鏡のなかの彼もきちんと目をつむっていた。彼は鏡の彼に乾杯することにして酒を呑む。


#12

五寸釘

私の心の中には、私しかいない。



朝起きたら、胸元に釘が刺さっていた。
上半身の前面、両乳首の延長線上に、深く突き刺さった五寸釘。
何故そんな物が刺さっているのか解らない。自分で刺した覚えなんかある訳が無いし、それに血が止まらない。

まず冷静になって失った鉄分を補う方法を考えなくてはならない。
血はほぼ鉄分だ。取り敢えず当面の栄養素を補給しなくてはと思い立つ。
冷蔵庫の中のブルーベリーヨーグルトを無造作に食う。そんなに激しい流血ではないのですぐ死ぬとかは無いと思う。

続けて押し入れに入って包帯を探す。だがテーピングしかない。それよりも消毒が先だろうと考え直す。
マキロンが見つからず、三十分以上探してやっと台所に見つける事が出来た。
ああそうかここで猫の傷の手当してやったんだっけ。
脱脂綿にマキロンを染み込ませて、傷口にあてがって、テーピングでぐるぐる巻きにして治療は終了。
鏡に映る自分の姿に昔見た映画が頭をよぎる。
ミラジョボビッチとニコラスケイジがカプセルの中でセックスして終わる映画だ。タイトルが思い出せない。
拘束テープを体に巻かれたミラジョボビッチはセクシーだった。

さて、応急措置も終わったが、病院に行くべきか。

病院に行ったら行ったでなんと説明したらいいのか。朝起きたら、胸元に五寸釘が刺さってましたなんて言えない。

まあ、仕事も休みなので取り敢えず散歩でも行こうと思い、適当にジャージを着て外に出た。
朝霧に包まれた街。聳え立つ団地。
呆れ返るほど巨大な団地。
向こう側も、後ろも、どこまでも続く団地。

遠近感が変になって、気が遠くなりそうだった。

何故こんな不気味な光景なのだろう。
自分はなぜこんなに冷静なのだろう。

気にする事は無い。私の心の中には、私しかいない。

私はジャージの下から手を入れて、力任せに五寸釘を抜き取り、登校中の小学生の一団に投げつけてやった。
彼らは真っ青な顔をして逃げて行った。
私の頭も真っ青になった。血が止まらなくなった。

帰りにコンビニでブルーベリーヨーグルトを買おう。それで病院行こう。
心の病院に。



#13

エンジェル

 空から落ちてゆくなかで私は地上を見上げていた。そこには記憶から抜け出した過去たちがさまよっていた。
 川に橋がかかっている。橋のたもとに植えられた木が落とす影の中にそのベンチは置かれている。そこに犬はいない。かつてその脇腹をはたき、私に報復したことで処分されたあの犬はいない。記憶だけ私の腕の古傷の中に埋め隠されている。
 橋のたもとで丸まっていたその犬がベンチに首を返して語りだす。

 殺してやりたいけど肉親に刃を向けるのはいささか躊躇われる。じゃあ誰かに頼もうか、だからといってそいつの趣味で嬲らせるのはどうにも寝覚めが悪い。そんなときにあっしの出番でさあ。あっしは暴力、概念、そこに山があるから登る。あっしが殺せばそれはまるで事故か災害。あっしに任せてくれれば後腐れもないってもんですぜ。
 老女が答える。殺しは完全なる悪である。議論の余地などない。その点おれは盗み専門。殺しはやらないおれの方がマシってもんさね。

 ベンチの上に老女はいない。老女は死んだ。犬よりも後に現れ、犬よりも後に死んだ。川を越えた先、橋のむこう側をひとり見つめ続けたあの老女、時折ベンチの傍らに視線を落とし何事かを呟いていたあの老女はいない。あの老女が棺の中で横たわっている、その緑色の貌をたしかに見た。ベンチの上に老女はいない。

 殺さなきゃ盗めませんぜ。あっしは殺すだけで盗みはしません。あっしのほうがマシってもんですよ。
 ではお前は命を盗んでいるということになるな。
 こりゃあ一本取られましたな。でしたらあっしらは同じ盗人、殺しも盗みも大差ないということですなあ。
 いやいやお前、それは違うよ。おれは命までは盗みはしない。
 あっしは命しか盗みませんぜ。
 殺ししか能がないけだものめ。
 神様からのギフトとやらが、あっしにはこれだったんでさあ。

 橋の向こうから猫が川を越えてやって来た。猫は尻尾をぴんと立て、媚びるように遠巻きにベンチに近づいた。やがてベンチの傍らで腰を落ち着けて、目の端でベンチを捉えた。ベンチに老女はいない。橋のたもとに犬はいない。すべて記憶の欠片を紐づけているだけに過ぎない。
 だが猫はやおら身体を伸ばし、媚びるようにベンチの上の虚空へ振り返ってにゃんと鳴いた。橋のたもとで丸まったそこにいない犬は伏せたまま片眉を上げ、たもとのベンチに腰かけているそこにいない老女は猫なで声を出しながら猫に手を伸ばした。


#14

森と泉にかこまれて

カナデイアンロッキーにバンフという村がある。日本から新婚旅行者が詰めかけた山間の城をホテルにしたバンフスプリングというホテルが一番奥に鎮座している。バンクーバーからカルガリーへ、空港から乗り合いバスに揺られ、真夏でも雪が舞い散る国立公園の中の避暑地である。夏には白夜が体験できる。冬であればオーロラが見れるかもしれない。ワーキングホリデーを利用した日本人留学生アルバイトが日本人の旅行者の世話をするとても贅沢な場所。1988年カルガリー冬季オリンピックが開催され、山肌にスキージャンプ台がレガシーとなっている草原の横を通り、万年雪の山脈に向かって山道を約2時間、道路の最終地点に立つと、お城をかたどった高原の一番奥にある超高級ホテル。しかしその手前には山小屋ロッジの宿が並び、日本飯にもありつけるから面白い。こんな辺鄙な一等地にリゾート型ビジネス商談会などを催す展示会、発表会的なイベントを行う人たちがいる。そのに集う主催者や顧客は家族連れで超高級ホテルに泊まり、1週間を過ごすのである。吉田はそのイベントに商品や展示物を輸送する仕事に駆り出された。こんな辺鄙なところで世界中から衛星中継をつなぎ、通信技術を展開するなどいかにもバブリーな展示、大都会とアフリカ、ギリシャや南極までホテルの一室に世界中をつなぐ、最先端技術の発表を全世界に向けて発信する。なんでこんなことをするのか、白夜で夜中1時間半くらいしか日が沈まず、一日に四季が繰り返す、こんな山奥の場所で、森と泉にかこまれて、子供の頃の替え歌のようにとんかつやニンニク、こんにゃく、てんぷらが頭の中を走り回る。しかし現実に食事をとるとラーメンやカレーライス、お好み焼きまでが、日本の観光地と同様に食べられる不思議な世界であった。太陽が出れば気温20度、曇れば10度、雨が降れば5度前後、そのまま霙、雪に変化する異常気象?いやそれが通常の山の天気である。長野や北海道の高い山脈の中腹の気候。麓から雄大に広がったロッキー山脈からその突端の山の峰しか見えない風景、ジグソーパズルの森、湖、山の風景そのものである。日本人はここに家族を連れて仕事には来れないな、ハネムーンで完全に休みにならないと絶対これない。悲しいですね。しかし、何んで来ようが、一遍の風景画を楽しむスケッチブックを独占できる贅沢な場所。実に魅力的な自然を利用したリゾート地なのである。


#15

草むら

 私は小さなお菓子の箱に押し込まれ、砂場に埋められた。
 しばらくは子どもたちの声が聞こえていたが、そのうち誰の声も聞こえなくなった。私は虫であるから、人間のように絶望することはなかったし、子どもを恨む気持ちもなかった。しかし箱の中でひたすらもがいたせいで疲れ果て、私はそのまま死んだように眠ってしまった。夢は見なかったと思う。
 そして、目が覚めると私は暖かい布団の中にいた。
 私は洗面台で歯をみがき、服を着替え、朝食を食べてランドセルを背負った。
 放課後に砂場へ行き、小高くなった場所を掘り返すと小さな箱が出てきた。
 自分で自分を助けるのは変な気分だったが、箱から虫を出してやると、そいつはしばらく箱の周りをうろうろしたあと、触覚をぴんと立てて草むらへ跳ねていった。

 その後、私は人間として生きていった。
 そして大人になったあるとき、親しくなった女性に、自分が昔虫であった話をした。私たちは夜の公園でベンチに座りながら、月を眺めていた。
「実はね、わたしにも秘密があるの」と彼女は言った。「わたしは、今から400年後の未来から来た人間なの。でも、時間の海で嵐に遭って、この時代に遭難してしまったの」
 私は、静かに彼女の話を聞いた。
「あれからもう5年が過ぎたけど、仲間とは連絡が取れないし、未来へ帰る方法もわからない」
 彼女の部屋へ行くと、ラグビーボールを一回り大きくしたような形の装置が置いてあった。彼女が操作するとラグビーボールのランプが点滅し、数秒後にフタが開いた。その中には一万円札が入っていたのだが、彼女は続けて操作し、免許証やパスポートを作ってみせた。
「お金は5年間暮らせる分しか作れない設定になっているの。際限なくお金を生み出してしまったら、その時代や未来に変な影響を与えてしまうかもしれないでしょ」

 私と彼女は3年間同棲したが、未来の仲間が助けに現れたため、彼女はそのまま400年後の世界へと帰ってしまった。去り際に彼女は一通の封筒を差し出し、これから起こる未来のことを書いておいたから気が向いたら読んでねと私に言った。
 彼女が去ってから数日過ぎたある朝、私は草むらの中で目を覚ました。後ろ脚で地面を跳ねながら草むらを抜けると、自分の家が見えてきた。窓から中を覗くと、手紙を読んでいる自分の姿が見えた。
 うまく背後に回り込めば手紙を読めるかもしれないが、虫に未来は関係ないなと私は思った。


編集: 短編